三浦義澄|三浦氏の家督を継いだ義明の二男、鎌倉殿の13人の一人

三浦義澄|三浦氏の家督を継いだ義明の二男、鎌倉殿の13人の一人

2021-09-05

三浦義澄(みうら よしずみ)

1127-1200。十三人の合議制の一人。三浦介義明の次男で三浦氏の嫡流。

とても慎重な性格のようで、挙兵直前に頼朝と石橋山合戦についていろんなパターンを話し合い、その結果、安房国竜島で計画通りに合流できたとも言われています。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、佐藤B作さんが演じられます。

三浦義澄の簡易年表

時期年齢出来事
大治2(1127)年0誕生(父:三浦義明、母:秩父重綱娘)
上総常澄の加冠で元服
平治元(1159)年33平治の乱で源義平に従うが敗北。京都から郷里へ。
長寛2(1164)年38三浦氏の家督を継ぐ。(兄:杉本義宗が死去したため)
治承4(1180)年54悪天候で頼朝の挙兵に合流できず。
小坪合戦→衣笠合戦となり、父三浦義明が討死する
寿永3(1184)年58平家追討
文治5(1189)年63奥州合戦
建久7(1190)年64頼朝の上洛に供奉。
右近衛大将拝賀の布衣侍7人の内に選ばれる
正治元(1199)年73十三人の合議制の一人に選ばれる
正治2(1200)年梶原景時の変
74病没

三浦義澄周辺の系図

三浦義澄は三浦義明の次男ですが、杉本義宗が早死してしまったため、三浦氏の家督を継ぐことになりました。

三浦為通
 |
 為継
 |
 義継
 ├-------------------------┬
三浦義明                      岡崎義実
 ├------┬------┬           |
杉本義宗   三浦義澄   佐原義連        佐奈田義忠
 |      |     [佐原流三浦氏]
和田義盛   三浦義村    |
 |      |      | 
        泰村(滅亡) 三浦同寸

本来家督を継ぐはずだった「和田義盛」と、従兄弟の「三浦義村」。
この関係が和田合戦の裏切りにも関係しているのかもしれません、していないのかもしれません。

三浦義澄ゆかりの地

三浦半島(衣笠中心)

三浦一族の嫡流が代々本拠を置いた衣笠城址を中心とした三浦半島について纏めています。

三浦一族|鎌倉殿の13人「三浦義澄」ゆかりの地を巡る三浦半島(横須賀市)
今回は2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習ということで、13人のうちの一人「三浦義澄」を起点に、三浦一族宗家ゆかりの地を三浦半島(特に本城があった衣笠周…
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三浦義澄の墓(薬王寺旧跡)

横須賀市にある薬王寺旧跡の奥には三浦義澄の墓があります。
墓の手前にある石碑(改修記念碑)には「三浦荒次郎義澄墳墓」と彫られています。

薬王寺は、初代侍所別当だった和田義盛が父の杉本義宗、叔父の三浦義澄の菩提を弔う為に創建したものと伝わっています。

旗立山(鐙摺城址)

葉山町にある三浦一族ゆかりの史跡です。またの名を軍見山(いくさみやま)。

頼朝の挙兵に呼応した三浦党は、鐙摺城北側の小浜の入江から援軍として出陣。また、畠山重忠軍と対峙して、従兄弟の和田義茂の誤解から合戦になった小坪合戦の時に、三浦義澄はここの鐙摺城に居て、戦況と援軍を出したとか。

※9月上旬に行ったのですが、登り口から草ぼうぼうで、道が分からないくらいです。
安心して見学するなら、草木が生い茂らない冬場に行くのをおススメします。

日影茶屋駐車場の横に入口(階段)と説明板があります。

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