三浦一族|鎌倉殿の13人「三浦義澄」ゆかりの地を巡る三浦半島(横須賀市)

三浦一族|鎌倉殿の13人「三浦義澄」ゆかりの地を巡る三浦半島(横須賀市)

2021-05-11

今回は2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習ということで、13人のうちの一人「三浦義澄」を起点に、三浦一族宗家ゆかりの地を三浦半島(特に本城があった衣笠周辺)を巡ってみました。

鎌倉とほど近い場所にあった三浦半島。鎌倉ゆかりの地ですね。

三浦一族宗家ゆかりの地マップ(地図)

まずは位置関係を分かるようにゆかりの地をマップ(地図)に落としてみることにしました。

今回は三浦義澄を主人公にしていますので三浦一族本家がメインですが、一族が滅亡した後に室町時代、北条早雲と果敢に戦った、佐原流三浦氏も一部掲載しています。

三浦一族(本流)

三浦一族(本流)は7代に渡って形成しました。
今回は、鎌倉殿の13人の一人「三浦義澄」を主人公(本人)としてコンテンツを作成しますので、

三浦為通
 |
 為継
 |
 義継
 ├-------------------------┬
三浦義明                      岡崎義実
 ├------┬------┬           |
杉本義宗   三浦義澄   佐原義連        佐奈田義忠
 |      |
和田義盛   三浦義村    
 |      |
        泰村(滅亡)

となり、義澄は本家5代目ということになります。で、最も有名なのは父の「義明」でしょうか。

三浦義澄(鎌倉殿の13人)

では、三浦義澄と周辺人物の関係についてちょっと調べてみます。

三浦義澄(みうら よしずみ)|生誕1127-死没1200

源頼朝は1147年生まれ、北条義時は1163年生まれですから、親子くらい離れてます、かなり年配ですね。
子の義村が1160年生まれなので、義時とほぼ同い年、この二人かなりの親友だったようです。

こういう年齢で関係を把握することはとっても大切ですね。

征夷大将軍の除書を受け取った人物

建久3(1192)年 7月26日

征夷大将軍の除書を持参した勅使2人が鎌倉に到着。
2人は先例に従って、鶴岡八幡宮の境内に並び立つと、使者を通じて除書を進上すると申した。

それに頼朝が遣わした人物(使者)こそ「三浦義澄」である。

義澄は、比企能員、和田宗実など郎従十人を引き連れて、鶴岡八幡宮寺に参って、除書を受け取った。
多くの人々の中で義澄がこの役を果たしたことは、面目この上ないもの。

亡父「三浦義明」が命を頼朝に捧げた、その勲功は死後、その子孫に賞したということだという。

三浦一族本家ゆかりの地

YouTube

三浦半島(衣笠周辺)にある三浦一族に関係するゆかりの場所を10分程度の動画に纏めています。

衣笠城跡(三浦一族ゆかり)

衣笠城跡は鎌倉時代の山城です。なので、石垣や天守閣などはありません。
JR衣笠駅から約3kmほど、アップダウンも結構あるので、衣笠城址まではバスがおススメです。

前九年の役(1051-1062)で源頼義に従った「村岡平太夫為道」が戦功で三浦の地を与えられて、三浦半島の中心地に建てた城。地図で見ると、確かに衣笠城って三浦半島のど真ん中にありますよね。

村岡平太夫為道の村岡って、桓武平氏が移った藤沢市村岡ゆかりの人だろうから元平氏だけど、源氏側(源頼義)についた武将ですね。恩賞で三浦の土地をもらって村岡から三浦に名前を変えて「三浦為道」と初代三浦一族に。

つまり衣笠城は約184年間もの間、三浦一族本家のゆかりの地で絶対押さえておかなくてはいけない場所。

大善寺

衣笠城跡には、すぐ下にある「大善寺(曹洞宗)」と繋がっています。
2代「為継」とゆかりがあり、三浦一族の勉強の場所だったようです。

太田和交差点

JR衣笠駅から衣笠城跡に向かう途中に大きな交差点(太田和交差点)があります。

三浦義明(義澄父)の三男「義久」が大多和氏を名乗り、相模国三浦郡大多和村(現:神奈川県横須賀市太田和)を本貫地としたようですが、この辺ですね。

この横須賀市衣笠周辺には、このように三浦氏の庶流で○○流の地名が沢山あるので、そういう発見も面白いですね。

清雲寺(三浦氏先祖の菩提寺)

ここは2代「為継」の五輪塔を中心に、初代、三代と五輪塔が並んだ場所です。清雲寺の本堂の右脇を通り、本堂の丁度後ろ側にあります。

三浦義澄から見ると、おじちゃん、ひいおじいちゃん、ひいひいおじいちゃんの墓があるということで、ちょっと遠い人物でしょうか。でも大切な先祖です。

三浦氏二代の「三浦為継」は、鎌倉の御霊神社(坂ノ下)の祭神になっている、鎌倉権五郎景正と絡んだ人物。

後三年合戦(1083-1087)で、共に源義家の陣営に加わって戦った時、鎌倉権五郎景正は敵矢を目に受けた抜くことなく敵を射殺。その後、帰陣した後、影正の顔を踏みつけて矢を引き抜こうとして、「なんで、生きてるときに顔踏まれたあかんねん!」激怒されたという有名な話です。

義明山 満昌寺(伝三浦義明廟所)

次は、三浦義澄の父「義明」ゆかりの地。山号がもう義明山ですから。また「三浦大介義明」とも言われますね。

満昌寺公式HP

吾妻鏡にも、建久5(1194)年 9月29日

頼朝は、故三浦義明の没後を弔うため、三浦の矢部郷の内に一堂を建立しようと思い立ち、今日、中原仲業に命じてその場所を巡検させた

と書かれています。

三浦義明は「三浦介」を名誉称号として本家に世襲させ、周辺豪族と姻戚関係を結び、房総の各地にも勢力をっ拡大、傍流も沢山作り、三浦一族発展の基盤を固めた人物です。

境内には「源頼朝公お手植えつつじ」もあり、頼朝の感謝の気持ちが見られます。

石橋山の戦い(衣笠城合戦)関連では、衣笠城を平家側に囲まれ、子「義澄」らを安房へ逃がし、自分は自害という生き様が、今も日本中に散らばる三浦の血を引く人たちの伝説・誇りとなってますね!

また、このお寺を再興したのは「天岸慧広(てんがんえこう)」で、鎌倉の竹寺で有名な報国寺を開山した人物。それ以降臨済宗建長寺派となってます。

御霊神社(和田義盛建立 説)

御霊神社は満昌寺の境内、三浦義明廟所の前にあります。近代的な宝物殿がかつての御霊社と。

和田義盛(初代政所別当)って名前からイメージして三浦一族と関係なさそうですが、めっちゃくちゃ関係あります。和田義盛の父は「杉本義宗」。で「杉本義宗」は何と「三浦義明」の嫡男です。

三浦義澄から見ると和田義盛は甥ですが、和田義盛も「鎌倉殿の13人」の一人。

嫡男系の「和田氏」は、家督継承した「義澄系」に裏切られたのが、建保元年(1213年)の和田合戦です。

腹切松公園

衣笠合戦の際に、義澄の父「三浦大介義明(当時89才)」が、衣笠城近くにある、祖先の霊が眠る「円通寺」を望むこの公園の末の下で割腹自害を遂げたという伝説の場所。

腹切松公園の東の一角にこの史跡があります。

三浦の子供たちが小さいときから三浦一族の伝説を知れるのは良いなと思うと同時に、「腹切松公園」で遊ぼうぜ!とか言ってるの、シュールですね。。。

近殿神社(ちかたじんじゃ|祭神:三浦義村公)

満昌寺からほど近い場所にある神社です。
ご祭神が三浦義村公になっており、これは三浦義澄の「子」です。

薬王寺旧跡(三浦義澄墓所)

近殿神社から、さらに満昌寺を遠のくこと徒歩2分に、鎌倉殿の13人「三浦義澄」(本人)の墓所があります。

元々は薬王寺というお寺で、和田義盛(甥)が父「杉本義宗」や叔父「三浦義澄」の菩提を弔うために創建したとか。

鎌倉での三浦一族ゆかりの場所

宝治合戦で敗れた三浦一族の最後の人物「三浦泰村」。
三浦には彼のゆかりの地があまりなくて、鎌倉で宝治合戦のゆかりの地をご紹介

筋替橋

金沢街道が大きく曲がる交差点のそばに建っている「筋替橋」の石碑。
ここに、安達景盛(北条時頼の外戚)が、筋替橋の北側より三浦泰村の館を攻めたと書いています。

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宝治合戦の戦いの場所と、三浦泰村の館がこの辺にあったのかもしれません。

法華堂跡

三浦泰村以下、三浦一族は法華堂跡の地で自害したと言われていますね。

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三浦一族のやぐら

戦う気があまりなかった「三浦泰村」は、法華堂(北条義時墓)に立てこもり自害しました。
その時のやぐらと言われているのが、三浦一族のやぐらです。

名越切通

さて、三浦一族は、三浦半島(衣笠)から鎌倉へ入るために「名越切通」を使ったものと思われます。

源頼朝時代、源氏と三浦一族は良い主従関係だったと思いますが、執権北条氏が鎌倉幕府を牛耳ってからは、徐々に権力争いへ発展。

鎌倉北条氏から見ると、名越切通は三浦一族に対する防御線の意味もあったのかもしれませんね。

横須賀市佐原(佐原流三浦氏)

さて、三浦一族本流は、三浦泰村が宝治合戦で北条氏に敗れ途絶えてしまいますが、義明の十男(末子)だった「佐原十郎義連」のとある一族は、北条氏と姻戚関係を結び北条氏と親戚に。

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