八田知重|寒川尼を叔母に持つ小田氏の二代目、父は八田知家

八田知重|寒川尼を叔母に持つ小田氏の二代目、父は八田知家

2021-08-07

八田知重(はった ともしげ)

生没年不詳。頼朝の家子の一人。

父は、13人の合議制メンバー「八田知家
八田太郎、八田朝重、小田知重とも。安貞2(1228)年より常陸守護?。

八田知重の簡易年表

時期年齢出来事
誕生年不詳0誕生
養和元(1181)年頼朝の寝所を警護する11名の内(家子)に選ばれる
元暦元(1184)年平家追討軍(源範頼軍)に参加
文治5(1189)年奥州合戦に参加
建久元(1190)年頼朝上洛に従う。
建久3(1192)年頼朝上洛に従う。左衛門尉に。
正治元(1199)年梶原景時の変。「景時糾弾訴状」作成の一人。
元久2(1205)年畠山重忠の乱。北条軍として参加。
建暦3(1213)年和田義盛の乱
和田義盛の蜂起を大江広元に伝える、子息ら討死
建保2(1214)年大慈寺(新御堂)の金剛力士像建立の沙汰をし、供養に参加
承久3(1221)年八田知重、吾妻鏡最後の記録
 謀叛の疑いがあった日吉社の禰宜「祝部成茂」を預かっていた。

八田知重は吾妻鏡にも頻出する御家人ですが、その割に単独で登場する場面が少ないように見受けられます。しかし、合戦、上洛、供養などで頼朝に従う場面には、常連のように登場しています。

和田義盛の乱を幕府側に報告

和田義盛の乱は素早い八田知重の連絡がありました。

建暦3(1213)年 5月2日

筑後左衛門尉朝重(八田知重)は、和田義盛の近くに住んでいた。
義盛の館に軍兵が集まり出し、八田知重はその様子をみて、甲冑を着て、使者を送り、事の次第を大江広元に告げた。

源頼朝の上洛

頼朝が治承4年の挙兵後に初めて上洛した建久元年(1190)年の上洛。

吾妻鏡に、行列の詳細(御家人の名前)が書かれている3行事に、八田知重がどこに配置されているのか見てみました。

入京

建久元(1190)年11月 7日

午後4時頃 畠山重忠を先頭にした先陣が京都に入った。後白河方法は内々にご覧になられ、他見物の車が多数、鴨川の河原に並んでいたようです。

行列は非常に長く、登場する御家人の名前もかなり多いです(知らない名前も多数)

行列は大まかに、先陣(1名)→先陣の随兵(多数)→頼朝→水干を着た者(10名)→後陣の随兵(多数)→後陣 となっていて、先陣や後陣、頼朝の周辺に配置される御家人は非常に信頼があったと思われます。

その中で八田知重は、頼朝のすぐ後ろ水干を着た者たちに名前があります。

次に水干を着て野矢を背負った者たち

一番(3騎が並んだ) 八田知家 伊東家光 加藤景廉
二番         三浦義連 八田朝重 葛西清重
三番         源義長
四番         三浦義澄
五番         足立遠元 工藤祐経

六条若宮&石清水八幡宮に参詣

さすがに入京した全員を引き連れていくわけにはいかないので、限られた御家人等を選抜して随行させています。

同年11月11日

行列の概要は、先陣の随兵(10名)→頼朝の御車 (10名) →御調度懸 (1名) →後騎 (12名) →後陣の随兵 (10名) →最末(2名) その中で、八田朝重は、後陣の随兵に選ばれています。

次に後陣の随兵 

畠山重忠 八田朝重 毛利頼隆 村山頼直 小山朝光 
千葉師常 佐々木定綱 加藤景廉 南部光行 三浦義連

院(後白河)に参上

同年11月29日

夜に院に参上されたとき、布衣の侍12人がお供したとあります。

三浦義澄 足立遠元 下河辺行平 小山朝光 千葉胤正 
八田朝重 小山田重成 三浦義連 三浦義村 梶原景季 加藤景廉 佐々木盛綱

頼朝が知重を信頼していたことが良く分かる配置ですし、他に一緒に名前が出る御家人は有名人ばかりです。

八田知重周辺の系図

やはり、父「八田知家」が頼朝乳母の「寒川尼」と兄弟姉妹の間柄というのが強いですね。

藤原道兼
 |
 |
宇都宮宗円 ← 頼義・頼家に仕える
 |[養子]
八田宗綱
 ├----------┬----------┐
宇都宮朝綱      八田知家       寒川尼(頼朝乳母)
            ├
           八田(筑後)知重
            |
           八田(筑後)泰知
            |
           小田時知 ←はじめて小田を名乗る

藤原(宇都宮)宗円

1033 or 1043 – 1111。宇都宮氏の初代当主、知重の曽祖父。

前九年の役(1051-)で、源頼義・頼家に与し、功績を認められ、下野国守護職、下野国一宮別当職、宇都宮座主となる。

子 八田泰知

八田知重の家督を継いだ三代目。吾妻鏡には一切現れない人物です。
通説ですが、泰知は三浦泰村の娘を妻に迎えたために宝治合戦で三浦氏の縁戚だった泰知は失脚したとか。

次に吾妻鏡に出てくる八田本宗家は、小田を初めて名乗った小田時知(4代目)

頼朝の家子

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家子|源頼朝に選ばれた御家人2世を中心とした頼朝親衛隊の11人

家子(いえのこ) 吾妻鏡によると・・・ 養和元(1181)年 4月 7日 壬子 …
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八田氏ゆかりの地

小田城址

父「八田知家」が文治元(1185)年に常陸国守護に任命されてから、居館を構えた場所。

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