本能寺について
法華宗(日蓮宗)の大本山。洛中法華二十一ヵ寺本山の一つ。開山は日隆。
前身寺院から、火災での焼失などで移転を繰り返し、天正二十(1592)年に現在地へ。
9月15日には放生会が行われ、三条大橋付近から川魚を鴨川に放流します。
本能寺の変
天正十(1582)年、明智光秀によって織田信長が討たれた本能寺の変は、移転前の蛸薬師西洞院あたりにありました。
当時も日蓮宗で広大な寺域。歴史的事件が置きた場所には石碑が建っています。
織田信長の廟所
本堂の裏手には織田信長の廟所があります。
信長が自刃した後に、三男の信孝の命によって建てられました。信長所持の太刀が納められているらしいです。
織田信長廟所の隣に3名の石塔・供養塔が並んでいます。
織田信長とは関係なく、日蓮宗信者か本寺を信仰していたかの関係でしょうか。
浦上玉堂父子の墓
本堂の裏手に文人画家の浦上玉堂・春琴父子の墓もあります。
岡山出身で50歳の時に親子で出奔。晩年は京都に定住したようです。
代表作は、国宝にもなっている「東雲篩雪図(とううんしせつず)」。鎌倉ゆかりの人物「川端康成」が所有していました。※鎌倉市が保有する国宝になっています。
本能寺へのアクセス
地下鉄東西線「京都市役所前」駅すぐです。