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高野山と鎌倉には、以外な関係が!
高野山といえば平安時代に空海(弘法大師)が開いた密教(真言宗)の聖地で、鎌倉とは縁もゆかりもなさそうと思ったのですが、そうではありませんでした。
実は鎌倉幕府の中枢にいた源頼朝や北条政子は、高野山に深い祈りと政治的なつながりを持ち、金剛三昧院 をはじめとする伽藍の整備にも関わっています。実際は、それだけじゃなくて、日蓮上人、安達泰盛、北条時宗なども。
今回はそんな高野山へ金剛三昧院をメインに一泊二日の宿坊ステイを兼ねて、鎌倉を見つけに行ってきました。
高野山に行く前に
高野山を訪れる際には、まず 丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)に参拝するのが本来の作法とされています。その理由は、高野山という宗教都市が「空海の発見」ではなく、土地の神に導かれて成立した聖地だからです。
車でしか行きにくい微妙な場所にあるのですが、レンタカーを借りて頑張って行ってきました。
源頼朝・北条政子ら鎌倉幕府の人々は、高野山を武家政権の祈りの中心として重視しました。
政子が建立を支えた金剛三昧院 も、丹生都比売神の加護を前提とした高野山信仰の流れの中に位置づけられます。
丹生都比売神社(世界遺産)
丹生都比売神社は、和歌山県かつらぎ町にある丹生都比売を祀る古社で、高野山一帯を守る地主神として古くから信仰されてきました。主祭神の丹生都比売は、神話の系譜の中で 天照大神(あまてらす)の妹神とされる系統 に位置づけられることがあり、水・農耕・大地の恵みを司る女神で、空海が高野山を開く際にこの神の許しを得たと伝えられています。
丹生都比売が持っていた高野山という場所を、空海に渡したって事ですね。



丹生都比売神社の境内には、かつて北条政子が建立した御影堂(みえいどう) の跡が残っています。
御影堂とは、高野山を開いた弘法大師・空海の御影(みえい=肖像)を安置するための堂で、政子が高野山への深い信仰を示した象徴的な建物でした。
政子は源頼朝の菩提を弔い、鎌倉将軍家の安泰を祈るために高野山へ寄進を重ねましたが、その祈りは山上だけでなく、高野山の地主神である丹生都比売神を祀るこの地にも向けられていたと考えられます。

その他
丹生都比売神社へ立ち寄ったのであれば、ついでに弘法大師・空海の母 玉依御前(たまよりごぜん) を祀る慈尊院、その慈尊院のすぐ隣にある古社で、 高野山の地主神である丹生都比売と高野御子(狩場明神)を祀っている丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)もおすすめです。
ともに、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産(世界文化遺産)に登録されています。
金剛三昧院(世界遺産)
金剛三昧院は、高野山の塔頭寺院の中で唯一、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に選ばれている特別な寺院です。 創建は建暦元年(1211年)。源頼朝の菩提を弔うため、妻の 北条政子 が発願して建立しました。
鎌倉と高野山の関係を象徴する寺院です。
ただし、高野山は女人禁制だったため高野山の山上(壇上伽藍・奥之院)には一度も入っていません。建立の発願・資金・人材の手配はすべて北条政子が行い、実務は使者が山上で進めたと思われます。
北条政子が実際に足運んだのは前に記載した、丹生都比売神社か慈尊院でしょう。


境内でひときわ目を引くのが、北条政子が貞応2年(1223年)に建立したと伝わる 国宝・多宝塔 です。現存する多宝塔としては日本で2番目に古く、運慶作と伝わる五智如来像を安置しています。
ちなみに、今の高野山大学の場所にも源実朝の位牌?遺髪?を収めた多宝塔があったようですが、燃えてなくなってしまったとか。
現在、日本最古の多宝塔は、大阪府河内長野市にある金剛寺の多宝塔。ここも「女人高野」として知られる寺院です。

説明版には、源頼朝、実朝の御霊を供養するために、西暦1223年頼朝の妻北条政子により建立されました。と記載されています。
高野山で、源頼朝や北条政子の文字を見ることができるなんてちょっと感動ですね。

金剛三昧院の本尊 愛染明王 は、 北条政子が仏師・運慶に依頼し、 源頼朝の等身大の坐像念持仏(念持仏)として造らせたもの と伝わります。

高野山には一般的なホテルや旅館は存在せず、 宿泊施設はすべて「宿坊(しゅくぼう)」 です。
宿坊の食事は、朝も夜も精進料理。
翌朝は 6時30分から勤行(ごんぎょう) に参加。 僧侶の読経が堂内に響き、終わったら観光客もいない静かな境内を散策できます。
そして気になったのか、あちこちにある二つ引両の家紋。これは足利家の家紋で、室町時代は足利家から莫大な支援を受けたことからそうなっているとか。笹竜胆じゃないんですね。
奥の院で鎌倉関連墓探し
高野山に来たからには、やはり奥之院の参道を歩きます。 ただし、織田信長・豊臣秀吉・武田信玄・上杉謙信といった有名な戦国武将の墓所には、今回はほとんど目もくれませんでした。
自分が探していたのは、鎌倉ゆかりの人物の墓や宝篋印塔。 奥之院は「日本史の縮図」と言われますが、その中に確かに鎌倉の影が息づいています。

曽我兄弟の墓
仇討ちで知られる曽我十郎・五郎兄弟。
鎌倉幕府初期の事件の当事者であり、奥之院には兄弟の供養塔が静かに佇んでいます。

熊谷直実と平敦盛
一ノ谷の「敦盛最期」で知られる二人。直実は後に出家して法然の弟子となり、念仏の道へ。
奥之院には直実・敦盛の供養塔があり、鎌倉武士の“祈りの行き先”を感じます。

小田原北条氏
戦国の北条氏ですが、鎌倉北条氏の名跡を継いだ家系。北条早雲は鎌倉市にある玉縄城を築城しています。
奥之院には北条氏の供養塔が並び、鎌倉の記憶を戦国期まで引き継いでいます。

多田満仲の墓
摂津源氏の祖であり、源頼光・頼信へと続く武門の始祖。
鎌倉武士の源流にあたる人物として、奥之院でも存在感があります。

山口毛利家墓所
毛利元就の家系は、鎌倉幕府の御家人・大江広元を祖とする。
そのため毛利氏の墓所も、鎌倉の血脈を感じさせる存在です。

薩摩島津家墓所
島津氏もまた、源頼朝の家臣・惟宗忠久を祖とする家系。
奥之院の島津家墓所は、鎌倉武士の末裔が南九州で大名へと成長した歴史を物語ります。

鎌倉にゆかりがある高野山スポット
高野山には、金剛三昧院以外にも、 鎌倉時代の人物や物語とつながる場所が静かに残っています。 今回はその中から、勧学院・五坊寂静院・西室院の三つを訪ねました。
勧学院
勧学院は、かつて高野山の学問所として機能した場所。 鎌倉時代には、幕府から派遣された僧や学僧がここで学び、 鎌倉と高野山の知的交流の拠点となっていました。
もともとは、第8代執権の北条時宗が、金剛三昧院境内に建立したものがこちらに移されたとのこと。


五坊寂静院
五坊寂静院は、日蓮聖人が高野山で法論を挑んだと伝わる場所。 (実際に論争が行われたかは諸説ありますが、伝承として残る)
五坊寂静院(ごぼうじゃくじょういん)は、高野山の中でも静けさが深い小院ですが、 その創建者として伝わるのが 源頼朝の三男で庶子の貞暁(じょうぎょう) です。異母弟実朝より6歳年長になります。


西室院
西室院は、源頼朝・源頼家・源実朝の三代を供養する「源氏三代の墓」を守る院として知られています。

とはいえ、今は五輪塔まで近づくことは出来ず、駐車場から庭が見える隙間の空いた扉から覗いて見つけることができる程度です。

おまけ:GRAN天空
帰りは、南海電鉄の観光列車 GRAN天空 に乗って、極楽橋から難波へ。 食事付の最上席は、1万円越えでさすがに手が出ませんが、普通席でも十分に特別感があります。
極楽橋からは1日2本(10:47発、14:58発|土休日)出ていますが、10:47発はその日高野山で観光できない時間帯なので比較的予約が取りやすかったです。
逆に14:58発は大人気で予約争奪戦の予感がします。

九度山駅を過ぎると三号車のロビーラウンジで社内販売が利用できます。
大きな窓から山の景色を眺めながら、 ちょっと贅沢に、和歌山県産の白桃ジュースを飲んで、ゆっくり過ごしました。
ちなみに九度山駅では8分ほど停車。
駅構内の「おむすびや」が有名なようで、電車に乗っていたお客様はわれ先にと購入していました。

極楽橋から南海難波駅までは約1時間30分。
急行・準急・普通だと、苦痛の時間もGRAN天空だと、まだまだ乗っていられるってなるから不思議ですよね。
難波駅ではグラン天空専用の0番線ホームがあって、そこに到着です。

高野山で鎌倉をたくさん見つけることが出来ました。
日本各地にはまだまだ鎌倉を見つけることができる場所がたくさんありそうです。
