佐々木(四郎)高綱(ささき たかつな)
1160-1214。頼朝に当初から与した佐々木四兄弟の末子。
頼朝、範頼、義経らとは、従兄弟の関係にあたる。愛馬の「池月(いけづき)」は頼朝から頂く。
佐々木高綱の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
永暦元(1160)年 | 0 | 誕生(父:佐々木秀義、母:源為義の娘) |
治承4(1180)年 | 21 | 頼朝の挙兵に他の3人の兄弟と共に参加 山木館襲撃、石橋山の戦いで奮戦。 |
寿永3(1184)年 | 25 | 木曽義仲追討で義経軍に従う 宇治川の戦いで梶原景季と先陣争い |
文治元(1185)年 | 26 | 左衛門尉に |
文治2(1186)年 | 27 | 長門、備前の守護に任じられる |
建久6(1195)年 | 36 | 家督を譲り出家 |
健保2(1214)年 | 55 | 死去(現長野県松本市) |
佐々木高綱周辺の系図
高綱は佐々木四兄弟(母:源為義の娘)の四男です。義清は異母弟(母:渋谷重国の娘)。
源義朝(頼朝の父)と為義の娘は、兄弟姉妹の関係なので、佐々木四兄弟と頼朝(とその兄弟)は従兄弟の関係になります。近江源氏の流れなので、血筋も申し分ないですね。
佐々木爲俊 源為朝
| ┌----┴----┬
佐々木秀義(1112)===== 源為義の娘 源義朝
├------┬------┬-------┬-------┬
定綱(1142) 経高(?) 盛綱(1151) 高綱(1160) 義清(1160以降)
|
光綱(1187)
[乃木氏の祖]
明治の軍人だった「乃木希典」は、高綱流野木(乃木)氏の末裔だそうです。
佐々木氏ゆかりの地
佐々木高綱は出家して「西入」と号してから、日本各地を巡回したようで、各地に高綱ゆかりの場所が沢山あるみたいです。
千束八幡神社
源頼朝が「池月」を手に入れた場所とされるのが洗足池。
この時頼朝は、安房から鎌倉へ向かう途中、千束八幡神社がある場所で泊っていたそうです。
後に、佐々木高綱が頼朝から「池月」を与えられ、木曽義仲の討伐に向かいます。
宇治川
寿永3(1184)年 木曽義仲の追討で、源義経軍に付いた高綱は、宇治川の先陣争いを梶原景季と演じた。