伊東祐親|流人だった頼朝と娘八重姫の子を殺害した、伊豆国伊東の豪族

伊東祐親|流人だった頼朝と娘八重姫の子を殺害した、伊豆国伊東の豪族

2022-01-18

伊東祐親(いとうすけちか)

生誕不詳-1180

伊豆国伊東の豪族。河津氏の祖。伊豆や三浦に親族ネットワークを形成。
平家に信頼され、流人の源頼朝の監視を任されるが、最後は頼朝に追われる身となり捕らえられ自害した。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、浅野和之さんが演じられます。

伊東祐親の簡易年表

時期年齢出来事
生誕不詳誕生(父:伊東祐家、養父:工藤祐隆(祖父))
平治元(1159)年平家方から源頼朝の監視を任される
安元元(1175)年頼朝、八重姫の子「千鶴丸」を殺害
工藤祐経が上京している間に伊東荘を奪う
安元2(1176)年工藤祐経が、伊東祐親を殺そうとし、嫡男河津祐泰が射殺される
治承4(1180)年石橋山の戦い
大庭景親軍と協力して頼朝軍を挟み撃ちに、戦いに勝利する
富士川の戦い後に捕らえれ、三浦義澄(娘婿)に預けられる。
義澄が助命嘆願するも、自害した。

吾妻鏡には

吾妻鏡には、治承4年、寿永元(1182)の計5日(条)で登場します。
最期の1日は伊東次郎祐親法師の自殺についての記事です。

その後は、建久元年、同4(1193)年まで飛んで、曽我兄弟の祖父として、祐親の名前が登場します。

源頼朝 vs 伊東祐親

治承4(1180)年8月23日

石橋山の戦いで、伊藤祐親300騎を率いて背後から源頼朝軍を襲おうとする。

同年 10月19日

富士川近辺まで進撃してきた平維盛(故平重盛の嫡子)の軍に加わろうと、伊豆の鯉名泊に船を浮かべていたところに、天野遠景に生け捕りにされ、黄瀬川まで出陣していた頼朝の所に連行された。

伊藤祐親の婿だった三浦義澄が、御前に参上し、処罰が確定するまで囚人として預かるとのこと。頼朝も了承。

伊東祐親の最期

寿永元(1182)年 2月14日

以前より三浦義澄に預けられていた伊東祐親だったが、御台所(北条政子)が懐妊したことを聞きつけ、義澄が御前にて直々に、(祐親に対して)恩赦をされるようお願いし受理された。

三浦義澄は、その事を伊東祐親に伝えると、(頼朝御所に)参上しようと答えた。

その後、三浦義澄が頼朝の御所で待っていると、郎従が慌ててやってきて「祐親入道が、恩赦を受けてまで生きるのは恥ずかしいと自害を企てたと」

義澄は急ぎ戻るが、すでに時遅しだった。

伊東祐親周辺の系図

曽我兄弟の仇討ちには、工藤家のややこしい家庭環境がありました。

※系図は携帯電話を横にしてご覧ください。

工藤祐隆(養父|工藤祐高、伊東家次とも)
 ├-------(継室)---------┐
伊東祐家(早世)              |
 |                    |         
伊東祐親                工藤祐継
 ├-----┬------┬       |
河津祐泰  伊東祐清   八重姫    工藤祐経
 ├-----┐
曽我祐成  曽我時致

嫡男だった父「祐家」が早世したものの、嫡流は「祐親」のはずだが、次男扱いで河津荘を。
継室の子「祐継」が長男扱いとなり伊東荘を。

不満を持った伊東祐親は、工藤祐継の死後に、工藤祐経の所領(伊東荘)と嫁がせた嫁とも離縁させた。

それに不満を持った工藤祐経が・・・という具合に、嫡流の伊東荘を巡っての不満の連鎖です。

伊東祐親の子供たち

祐親は娘たちを北条時政三浦義澄などと結婚させて親族を形成しています。
昔から顔なじみだったことが分かりますね。

伊東祐親
 ├-------┬-------┬-----------┬-------┬----┬
 娘=北条時政  娘=三浦義澄  河津祐泰=土肥実平娘? 娘=工藤祐経  祐清  八重姫

※参考「曽我物語

伊東祐親ゆかりの地

伊東祐親公像(伝伊東家館跡)

▶ 静岡県伊東市大原2-1(物見塚公園)|🅿あり|

平安時代末期、伊東の地に住み着いた藤原南家工藤氏に始まる伊東氏。
伊東祐親の祖父、伊東家次が初代。物見の松がある物見塚の一角が伊東家館跡と伝わっています。

伊東市役所に隣接。JR伊東駅からは見ると高台にあります。

伝 伊東祐親の墓所

▶ 静岡県伊東市大原1-11|🅿なし|

伊東家祈願所の葛見神社から300mほど上り坂を登った場所にある墓所。(物見塚公園から行くと緩やかな登り)中央に五輪塔と周囲の塚から成っています。

嫡男「河津三郎」の墓は向かい側の丘の上(東林寺)にあります。

葛見神社(伊東家守護神)

▶ 静岡県伊東市馬場町1-16-40|🅿あり|

葛見とは昔から伊豆の東北部を葛見の庄と呼んだことによる。
葛見庄の初代地頭「工藤祐高(隆)|伊東家次・伊東家の祖」が社殿を造営し、守護神として京都伏見稲荷を勧請合祀した場所。

東林寺(伊東家菩提寺)

▶ 静岡県伊東市馬場町2-2-19|

東林寺の開基が伊東祐親。嫡子の河津三郎祐泰の菩提を弔う為に仏門に入り「東林院殿寂心入道」と称して、法名にちなんで東林寺としたとあります。

お寺の奥(鐘つき堂左の参道)に河津三郎とその子「曽我兄弟」の供養塔が安置されています。

鐙摺山(伊東祐親入道供養塔)

▶ 神奈川県三浦郡葉山町堀内34|🅿なし|

ちょっとだけこんもりした山の山頂に伊東祐親の供養塔がヒッソリとあります。
近くには、曽我物語から抜粋したと思われる説明板も。

この場所は、葉山町指定史跡「旗立山(鐙摺山|あぶずりやま)」です。

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