目次
八重姫(やえひめ|伊東祐親の娘)
生没年不詳。
伊豆国伊東庄の豪族「伊東祐親」の三女。源頼朝の最初の妻。千鶴丸(千鶴御前)の母。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、新垣結衣さんが演じられます。
八重姫の簡易年表
頼朝と八重姫の関係については、吾妻鏡の記載が始まる治承4(1180)年前のこと。
なので「曽我物語」の内容が語られています。
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
不詳 | 0 | 誕生(父:伊東祐親) |
源頼朝の子「千鶴丸」を出産 | ||
父「伊東祐親」に、3歳になった千鶴丸を殺害される | ||
家人の江間の小四郎に嫁がされる | ||
その後 | ||
説1:頼朝と政子の結婚を知り、入水自殺をした | ||
寿永2(1183)年 | ? | 説2:北条義時と再婚、北条泰時を産んだ |
説3:その他・・・ |
説2だとすると、一般的に言われている北条義時との最初の妻「阿波局」が八重姫のことかも?
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、説2を採用するようですが・・・。
千鶴丸を殺害
伊東祐親が京の大番役を終わって戻ってきて、頼朝と八重姫の間に子供がいることに激怒。
「平家の御咎めを受けたらどうするのか?」と言って、郎党に命じて稚児ヶ淵に沈めてしまいました。
次に、頼朝を討とうとしますが、比企尼(頼朝の乳母)の3女を妻に貰っている、伊東祐親の次男「伊東祐清」が頼朝に知らせて北条時政の屋敷に逃亡。
そこで、次は北条政子と結ばれます。
八重姫周辺の系図
八重姫は、源頼朝の監視役だった「伊東祐親」の三女。
近くに住んでいたからこそ結婚まで至ったのでしょう。
|
伊東祐親
├-----┬--------------┬
河津祐泰 伊東祐清===比企尼3女 八重姫===源頼朝 → ===北条義時
├-----┐ | |
曽我祐成 曽我時致 千鶴丸 北条泰時
頼朝と八重姫との間に子供が生まれたことを、父「伊東祐親」に話したのは、八重姫にとっての継母だったようで、ちょっとした嫌がらせのはずが・・・。
八重姫ゆかりの地
音無神社
▶ 静岡県伊東市音無町1-13|🅿不明|
音無(おとなし)神社は、流人時代の源頼朝と八重姫が愛を語らった場所「音無の森」に建っている神社です。


日暮八幡神社
▶ 静岡県伊東市桜木町1-2-10|🅿不明|
上記の音無神社と対になる日暮(ひぐらし)八幡神社。
源頼朝が八重姫との逢瀬を楽しみに日暮らし過ごした「日暮の森」に建っている神社です。


眞珠院(八重姫御堂)
▶ 静岡県伊豆の国市中條145-2|🅿あり|
説1の八重姫自殺説の伝承を伝える寺院。眞珠院の中にある八重姫御堂。
源頼朝との恋にやぶれ入水自殺した八重姫をまつる御堂。堂内正面に八重姫の木造を安置、下に供養塔を治めているようです。


梯子供養
八重姫御堂の右下には小さな梯子(はしご)か供えられています。
八重姫が入水した際、梯子があったら救うことが出来たという里人達の気持ちが、梯子を供える習慣となって残ったようです。


最誓寺(千鶴丸菩提寺)
▶ 静岡県伊東市音無町2-3
お寺の門の前に設置されている石標に最誓寺縁起が掘られています。それによると、
開基が、2代執権北条義時とその室八重姫の立願による。と書かれていて、説2の根拠となっています。
由緒としては、「稚児が渕」に沈められた千鶴丸の菩提を弔うために創建と書かれています。


稚児ヶ淵
▶ 静岡県伊東市鎌田|🅿なし|
伊東大川の上流にある稚児ヶ淵と考えらている場所(入口)に、伊豆半島ユネスコ世界ジオパークの説明板が設置されていて、「渓谷の悲しい物語」と書かれています。


看板の横に下に降りる、つづら折りの長い石段があり、伊東大川沿いまで行くことができます。
三歳の子供を沈めるには十分な深さの有る渓流であることが分かります。
上記のYouTube動画「伊東祐親」で見ることができます。