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足立遠元(あだち とおもと)
生没年不詳。
足立氏の祖。武蔵国足立郡(元東京都足立区)を本拠とした在地豪族。
武士でありながら、公文所の寄人に選ばれ、京に明るい人物として京から来た客人をもてなすなど、オールマイティーな人物。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、大野泰広さんが演じられます。
足立遠元の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
0 | 誕生 | |
平治元(1160)年 | 平治の乱 右馬允に任官し、源義平率いる17騎の一人として戦う | |
治承4(1180)年 | 武蔵国に入った頼朝を、武蔵武士の中で最初にお迎えする | |
元暦元(1184)年 | 公文所の5人の寄人(職員)の一人に選ばれる | |
建久元(1190)年 | 頼朝が上洛時、右近衛大将拝賀の布衣侍7人の内に選ばれる 奥州合戦の勲功として左衛門尉に任じられる | |
頼朝の死後、十三人の合議制の一人に加わる | ||
承元元(1207)年 | 闘鶏会参加(吾妻鏡最後の記事) |
吾妻鏡より・・・
実朝の政所始とか
頼朝が亡くなってからも、2、3代鎌倉殿にしっかりと仕えています。
建仁3(1203)年10月 9日
源実朝の政所始が行われた。その後、埦飯、盃酒の儀式、その後初めて甲冑を着て馬に乗られたが、小山朝政と足立遠元らが甲冑とほろを実朝の身につけた。
建仁3(1203)年10月15日
鎌倉中の寺社の奉行について改めて定められた。
(永福寺)阿弥陀堂 足立遠元 北条時房 源光行


吾妻鏡最後の記事
足立遠元が亡くなったという記事は吾妻鏡には書かれていません。
梶原氏、比企氏、畠山氏が滅ぼされた後まで生きていたことから、当初の御家人闘争には生き残っていたようです。
承元元(1207)年 3月 3日
御所の北御壺で闘鶏の会があった。
集まった人々は、北条時房、源親広、結城朝光、和田義盛、足立遠元、安達景盛、三浦義村、長沼宗政ら。
足立遠元の系図
下記の系図は「足立系図」「尊卑分脈」等を参考にしています。
藤原鎌足-不比等-房前、と始まっていて藤原北家流と言うことが分かります。
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藤原遠兼(兄) 安達盛長(弟)
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足立遠元
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藤原光能妻 畠山重忠妻 北条時房妻 元春
※足立氏の系図には諸説あり、上記はその一つです。
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
足立氏ゆかりの地
館跡と伝わる場所が4か所。その三か所が桶川市です。
昔の足立郡は現在の
鴻巣市、北本市、桶川市、伊奈町、上尾市、さいたま市、戸田市、蕨市、川口市、草加市、
東京都足立区
という広大な範囲だったようです。
伝 足立遠元館跡碑
▶ 埼玉県桶川市末広2丁目8-29|🅿あり(総合福祉センター)|
4か所ある足立遠元館の推定地で、もっとも有力視されているのがこの場所(総合福祉センター)
ただ決定的な史料は見つかっていないようです。


三ッ木城跡(足立遠元館)
▶ 埼玉県桶川市川田谷2839-11|🅿あり(城山公園)|
城の居住者は定かではないようですが、足立右馬允遠元(足立遠元)や安達盛長という説があります。
現在の城山公園に突き出た台地上に存在します。
広場管理棟に城山公園のマップがあって、そこに三ツ木城跡の記載があります。


そのほか二か所の館跡は、
さいたま市西区植田谷本内、桶川市神明1丁目の諏訪雷電神社東側付近のようです。