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源義朝(みなもとのよしとも)
源義朝(みなもとのよしとも|1123-1160)は、鎌倉幕府を開いた源頼朝、そして源義経らの父にあたる河内源氏の武将です。
少年期に東国へ下り、上総氏・三浦氏などの武士たちと関係を築きながら勢力を拡大。やがて京都へ戻ると、保元の乱では平清盛とともに後白河天皇方として戦い、勝利を収めました。
しかし、そのわずか3年後に起きた平治の乱では清盛と敵対。敗れた義朝は再起を図るため東国を目指しますが、その途中、尾張国野間で家臣の裏切りに遭い、38歳で生涯を終えます。
義朝自身が鎌倉幕府を見ることはありませんでした。しかし、義朝が東国で築いた武士たちとのつながりは、のちに息子・頼朝が挙兵し、鎌倉を本拠とするうえでも無視できない存在です。
この記事では、源義朝の生涯をたどりながら、頼朝以前の源氏と東国、そして鎌倉とのつながりを見ていきます。
逗子市沼間の法性寺
— kago@鎌倉暮らし (@KagolaboJp) July 15, 2021
ここら辺に頼朝の父だった、源義朝が亀ケ谷に移る前に住んでた邸宅があったようです。
東逗子、近いのに見落としてたなぁ😅#逗子 #源義朝 pic.twitter.com/k90IjMgrip
大河ドラマ「平清盛」では、玉木宏さんが演じられています。(幼名:武者丸)
源義朝の簡易年表
| 時期 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 保安4(1123)年 | 0 | 誕生(父:源為義) |
| 少年期に東国へ下向 安西氏・三浦氏・上総氏の連携庇護を受け成長する | ||
| 永治元(1141)年 | 19 | 長男:義平誕生。母は三浦義明の娘。 |
| 康治2(1143)年 | 21 | 次男:朝長誕生。母は波多野氏の娘。 |
| 久安3(1147)年 | 25 | 京に戻り、3男(嫡男):頼朝誕生。母は由良御前。 |
| 仁平3(1153)年 | 31 | 従五位下・下野守に任じられる |
| 久寿2(1155)年 | 33 | 大蔵合戦 長男「義平」が弟「義賢(木曽義仲の父)」を討つ |
| 保元元(1156)年 | 34 | 保元の乱 後白河天皇方として平清盛と共に崇徳上皇方と戦い勝利する |
| 平治元(1159)年 | 38 | 平治の乱 信西追討後、賊軍となった義朝らが、官軍清盛軍に惨敗する |
| 38 | 尾張国野間で乳兄弟「鎌田政清」の長田父子に裏切られ殺害 |
なぜ源義朝は東国へ下ったのか
源義朝は父為義の長男だったが、次男の義賢(木曽義仲の父)を嫡流にするために、東国に下向(つまり廃嫡)したと考えられているようです。
父為義が安房国丸御厨を領地として相続していたためそこへ移り、上総氏の庇護を受け「上総御曹司」に。その後は、安西氏・三浦氏からも庇護を受け、三浦義明の娘を嫁に貰い、三浦半島に近い沼浜(現逗子市沼間)で長男義平を産んで育てたと想像できます。
まだ、頼朝が石橋山の戦いで安房へ逃れた時、まず安西氏を頼れたのはすでに繋がりが有ったんですね。
保元の乱|父・為義と戦った源義朝
保元元(1156)年、鳥羽法皇の死をきっかけに、朝廷内部の対立が武力衝突へと発展します。
これが「保元の乱」です。
この戦いで源義朝は後白河天皇方につき、平清盛らとともに崇徳上皇方と戦いました。
しかし、敵方には義朝の父・源為義や弟の源為朝らがいました。
つまり保元の乱は朝廷内部の争いであると同時に、河内源氏にとっては父と子、兄と弟が敵味方に分かれて戦う一族の内紛でもあったのです。
戦いは後白河天皇方の勝利に終わり、義朝は勝者となりました。一方、敗れた父・為義は捕らえられ、その後処刑されます。
源氏一族に大きな傷を残した保元の乱でしたが、義朝にとっては武士として朝廷内で存在感を高めていく転機にもなりました。
そしてこの戦いで義朝と同じ後白河天皇方として戦った武将が、平清盛です。
このときは味方だった二人。
しかし、わずか3年後――。
義朝と清盛は、今度は敵として戦うことになります。
平治の乱|平清盛との対決と敗走
保元の乱から3年後の平治元(1159)年。
朝廷では後白河上皇を取り巻く勢力の対立が激しくなり、藤原信頼と結んだ源義朝は挙兵します。
平清盛が熊野詣で京を離れている隙を突き、後白河上皇と二条天皇を確保。さらに信頼と対立していた信西を追い詰め、一時は京の主導権を握りました。
しかし、清盛が京へ戻ると状況は一変します。
二条天皇らが義朝・信頼方から脱出すると、清盛側は官軍として義朝らと対峙。戦いに敗れた義朝は、再起を図るため京都を離れます。
義朝が目指したのは東国でした。
かつて自らが勢力を築き、三浦氏や上総氏など多くの武士たちと関係を結んだ土地です。
追討を受けながら東海道を進む途中、朝長らは命を落とし、頼朝は一行からはぐれて平家方に捕らえられました。東国で力を蓄え、京都へ進出し、保元・平治という二つの大乱を戦った源義朝の生涯は、ここで幕を閉じました。
しかし、義朝が目指した東国には、その息子が戻ってきます。
それから約20年後の治承4(1180)年。伊豆で挙兵した源頼朝です。
東国への敗走と最期
平治元年12月27日
平治の乱で敗北した義朝軍は、東国で勢力を挽回するために東海道を下った。
義朝に伴った主な人物は、下記の通り
義朝の息子達:義平(鎌倉悪源太)、朝長(松田冠者)、頼朝
大叔父 :源義隆(陸奥六郎)、平賀義信(新羅三郎義光4男)、源重成(美濃源氏)
家臣達 :鎌田政清(乳兄弟)、斎藤実盛、渋谷金王丸(土佐坊昌俊)
しかし度重なる落武者への追討軍との戦いで
朝長、源義隆、源重成は深手を負い命を落とし、
頼朝は、一行からはぐれ平家方に捕らえられ、
義平は、一旦離脱し父義朝の死を知ると、京へ戻り潜伏、清盛暗殺を試みるも失敗した。
また、落ち延びることに成功した2人は、
平賀義信:頼朝の挙兵に従い鎌倉幕府の有力御家人となり、
斎藤実盛:後に平家方につき、寿永2(1183)年の源氏方(木曽義仲軍)との戦いで命を落としました
12月29日
乳兄弟の鎌田政清の舅で長年の家来だった長田忠致とその子景致がいる、尾張国野間に身を寄せた義朝たちは、恩賞目当ての長田父子に裏切られ、義朝は入浴中に襲われ死亡。政清は酒を飲まされ殺害された。
翌 正月5日
幼かった渋谷金王丸が、源義朝の死を伝えるため、愛妾だった「常盤御前」の下に到着する
後日談
治承4(1180)年 9月17日
頼朝と千葉常胤率いる一族が合流。
義朝の大叔父だった陸奥六郎義隆の息子「毛利頼隆」が源頼朝と下総国府で会うことになります。
父義隆が平治の乱(比叡山の龍華越)で命を落とした時、頼隆は生まれてわずか50日。
しかし義朝の縁坐に処せられて、千葉常胤に命じて下総国に流されていた。
源義朝周辺の系図
義朝には多くの兄弟、子供たちがいますが、有名で歴史に名前がそれなりに残っている人物を書いています。
源為義
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源義朝 義賢 為朝 行家
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源義平 朝長 頼朝 希義 範頼 全成 義経 義仲
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
源義朝の弟、源義賢の子供には、将来頼朝のライバルになる木曽義仲がいます。
保元の乱では、父「為義」弟「義賢」「為朝」らと親族内で争い、全員亡くなっています。
源義朝ゆかりの地
法性寺(沼間の旧宅)
鎌倉市の隣である逗子市。
JR東逗子駅の周辺に広がる逗子市沼間には、頼朝の父「源義朝」が少年時代に住んだと言われる「沼浜の旧宅」が有った場所とされています。
長男「義平」の母は三浦義明の娘。
沼間は三浦半島と鎌倉の間に位置していて、義朝が京に戻ったあとも、義平はココを拠点に暮らしていたと考えることができそうです。


寿福寺(鎌倉義朝館)
鎌倉市にある鎌倉五山第三位の寿福寺(臨済宗)
この場所は元々頼朝の父「源義朝」の館が有ったと伝わり、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂と建てたと説明板には書かれています。
岡崎義実は三浦義明の弟で、義朝は三浦義明にとっては婿。姻戚関係にありました。


勝長寿院
勝長寿院は、文治元(1185)年、源頼朝が父義朝の供養のために創建した、頼朝建立3大寺院の一つ。
現在は石碑と、義朝と家人で乳兄弟の鎌田清政の供養塔が置かれている。


野間大坊(源義朝の墓|尾張国野間)
平治の乱で平清盛(平家方)に敗北し、東国へ逃げる最中に立ち寄った、野間で、味方と思っていた長田父子に誅殺された、源義朝終焉の場所。
野間大坊には義朝のお墓があります。
ミニ漫画で読む源義朝
ここまで紹介してきた源義朝の短い生涯を、8コマのミニ漫画にまとめました。

KAGOLABO選書・・・この記事をもっと楽しむ3冊
この記事に関連する書籍の中から、KAGOLABOがおすすめする3冊をご紹介します。
🥇 一番おすすめ
源為義・義朝・頼朝・義経という4人の人物を軸に、源氏がどのように「武家の棟梁」となっていったのかをたどる一冊。
源義朝についても、東国との関係や平治の乱、頼朝以前の鎌倉などが詳しく取り上げられています。
「なぜ源氏だったのか」「なぜ鎌倉だったのか」を知りたい方にもおすすめです。
🥈 より深く学びたい方へ
源義朝の生涯を語るうえで欠かせない「保元の乱」と「平治の乱」。
源氏と平氏だけでなく、王家・摂関家・貴族たちの対立も含めて、平安時代末期に起きた二つの兵乱を読み解く一冊です。
義朝と平清盛がなぜ戦うことになったのか、その時代背景をもう少し深く知りたい方におすすめです。
🥉 NHK大河ドラマで鑑賞
2012年放送のNHK大河ドラマ『平清盛』。
主人公・平清盛を松山ケンイチさん、源義朝を玉木宏さんが演じ、若き日の二人から保元・平治の乱へと向かう時代が描かれています。
書籍だけでなく、映像から平安時代末期の世界や源義朝を楽しみたい方におすすめです。

