池禅尼(いけのぜんに)
1104-1164
平忠盛の正室。平清盛の継母(北条義時でいうと牧の方)。出家前の名前は「平宗子」。
池禅尼の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
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長治元(1104)年? | 0 | 誕生(父:藤原宗兼) |
保安元(1120)年 | 平忠盛(平家棟梁)と結婚 | |
平家盛(忠盛2男)を出産 | ||
長承2(1133)年 | 平頼盛(忠盛5男)を出産 | |
大治2(1127)年 | 家盛が死亡 | |
仁平3(1153)年 | 忠盛死去後、六波羅の池殿で暮らし「池禅尼」と呼ばれる | |
永暦元(1160)年 | 清盛に対して、頼朝の助命嘆願する | |
長寛2(1164)年 | 死去 |
年表については、平治物語、ウィキぺティアなどを参考にしています。
池禅尼周辺の系図(朝廷方)
池禅尼(平宗子)は、待賢門院(鳥羽天皇皇后の璋子)近臣家の出身。
また、従兄弟の藤原家成は美福門院とも従兄弟関係のある、鳥羽上皇の寵臣。
この幅広い人脈こそ、平忠盛の正室にふさわしい人物。
藤原隆宗 藤原顕季
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平宗兼 女===家保 長実
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池禅尼(平宗子) 藤原家成(鳥羽上皇寵臣) 得子(美福門院)===鳥羽天皇
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成親 近衛天皇
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
池禅尼周辺の系図(平家方)
平清盛の父「平忠盛」には6人の男子がいますが、正室の池禅尼が産んだ男子は、家盛と頼盛の二人
平忠盛=====池禅尼(平宗子)
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平清盛 経盛 教盛 忠盛 平家盛 頼盛
┣---┳ (早死)
平重盛 宗盛
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平維盛
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
平家盛(忠盛次男)
1123?-1149
久安5(1149)年、鳥羽法皇の熊野詣に同行していたが、参詣の途中に体調を崩し、都に戻るまでに死去。
これにより、清盛の後継者が確定。
平治の乱で捕らえられた源頼朝が幼い頃の家盛に似ているということで、清盛に助命嘆願を訴えた。(平治物語)
平頼盛(忠盛5男)
1133-1186
壇ノ浦の戦いでも生き残った人物。鎌倉へ行った際も、池禅尼の実子ということもあり頼朝から厚いもてなしを受ける。
池禅尼ゆかりの地

