哲学者 西田幾多郎と鎌倉

哲学者 西田幾多郎と鎌倉

2022-12-13

西田幾多郎(にしだきたろう)

明治3(1870)年~昭和20(1945)年 哲学者。石川県かほく市出身。著者に「善の研究」
昭和3(1928)年から没するまでの約17年間、鎌倉の稲村ケ崎に居住した。

鎌倉市稲村ケ崎姥ヶ谷の自宅書斎で尿毒症の発作により死去。

京都にある「哲学の道」は、京都帝国大学助教授として京都へ赴任し、40歳過ぎから約20年間京都に住んでいた時に西田幾多郎が歩いた道です。

人間関係

鈴木大拙(すずき だいせつ)

明治3(1870)~昭和41(1966)年
西田幾多郎とは、同じ明治3年生まれで石川県生まれで同級生、お互い切磋琢磨し、人生後半は特に親しく付き合った。

仏教学者で釈宗演の弟子となって、禅についての講演を英訳し、世界に禅の思想を広めた人物。
円覚寺の正伝庵に住んで、東慶寺の松ヶ岡文庫(鈴木大拙が創設)で研究生活を送る。墓は東慶寺。

松ヶ岡文庫(立入禁止)
鈴木大拙墓

和辻哲郎

明治22(1889)~昭和35(1960)年
哲学者。「古寺巡礼」の著者で知られる。西田幾多郎と同じく日本独自の哲学体系を目指した。

和辻哲郎が20歳の頃、40歳ほどになった哲学者で有名だった西田幾多郎先生の名前を初めて聞く。
後に西田幾多郎に招かれて京都大学の教授になったり交流があった。

和辻夫妻の暮らした自宅は明治時代の古民家を移築したもので、後に川喜多夫妻が購入し鎌倉へ再移築。現在は鎌倉市所有の景観重要建造物。

鎌倉にある西田幾多郎史跡

西田幾多郎碑(稲村ヶ崎公園)

西田幾多郎博士は、昭和8(1933)年から稲村ガ崎に居住し、没するまで12年間過ごしました。
夏と冬は鎌倉で、春と秋は京都、今でいう2拠点生活だったそうです。

この西田幾多郎博士記念歌碑は、令和元(2019)年10月の台風19号の高波で被害を受け、クラウドファンディングで再設置されたものです。※令和元年の台風被害状況はコチラ

西田幾多郎遺宅「寸心荘」

西田幾多郎博士が晩年住んでココで亡くなった、稲村ケ崎の姥ヶ谷にある『寸心荘』。
今は学習院大学が管理(1年間、西田幾多郎博士が学習院で教師をしていた)しています。

一般公開はされていません。

国道134号線沿いの姥ヶ谷の入口にあたる場所には、「姥ヶ谷」バス停がありますね。

姥ヶ谷(うばがやつ)バス停

西田幾多郎墓(東慶寺)

同郷の鈴木大拙は高校以来の友人で、彼に影響を受けて20代頃から禅に打ち込むようになる。
その縁もあってか墓地は東慶寺にある。葬儀も東慶寺で行われた。

東慶寺の境内の奥(墓地地区)にある西田幾多郎博士の墓、近くには、親友、鈴木大拙の墓もあります。

その他(リンク集)

西田幾多郎記念哲学館(生まれ故郷の石川県かほく市)

鎌倉散策に役立つ本

PAGE TOP