大庭景親|石橋山の合戦で、源頼朝を敗走に追い込んだ平家の総大将

大庭景親|石橋山の合戦で、源頼朝を敗走に追い込んだ平家の総大将

2021-07-03

大庭景親(おおば かげちか)

今回は、平良文の末裔「鎌倉景正」の流れを汲む大庭氏の一族「大庭景親」について調べてみました。
平治の乱の後に、平家に忠実な家人になって、源頼朝を苦しめた人物です。

大庭という名前から、藤沢市大庭周辺(大庭御厨)を所領としていました。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、國村隼さんが演じられます。

現:藤沢市大庭の範囲

注)大庭御厨はもっと広いです。

大庭兄弟とその系図

今回の大庭一族の主人公「大庭景親」周辺の家系図を再掲します。

大庭景宗(1115-)
 ├---------┬--------┬------------┐
(懐島)景義(1138-)  景親(1140-)  (豊田)景俊(1145-)  (俣野)景久(1147-)
 |         |
 景兼        飯田家義室

俣野景久(景親弟)

1147-1183。大庭景宗の四男。相模国鎌倉郡俣野郷(現、戸塚区俣野、藤沢市西俣野)に住んで俣野を名乗る。

曽我物語で、河津祐泰(1146|曽我兄弟の実父)と相撲で対戦し、はじめて「河津がけ」された人物と書かれている。まだ、河津祐泰が生きているときなので1176年以前の事。

後述の石橋山の合戦で佐奈田与一と死闘を繰り広げ、従兄弟の長尾定景に助けられる。兄景親が処刑されたその後も平家軍と共にし、最後は倶利伽羅峠の戦い(1183)で討死した。

大庭景親の簡易年表

大庭景親について、気になる出来事を年表に纏めてみました。

日付年齢出来事
大治元年(1140)0誕生
天養元年(1144)4源義朝が、三浦氏、中村氏をひきいて大庭御厨に侵攻
保元元年(1156)7月16保元の乱に源義朝(頼朝父)軍として出陣
 兄景義が為朝の矢を受け落馬、兄を助けてその場を退散
平治元年(1159)19平治の乱で義朝は敗死し源氏が没落
 景親は平家への接近へ成功、相模国内の大庭氏の立場が強化
治承4年(1180)5月40以仁王の乱
 足利忠綱と追討の任にあたり勝利をおさめる(在京)
治承4年(1180)8月石橋山の合戦で、源頼朝軍に勝利
山中をくまなく捜索させるが、頼朝を安房へ取り逃がす
治承4年(1180)10月富士川の平家軍と合流予定も、兵を引いて逃げる
景親降伏、上総広常に預けられ、片瀬川で処刑

保元の乱(1156年)

皇位継承問題で、後白河天皇 vs 崇徳上皇に分かれて双方が衝突した政変。勝者は後白河天皇。

勝者:後白河天皇敗者:崇徳上皇
藤原忠道(関白)藤原頼長(藤氏長者)
源義朝(1123|頼朝父)源為義(頼朝祖父、義朝父)
平清盛平忠正(清盛叔父)
源頼政(以仁王の乱 首謀者)源為朝(1139|義朝兄弟)

保元の乱では、大庭景義・景親兄弟は義朝側に付いているので後白河天皇軍。
それに敵対する、源為朝に大庭景義は左足を矢で射抜かれてしまいます。

源為朝は1139年生まれ。為義の八男。鎮西八郎とも。13歳の時に乱暴すぎて父に勘当され九州に追放。
大庭景義(1138)・景親(1140)とは、ほぼ同年代にあたります。

以仁王の挙兵(1180年)

高倉天皇の兄宮「以仁王」と、源頼政が打倒平氏のために挙兵を計画し、諸国の源氏に令旨を発した事件

この乱では、「足利忠綱とともに追討の任にあたった」と見えます。
足利忠綱は藤原秀郷を祖とする、藤姓足利氏5代当主。小山氏とは同族だが勢力争いをしていた。

また藤姓足利氏一門内でも、源氏・平家と内部分裂し、最終的には源氏側に押されて、宗家は滅亡。

石橋山の合戦(1180年)

石橋山(現神奈川県小田原市)にて、源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦い。

伊豆目代「山木兼隆」を倒して、相模国土肥郷まで進出した頼朝軍の追撃するために、大庭景親は、俣野景久(景親弟)、渋谷重国、海老名李貞、熊谷直実ら3000余騎を率いた。

平家方の伊藤祐親も300騎騎を率い頼朝の背後を塞ぎ、悪天候(酒匂川増水)のため三浦軍(頼朝援軍)は来れず、大庭軍から夜戦を仕掛けられ、岡崎義実の子「佐奈田与一」が討ち死して大敗。

この佐奈田与一と一騎打ちをした平家方が、景親の弟「俣野景久」。実際に首を討ったのが従兄弟の「長尾定景」の大庭ファミリーです。

大庭景親ゆかりの場所

大庭氏ゆかり場所マップ(地図)

大庭城址(大庭城址公園)

藤沢市大庭にある現大庭城址公園
大庭城址の石碑は、公園南口側に設置されています。

所在地 :藤沢市大庭5230番1
開園時間:公園自体は年中無休
駐車場 :31台
トイレ :園内に3か所


公園の北西側入口には30台ほどの無料駐車場もあり、その先管理事務所には大庭城に関する展示も。

管理事務所

開所時間:8:30~18:00(4~9月)、~17:00(10~3月)
休館日 :毎週月曜日、年末年始

展示は、大庭氏についてはほんの少ししかありません。
これは明らかな記録が残っていないからだそう。そして大庭氏の居城は別のところにあったという説まで・・・。

室町時代、扇谷上杉氏が大庭御厨を所領とした1452年頃から詳しくなって、太田道灌、北条早雲などの説明が続きます。

大庭神社

大庭城跡からほど近い場所にある大庭神社
大庭三郎景親が祀られていることから、創建は後世。17世紀の江戸時代の頃です。

大庭神社|頼朝を追い込んだ相模の大物、大庭三郎景親を祀る神社(藤沢市稲荷)
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石橋山古戦場

源頼朝率いる源氏軍を10倍以上の兵で敗北に追い込んだ、石橋山の戦い
大庭景親は平家方の総大将だった。

石橋山の戦い|源頼朝軍 vs 大庭景親軍、石橋山古戦場を巡ってきた記録。
石橋山の戦いとは? 治承四(1180)年 8月23日に源頼朝が以仁王の令旨(命令)を受けて挙兵した場所が石橋山。そこで、平家方の大庭景親軍と合戦になった戦いを「…
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