家子|源頼朝に選ばれた御家人2世を中心とした頼朝親衛隊の11人

家子|源頼朝に選ばれた御家人2世を中心とした頼朝親衛隊の11人

2021-08-11

家子(いえのこ)

吾妻鏡によると・・・

養和元(1181)年 4月 7日 壬子

御家人等の中で、特に弓矢に優れたもの、また信頼の厚い人物を選び、毎夜、御寝所の近辺に祗候するように定められた。(俗にいう、頼朝親衛隊、家子)

家子一覧(吾妻鏡 表示順)

御家人名年齢誕生年親、兄弟等
江間四郎(北条義時)191163北条時政 次男、北条政子 弟
下河辺庄司行平下河辺行義 子 
結城七郎朝光141168小山政光 三男
和田次郎義茂和田義盛
梶原源太景季201162梶原景時 嫡男
宇佐美平次実政
榛谷四郎重朝小山田有重 次男、稲毛重成
葛西三郎清重201162豊島清元 子
三浦十郎義連三浦義明 十男、三浦義澄
千葉太郎胤正411141?千葉常胤 嫡男
八田太郎知重八田知家

主に有力御家人の二世世代であり、将来を担う人材の育成という面もあったと見られる。

ウィキペディア

誕生年が不明な御家人が半分以上いますが、20才前後を中心とした人選のような気もします。
が、千葉胤正の年齢が高めなのが気になりますね。

家子詳細(年齢順)

北条義時(家子専一)

北条義時|鎌倉殿の13人の主人公、鎌倉幕府2代執権と北条氏一門
今回は北条義時を中心に、そこから派生した北条氏一門等を整理してみたいと思います。 北条義時(ほうじょう よしとき) 1163-1224年。鎌倉幕府の2代執権。北…
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千葉胤正

千葉胤正|下総国の豪族、千葉常胤の後を継いだ嫡男、頼朝の家子
千葉(新介)胤正(ちば たねまさ) 1141?~1203?。父:千葉常胤の長男。母:秩父重弘の娘。千葉氏第四代当主。千葉氏本流の家督を継ぎました。 千葉胤正の簡…
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梶原景季

梶原景季|歌道にも優れ、源頼朝の家子に選ばれ信頼された梶原景時の嫡男
梶原源太景季(かじわら かげすえ) 1162-1200。頼朝の臣従、家子。 今回は、梶原景時の嫡男、景季について調べてみることにしました。 https://yo…
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葛西清重

葛西清重|西光寺(葛飾区)に居を構え下総国葛西郡を支配した秩父一族の庶流
葛西(三郎)清重(かさい きよしげ) 今回は、鎌倉幕府の御家人「葛西清重(かさい きよしげ)」について、ゆかりの場所に行ってきたついでに、生涯等について整理して…
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結城朝光

結城朝光|寒川尼を母にもつ小山氏流、長命で後半は幕府の重鎮
結城(小山)朝光(ゆうき ともみつ) 1168-1254。下総結城氏初代当主。藤原北家秀郷流小山氏の流れをくむ。母が頼朝の乳母だった「寒川尼」。兄に小山朝政がい…
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下河辺行平

下河辺行平|弓取の名手で頼朝の家子にも選ばれた、藤原秀郷流小山氏庶流
下河辺庄司行平(しもこうべゆきひら) 生没年不詳。藤原秀郷の子孫、下野国小山氏の一門(庶流)。 父「下河辺行義」の時に、下河辺荘が成立して、小山氏からは独立した…
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和田義茂

和田義茂|侍所別当和田義盛の弟で、家子に選ばれた弓の名手
和田(次郎)義茂(わだ よしもち) 生没年不詳。和田義盛の弟。三浦一族としては、弓の名手だったこともあり、佐原義連と一緒に家子に選抜されています。 https:…
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宇佐美実政

宇佐美(平次)実政(うさみ さねまさ) 誕生年不詳-1200。 伊豆国田方郡大見荘の住人。宇佐美でなく大見と表記されることも。 今回は、頼朝の挙兵時(石橋山合戦…
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榛谷重朝

榛谷重朝|榛谷御厨を支配した小山田有重の次男で弓の達人&頼朝の家子
榛谷四郎重朝(はんがや しげとも) 吾妻鏡では、榛谷四郎重朝と表記されることが多いですが、たまに「小山田四郎重朝」や「稲毛四郎重朝」「榛谷四郎」という表記も出て…
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三浦義連

佐原義連|戦国大名の三浦同寸まで繋がる、三浦氏傍流で三浦義明の十男
佐原(十郎)義連(さわら よしつら) 生没年不詳。三浦義明の子(十男?)。三浦義連。鎌倉殿の13人に選ばれた、三浦義澄は兄。(かなり年齢は離れていると思われます…
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八田知重

八田知重|寒川尼を叔母に持つ小田氏の二代目、父は八田知家
八田知重(はった ともしげ) 生没年不詳。頼朝の家子の一人。 父は、13人の合議制メンバー「八田知家」八田太郎、八田朝重、小田知重とも。安貞2(1228)年より…
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家子の仕事(吾妻鏡より)

頼朝、夜中の2時に彗星をご覧になる

文治5(1189)年 2月28日

晴れ、丑の刻(午前2時)になって、住吉昌泰が参上して言った。
「今夜は見慣れない星が見えます。彗星かもしれません。」

源頼朝は御寝所から庭に出て彗星をご覧になられた。

三浦十郎義連と小山七朗朝光が頼朝の前に、梶原源太景季八田太郎朝重が後ろに、帯剣して付き従った。
夜間外に出るときはいつもこのように付き従った。彼らは全員、頼朝の近臣である。

家子専一について(吾妻鏡より)

頼朝存命時代から時は過ぎた、宝治2(1248)年 閏12月28日
家子の一人だった「結城朝光(出家して日阿、当時81才)」と「足利義氏(足利義兼子、当時60才)」が、書簡の末尾の記載で相論となった。

足利義氏が、「足利家は門葉、結城家は御家人なのに、同等とは何事だと」

それに対して日阿は、頼朝時代の主な家子・侍の交名(人物を書き連ねた文書)が記してあり、御判もある文書を北条重時に渡した。

その文章では、足利義兼と結城朝光が同等であること、北条義時は家子の第一であることが明らかだった。

この時代まで生きている家子は結城朝光だけで、その文章を目にした北条重時は先祖の名を高めることが記載されているから名誉の証とするため預かります。ただ、入用の祭はお渡ししますと、なりました。

総論では結城朝光の言い分が通ったようですね。

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