加賀美遠光|甲斐源氏の一人。平家滅亡後に御門葉として鎌倉幕府に貢献。

加賀美遠光|甲斐源氏の一人。平家滅亡後に御門葉として鎌倉幕府に貢献。

加賀美遠光(かがみ とおみつ)

1143-1230
父「源義光」の四男で「武田信義」の弟。現在の山梨県南アルプス市にあった加賀美郷に所在する加賀美荘を本領とした。源氏六人受領の一人として信濃守に任ぜられる。

加賀美遠光の簡易年表

時期年齢出来事
康治2(1143)年0誕生(源清光の三男)
保元2(1157)年15元服
承安元(1171)年高倉天皇が病気の際に宮中に呼ばれ、源家伝来の「鳴弦の術」によって、
直ちに病魔を退散させ、数々の恩賞を賜る
文治元(1185)年御門葉の一人となり、信濃守に任ぜられる
寛喜2(1230)年死去。元仁元(1224)年の説もある

加賀美遠光周辺の系図

源義清
 |
源清光
 ├---┬----┬------------------┬
 光長  信義   遠光=====和田義盛妹       義定
(逸見)(武田) (加賀美)              (安田)
          ├-----┬-----┬
          光経    長清    光行  
         (加賀美) (小笠原) (南部)

妻が和田義盛の妹

加賀美遠光の妻は、杉本義宗の娘(つまり和田義盛の妹)です。

加賀美遠光の生誕は1143年。1180年の頼朝の挙兵前までに結婚している可能性は濃厚なので、三浦一族と甲斐源氏は以前から繋がっていたとも考えられますね。

加賀美遠光(甲斐源氏)ゆかりの地

遠光寺(加賀美遠光の墓)

▶ 甲府市伊勢2-2-3 | Pあり |

健保2(1214)年に加賀美遠光が自らの菩提寺として建立。
開山はのちの日宗で、日蓮宗(当時は臨済宗)の寺院。室町時代後半に水害のために現在地に移転。

加賀美遠光の墓は、墓地に入ってすぐ右の道をまっすぐ行くとあります。
説明板等が無いので、お墓の石柱に彫られている「遠光院殿御廟前」の文字を頼りに探しましょう!

法善寺(加賀美遠光館跡)

▶ 南アルプス市加賀美3509 |Pあり |

法善寺。正式名称は「加賀美山 法善護国寺」。
822年に空海が創建し、建久年間に加賀美遠光が加賀美の地で再興。武田八幡宮(韮崎市)の別当となりました。

遠光の孫「遠経」が、遠光屋敷跡へ移して再興。

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