【籠旅】源平水島古戦場|盛り返す平家軍が木曽義仲軍に勝利した戦い

【籠旅】源平水島古戦場|盛り返す平家軍が木曽義仲軍に勝利した戦い

2026-07-15

源平合戦で岡山県が舞台となった戦いが2つあります。
今回はよりマイナーな戦いで、現在でも車じゃないと行きづらい「水島合戦」の地を訪ねました。

もう一つの合戦「藤戸」もそうですけど、やはり平家の拠点「讃岐・屋島」に近くて、瀬戸内海をがっちり抑えてた平家にとっては戦いやすい場所なのかもしれませんね。

水島合戦とは

寿永2年(1183年)閏10月1日
備中国水島(現倉敷市玉島)において源義仲軍と平家軍との間で戦いが起こりました。源平合戦の一つで「水島合戦」と呼ばれます。

付近の年表で復習

日付出来事
1183年7月27日平家方から逃げていた後白河法皇が京へ戻る      
1183年7月28日源義仲・行家 勢が入京
1183年9月20日~源義仲が、平家討伐のために京を出発(妹尾兼康も源氏軍として)
1183年閏10月1日🔥水島合戦で義仲軍が壊滅
1183年10月12日🔥福隆寺縄手の戦いで妹尾兼康が死去
1183年10月15日源義経上京の報を受けて、源義仲が帰京
1183年11月19日法住寺合戦で源義仲が後白河法皇を幽閉
1184年1月21日木曽義仲、粟津の戦いで死去

この、源平水島合戦は、木曽義仲(源義仲)が転落していく流れの時に起こった戦いですね。後白河法皇が源頼朝と近づき、焦った木曽義仲が後白河法皇を幽閉してしまいます。平家と同じようなことをやっています(汗)

※近い時期に同じ倉敷市で起きた「藤戸合戦」がありますが異なります。

玉島大橋

木曾義仲(源義仲)勢によって京都を追われて北九州へ落ち延びた平家一族は、瀬戸内の水軍を味方にして体制を立直し、京都奪還を目指して再び進軍してきました。

その平家を追討するために、再度、木曽義仲勢が迎え撃ちます。詳しくは、義仲が差し向けた追討軍(足利義清、足利義長、海野幸広などの指揮官)で、義仲はその場にはいなかったようです。

その場所がここ、現在の玉島河口付近です。

全長500mほどの玉島大橋が掛かっていて、西側が平家軍、東側が源氏軍の本陣があったとされます。
それぞれの場所に石碑が建っているので、見に行くことにします。

源平水島古戦場の史跡

平家方は柏島(西側)に本陣を構え、平重衡、通盛、教経の三勇将が平家軍を率い、
源氏方は乙島(東側)に本陣を構え、足利義清、海野幸広など義仲の同族が率いました。

それぞれの本陣と思われる場所に、源平合戦水島古戦場の石碑が設置されています。

平家本陣

玉島大橋を通る道路のすぐそばにあるのですが、草木などが荒れ放題で、蜘蛛の巣などが多くなかなかしんどい場所にあります。そして、夏場前に行ったのですが蚊にものすごく刺されました。

源平水島古戦場碑(平家陣側)

玉島大橋の下に「源平水島合戦古戦場跡」という案内板が設置されています。

源平水島合戦古戦場跡の案内板(左上)

アクセス

玉島大橋が通っている道路(県道398号線)からは行くことができません。玉島みなと公園にある駐車場に止めてから、道路(県道47号線)を横切り玉島大橋の下から階段を登って行きましょう。

源氏本陣

源氏本陣の石碑は、玉島大橋を渡って約450m離れた山の中腹にある「常照院」というお寺の境内にあります。とは言え、目立つところにはなく、境内の中にある八幡神社の奥側にひっそりと建っています。

平家側の石碑よりも、お寺の方がしっかり管理されているのでしょうか、まだ綺麗です。

源平水島合戦城跡(源氏側)

山号は瑠璃山海岸寺と、海岸という名前が残り、天台宗の寺院になります。
住所が、玉島町字大字乙島字城ということで「城」という文字が残っているのが気になります。本陣っぽいです。そしてこの地域のことを「乙島」っていいますね。

常照院

このお寺は高台になっているので、その周りは昔は海だったのでしょう。

お寺のHPには、はじめ「井の浦」の地に在ってと記載があり、その遺跡をつたえていたが、現在の地に移転ということらしいです。

また、毎年9月に源平水島合戦慰霊祭というのもやっているらしくて、機会があれば見たいと思います。

アクセス

ちなみに常照院には駐車場らしきものは見当たりませんでしたし、周辺の道は細い道で車での訪問はお勧めできません。乙島周辺にはコインパーキングもなく、今回は玉島みなと公園の駐車場(無料、かなりたくさん駐車可能)から、玉島大橋経由して徒歩で行きました。約1.5km、所要時間20分くらいでしょうか。

円通寺展望台

インターネットで色々調べてると、円通寺の手前に水島古戦場が一目でわかる展望台があるらしいので行ってみることにしました。
二十台以上置ける駐車場もありますので、訪問されるのをお勧めします。

円通寺展望台からの眺め

円通寺は良寛という僧侶が修行した曹洞宗のお寺です。

結果は、海での戦いに秀でた平家方の勝利。
「源平盛衰記」では金環食が発生し、それを知らなかった源氏方が慌てふためいて敗北とも書かれています。
源氏方が京都へ敗走し、平家方は摂津の福原へ戻り、京都奪還の機会を伺いました。

妹尾兼康

この源平水島合戦において、欠かせない平家方の武将に「妹尾兼康(せのおかねやす)」がいます。

平家への忠誠心が厚く、倶利伽羅峠の戦いで敗北し木曽義仲軍に降るのですが、ずっと反転の機会を伺っていました。西から勢力を盛り返した平家討伐のために木曽義仲軍と共に京を出発するも、義仲軍は平家に敗北。

ここを機会と見た妹尾兼康は義仲軍を裏切り戦いを挑むも、逆に討たれてしまいます。
戦いを挑んだ場所は妹尾兼康が領地を持っていた言わば地元。

源平合戦の前は、地元の豪族として用水の開拓などに勤しみ、農民から慕われていたのでしょう。
今もJR瀬戸大橋線に「妹尾駅」があり、岡山市~総社氏までの結構広い地域を支配してたのではないでしょうか。

十二ヶ郷用水

というわけで、妹尾兼康が生前に開発した総社市にある「十二ヶ郷用水」まで行ってきました。
設備こそ現代的ですが、高梁川から引いた水が総社市内を駆け巡っていて、その始まりが妹尾兼康なのかと思うと凄いですね。

ちなみにこの場所は「おかやま検定」本にも記載があります。

十二ヶ郷用水

十二ヶ郷用水についての説明版はこれ一つだけ。

十二ヶ郷用水(説明版)

石で作られた広場なのか用水の施設なのか、説明版等が無いので全く分かりません。。。

十二ヶ郷用水

アクセス

十二ヶ郷用水も見学者向けの駐車場などはありません。
総社駅からもなかなか離れているので、近くのコインパーキング等を利用しましょう。

妹尾兼康の墓

妹尾兼康の史跡をもう一つ。吉備津神社の近くに墓があります。
こちらは上記の年表に記載した「福隆寺縄手の戦い」で、妹尾兼康が討たれた場所の近くと推定されます。

妹尾兼康供養塔(墓)

近く(50mほど)には、臨済宗の祖「栄西」の生誕地があり、一緒に巡ると効率的です。

妹尾太郎兼康公墓

説明版には、このあたり板倉郷の豪族と書かれていますが、少し離れた総社市の十二郷用水路を改修とも記載があります。比較的広い範囲を治めていたようですね。

アクセス

妹尾太郎兼康公墓にも見学用の駐車場はありません。
自動車の場合は、吉備津神社の有料駐車場に停めて、徒歩5分程度歩きます。またJR吉備津駅からも歩いて10分程度です。

白石島

近日、訪問予定。

開龍寺

源平合戦で敗れて白石島に逃れた平家の残党が源氏によって討伐されたことで、追善供養のために一宇が建立。

白石踊り

源平水島合戦の戦死者の霊を弔うために始まったと言い伝えのある盆踊り・回向踊り。
令和4年に「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

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近日公開予定

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