今回は近江源氏の佐々木氏について、その中でも佐々木四兄弟の父「佐々木秀義」から調べてみることにしました。
目次
佐々木秀義(ささき ひでよし)
1112-1184
平治の乱で敗北するまで、近江国蒲生郡佐々木荘を領していた、佐々木四兄弟の父。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、康すおんさんが演じられます。
佐々木秀義の簡易年表
年代 | 年齢 | 出来事 |
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天永3(1112)年 | 0 | 誕生、母は安倍宗任の娘 |
保元元(1156)年 | 45 | 保元の乱、源義朝(頼朝父)&後白河天皇に属し勝利 |
平治元(1159)年 | 48 | 平治の乱、源義朝&義平親子に従い戦うが敗北 |
藤原秀衡を頼って奥州へ逃げ延びる途中、 相模国の渋谷重国に引き留められ、その後20年、渋谷荘で過ごす | ||
治承4(1180)年 | 69 | 大庭景親から頼朝討伐の密事を聞く → 子「定綱」に使いを出し頼朝に知らせる |
元暦元(1184)年 | 73 | 三日平氏の乱で戦死。 |
佐々木秀義親族の系図
平治の乱で敗北し、所領の近江国を追われて逃げようとした場所が、奥州藤原氏のいる東北。
これを頭に入れて系図を見ると面白いです。
安倍宗任(1032)
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藤原基衡(奥州藤原2代)室 安倍宗任の娘============佐々木爲俊
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藤原秀衡(奥州藤原3代) 源為義の娘====佐々木秀義====渋谷重国の娘
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佐々木四兄弟 義清
安倍宗任は、前九年合戦時に陸奥国を支配していた安倍頼時の三男です。長男が安倍貞任。
奥州藤原氏を題材にした大河ドラマ「炎立つ」では、安倍宗任は「川野太郎」さんが演じられています。
さすがの源氏一族。
秀義の母の兄弟が奥州藤原氏の2代目、佐々木秀義と3代目の藤原秀衡とは従兄弟という凄い繋がりです。
佐々木秀義周辺の系図
佐々木秀義の妻は、源為朝の娘、つまり義朝の姉妹です。
義朝から生まれた頼朝は、佐々木四兄弟とは従兄弟という関係になりますね。
佐々木爲俊 源為朝
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佐々木秀義(1112)===== 源為義の娘 源義朝
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定綱(1142) 経高(?) 盛綱(1151) 高綱(1160) 義清(1160以降)
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広綱(?)
佐々木秀義は、5人の子供が有名ですが、そのうち定綱・経高・盛綱・高綱は佐々木四兄弟と言われてます。
渋谷重国の庇護があって相模国渋谷荘に住んでいるときから、頼朝が流された伊豆・蛭が小島に行き来していたようです。
義清は渋谷重国の娘の子なので、佐々木四兄弟とは別行動になることが多いですね。
佐々木氏ゆかりの地(近江国)
YouTubeで見るゆかりの地
沙沙貴神社
佐々木源氏発祥の地とされる「沙沙貴神社」。
JR安土駅(普通しか止まらない駅・・・)から歩いて15分くらいの場所にあります。


※沙沙貴神社の公式HPはコチラ
宇多天皇の子孫、源成頼が近江国佐々木荘に下ってからの、近江源氏ゆかりの場所です。
平治の乱(1159年)に、源義朝側に付いて戦い敗北した「佐々木秀義」は、近江を追われますが、1180年の頼朝の挙兵に、佐々木秀義の息子達「佐々木四兄弟」の活躍で、長男「定綱」が近江守護職に任じられ、所領を回復します。
浄厳院(旧慈恩寺)
浄厳院は、近江守護の佐々木氏菩提寺だった「慈恩寺跡地」に織田信長が作ったお寺です。

