安西という名前は、安房国西部を支配したことに由来するようです。
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安西(三郎)景益(あんざい かげます)
生没年不詳。安房国丸御厨を本拠とする在地領主。
頼朝が石橋山の合戦で敗北し、舟で逃げてきた安房国上陸の直後から房総の武士を集めるなど協力する。
安房国に上陸した頼朝が先ず参詣した洲崎神社⛩安房国一之宮
— kago@鎌倉暮らし (@KagolaboJp) October 19, 2021
拝殿&本殿はなかなか高いところにありました😅
眺望は良いけどね!
🅿️あり、御朱印は書き置き#館山市 #神社仏閣 #洲崎神社 #源頼朝 pic.twitter.com/N2ns99nmby
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、猪野学さんが演じられます。
安西景益の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
不詳 | 0 | 誕生 |
治承4(1180)年 | 一族を引き連れて頼朝の宿泊所に参じる | |
寿永元(1182)年 | 北条政子の出産祈願のために洲崎神社に参る | |
元暦元(1184)年 | 平家追討軍に参加(源範頼軍) | |
元暦2(1185)年 | 豊後国へ | |
建久6(1195)年 | 頼朝の上洛(東大寺再建供養に出席するため)に従う |
吾妻鏡から
安房上陸後の安西景益とのやりとり
治承4年 9月1日
源頼朝は、小さいとき(14歳頃まで京都に)に側で仕えていた安房国住人の安西景益に手紙を送った。
「安房国の在庁官人らを誘って参上してくるように」
同年 9月4日
手紙を受け取った安西景益は在庁官人2,3人を連れて、頼朝の宿所に行き、このように話した。
「すぐに上総広常の所に行くのは危ないので、使者を出して迎えに来るように命じるのがよいでしょう」と。
という訳で、和田義盛を上総広常の場所へ、安達盛長を千葉常胤の場所へ遣わした。
北条政子の安産祈願
寿永元(1182)年 8月11日
その晩、御台所(政子)にお産の気配があった。
頼朝は、御祈祷の為に奉幣の御使を近国の神社へ遣わしたが、その中に安西景益もいる。
安房国洲崎社 安西三郎(安西景益)
東大寺再建供養の上洛に供奉
建久6 3月10日
源頼朝は東大寺供養に参加するため、石清水八幡宮から南都に到着した。
供奉人の行列に安西景益もいる(頼朝の後方の随兵の後方)
安西景益周辺の系図
安西系図によると、平郡氏(古代豪族)から出た一族
安西景房 三浦義澄
| ┌---┴---┬
安西景益=====三浦義澄娘 三浦義村
|
安西景仲
系図にはありませんが、三浦一族は平安末期に安房国平北郡に勢力を持っていたようです。
真鶴から小舟で安房国へ逃れた頼朝が上陸したのが、この平北郡猟島(現鋸南町竜島(りゅうじま))と考えられています。
頼朝の父義朝が東国へ下向した際に、義朝を庇護したのは、上総氏・三浦氏・安西氏の連合でした。
また、義朝の父為義の時代には、安房国丸御厨を所領としていたようで、源氏と安房は昔から関係のある場所。
鎌倉と安房との関係
鎌倉と安房は、昔から関係のある場所でしたが、鎌倉新仏教が隆興してからは安房に所領を持つようになりました。
円覚寺(臨済宗)→館山市西長田
称名寺(真言律宗)→鋸南町佐久間周辺
極楽寺(真言律宗)→館山市宝貝周辺
館山市にある萱野遺跡からは、三鱗(北条氏家紋)が刻まれた瓦が出土したようです。
安西氏ゆかりの地
<参考>房総の頼朝伝説
平松城址(安西景益館跡)
▶ 千葉県南房総市池之内631|🅿なし|
平松城址は、頼朝の安房入国後に最初に参向した安西景益の居城跡とされる場所。安房国府からも近いです。
付近の地名には、木戸、御国(みその)、馬場畑などが残っているようです。
実際の平松城址は道路からさらに700m入った場所で、駐車場も無かったため断念。次回の宿題です。


洲崎神社
▶ 千葉県館山市洲崎1697|🅿あり|
安房国へ上陸した数日後、頼朝は先ず洲崎明神に参詣した。
「呼び集めている、関東の御家人らが皆、帰属してくれたら、神田を寄進するとの願文を奉納した。」
また、北条政子の安産祈願もしています。本殿は物凄い階段の先にありますが・・・。




源頼朝公笠掛の松(洲崎神社内)
▶ 洲崎神社内
こういう〇掛の松っていう史跡はどこにでもありますね(笑)
この洲崎地区には「みよ」と「かさげ」という集落があって、その由来が、洲崎神社を参拝して松に笠を欠けて「あれ見よう、笠掛て」と言った言葉だそう。


一本すすき
▶ 千葉県館山市洲崎1331|🅿あり|保育園運営時間に注意
保育園がやっていて開いてなかったのですが、洲崎神社の横にある養老寺の観音堂前にある一群のススキ。
頼朝が洲崎神社に参詣したとき、昼食時に箸の代用にしたすすきを、地面に刺して「わが武運が強ければここに根付けよ」というと、後に数本根付いたという。


那古寺
▶ 千葉県館山市那古1674|🅿あり
坂東三十三観音霊場の結願寺。
源頼朝が石橋山の合戦で平家方に敗戦し、真鶴から安房に上陸し、7人の御家人とともに再起を祈願した寺院


坂東三十三観音霊場は、平成30年12月19日に結願しました。
元八幡神社(安房国府跡)
▶ 千葉県南房総市府中665|
南房総市指定史跡です。ココの住所は「南房総市府中」。
その昔、安房国の国司の政庁「国府」が置かれた場所。
源頼朝が鎌倉に幕府を開き鶴岡八幡宮を奉祀し、諸国の総社もこれにならって八幡大神を特に崇敬した。
現八幡は、館山駅近くにある「鶴谷八幡宮」
鶴谷八幡宮はもともとココにあって、安房国の総社として国府の地に創建されました。


小網寺
円覚寺や称名寺の梵鐘も手掛けた「物部国光」の梵鐘があります。