比企能員(ひきよしかず)は、源頼朝の乳母「比企尼」の猶子として幕府の中枢に入り、二代将軍・源頼家を支えた有力御家人です。しかし、北条氏との権力争いの末、「比企能員の変」で一族は滅亡しました。
鎌倉だけでなく、埼玉県東松山市には今も比企一族ゆかりの史跡が数多く残されています。
この記事では、人物像だけでなく、現地を実際に歩いて撮影した写真や地図を交えながら、比企能員の足跡をたどります。
人物を知ると、その土地の景色はもっと面白くなります。比企能員ゆかりの地を巡りながら、その生涯をたどってみましょう。
目次
比企能員(ひき よしかず)
生誕不詳-1203。頼朝の乳母「比企尼」の猶子。
二代将軍「源頼家」の乳母父となって、娘(阿波局)が側室に。外戚として権勢を強めた結果、北条氏に狙われました。
この動画では、
- 比企館跡
- 宗悟寺
- 比丘尼山
など、実際に歩いて紹介しています。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、比企能員は「佐藤二朗」さんが演じられました。
比企能員の簡易年表
| 時期 | 年令 | 出来事 |
|---|---|---|
| 不明 | 0 | 誕生 |
| 寿永元(1182)年 | 鎌倉比企尼邸にて、北条政子が源頼家を出産する 比企尼が猶子「能員」を頼朝に推挙し、側近として仕える | |
| 元暦元(1184)年 | 木曽義高の残党討伐、平家追討(源範頼軍)に従軍 | |
| 元暦2(1185)年 | 上野国・信濃国守護となる | |
| 文治5(1189)年 | 奥州合戦で北陸道大将軍に | |
| 建久元(1190)年 | 頼朝上洛時、右近衛大将拝賀の随兵7人の内に選ばれる 右衛門尉に任じられる | |
| 建久9(1198)年 | 娘「若狭局」が頼家の側室に、長男を生み外戚となる | |
| 正治元(1199)年 | 十三人の合議制の一人に選ばれる 梶原景時の変で、排斥側に加担 | |
| 建仁3(1203)年 | 比企能員の変 北条時政の邸宅で、仁田忠常らに殺される。 |
吾妻鏡から詳しく
北条政子、長男頼家の出産
鎌倉の比企尼の屋敷(比企谷)政子の出産場所に選ばれるのは、頼朝が心から信頼しているからに他なりません。
寿永元(1182)年 7月12日
吾妻鏡
北条政子に出産の兆しがあったため、以前から決めてあった比企谷殿(比企能員の屋敷)に、輿を乗って移られた。千葉胤正、千葉胤頼、梶原景季らがお供した。
比企能員の乳母父の理由
吾妻鏡には、頼朝を20年に渡って頼朝を援助してきた比企尼について書かれています。
頼朝の乳母の中でも、比企尼は格別な存在だったと思われます。
同年 10月17日
吾妻鏡
北条政子と源頼家が比企谷殿から幕府御所へ戻った。
佐々木四兄弟が頼家の輿を担ぎ、長沼宗政が弓矢を背負い、結城朝光が剣を持った。
比企能員の姥母「比企尼」は頼朝の乳母であり、頼朝が伊豆に流された時に、武蔵国比企郡に夫掃部允に連れ添い下向し、治承4年に至るまで20年間の間なにかと世話をしていた。
頼朝はその奉公に報いるため、比企尼が甥の能員を猶子として推薦し、かつ、頼家の乳母父になった。
比企能員周辺の系図
比企能員(比企一族)について正確な系図は殆ど分かっていないようです。
「比企藤四郎」と呼ぶこともあって、藤原姓を名乗っていたことは確かなようですが・・・。
比企能員は比企尼の実子ではなく猶子です。
比企尼が能員を推挙し、頼朝の側近として仕え、信頼高く吾妻鏡でも頻繁に登場します。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、比企尼は「草笛光子」さんが演じられました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、比企能員の妻「道(みち)」は「堀内敬子」さんが演じられました。
系図に登場する人物
比企能員ゆかりの地
武蔵国比企郡中山郷(現比企郡川島町)
比企一族が本拠とした中山郷の推定地です。中山の地名が残っています。
東松山市大谷地区
下記の史跡を巡るには、東松山市大岡市民活動センターの駐車場(無料、開館時間内)を使わせてもらえます。館内には比企一族に関する展示もあります。

城ヶ谷(比企能員館跡)
雷電山の真南にある奥深い谷、口碑も伝えるも館跡は発見されていない。
頼家死後、若狭の局に従って落ちてきた、頼家側近の子孫が住んだとされる場所。


宗悟寺
夫頼家を殺された若狭局が庵を結んだ場所。
頼家公のご位牌を若狭の局が持参したと伝わります。


梅ヶ谷
若狭の局が年老いて隠棲した場所


比企尼山
比企尼が夫「比企遠宗」亡きあと、尼となって草庵を結んだ場所


串引き沼
祖母比企尼の勧めで、心の迷いを去るために、頼家からもらった鎌倉彫の櫛を捨てた場所


比企判官旧地(物見山)
まだ、未訪問です。。。
正法寺(岩殿観音)
比企能員が深く帰依していた岩殿観音。
源頼朝が制定した坂東三十三観音霊場に、比企氏のお膝元だったこのお寺が選ばれました。第10番札所。
開山から300年経過し傷みが激しい諸堂を復興させ、比企能員は中興の祖とされています。(寺伝)


妙本寺(比企能員邸)
比企谷(鎌倉市大町)にある妙本寺。
頼朝の乳母だった比企尼は、拠点だった武蔵国比企郡中山郷に住していたが、夫「比企掃部允」が病死し、本人は出家した。
そこで頼朝は、比企尼を鎌倉に住まわせて、その地を比企谷(ひきがやつ)と呼びました。

