今回は千葉氏稲毛区轟町にある、千葉氏ゆかりのお寺「来迎寺」について深堀してみました。
目次
来迎寺の年表
日時 | 出来事 | 関連人物 |
---|---|---|
1276年(建治2年) | 来光寺(時宗)が、現道場公園の地に創建 | 開山は一遍上人、開基は千葉貞胤 |
天正年間(1573-1592) | 浄土宗に改められる | 知恩院29世・満誉尊照 |
1945年(昭和20年) | 千葉空襲により轟町に移転 |
知東山 聖聚院 来迎寺
来迎寺は、建治2年(1276)一遍上人を開基に千葉貞胤(千葉宗家11代)が建立したと伝える古刹で、古くは来光寺と称し現在の道場公園(院内2丁目)の位置にありました。昭和20年の戦災で全山焼失にあり、現在の地に移りました。
境内には7基の五輪塔が並び、千葉氏胤以下7名の紀年銘が見られます。これ等の五輪塔は、室町時代初期のもので、氏胤ゆかりの追善供養塔と考えられています。
南北朝の戦乱で、千葉貞胤(南朝)と千葉胤貞(北朝|九州千葉氏)が従兄弟同士で戦います。
勝者は南朝側に付いた千葉貞胤で、この戦乱で阿弥陀如来の功徳を得たということで一遍上人等、時宗の僧侶を深く崇敬したようで、このお寺も時宗から始まってます。

来迎寺の場所
同じく昭和20年の戦災で轟町に移転してきた大日寺とは直ぐそばです。
よって、同じく千葉都市モノレール「作草部」駅から徒歩10分ほど、JR西千葉駅からも徒歩10分ほどです。
五輪塔紀年銘一覧
平氏胤語阿弥陀仏(宗家12代) | 応永32(1425)年2月15日 |
円勝禅尼(氏胤夫人?) | 永享8 (1436)年2月15日 |
平満胤弥阿弥陀仏(宗家13代|氏胤子) | 応永32(1425)年9月13日 |
吉原見阿 | 応永32(1425)年2月15日 |
光阿弥 | 応永32(1425)年2月15日 |
母妙仏(氏胤母?) | 応永32(1425)年2月15日 |
(不明) | 宝徳3 (1451)年8月5日 |
千葉貞胤(ちばさだたね)
1292-1351。千葉宗家第11代当主。千葉介。
鎌倉幕府第9代執権「北条貞時」より偏諱を受けて「貞胤」と名乗る。
来迎寺の創建が1276年で開基が千葉貞胤なのに、まだ生まれていないとはどういうことなのか?

千葉氏胤(ちばうじたね)
1337-1365。千葉宗家第12代当主。千葉介。妻は新田義貞の娘。
父「貞胤」の次男として京都で生まれるが、父の死去時、兄の一胤はすでに戦死していたため家督を継ぐ。
千葉満胤(ちばみつたね)
1360-1426。千葉宗家第13代当主。千葉氏胤の子。母は新田義貞の娘。
上杉禅秀の乱(1416年)では、上杉氏憲(禅秀)に付き(1)、鎌倉公方「足利持氏」追放に加担。
(1)満胤の子「兼胤」は上杉氏憲(禅秀)と姻戚関係にあったため

道場公園の場所
旧来迎寺があったとされる道場公園(千葉市中央区院内2)は、千葉神社や大日寺跡のすぐ近くにあります。
千葉氏が居た頃の中心地ですね。