平敦盛(たいら の あつもり)
1169-1184。従五位下。無冠大夫。
「平家物語」の敦盛最後で、一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれる場面は、今なお広く知られる。
平敦盛の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
嘉応元(1169)年 | 0 | 誕生(父:平経盛) |
承安4(1174)年 | 7 | 若狭守に任じられる(~治承2年) |
寿永3(1184)年 | 17 | 一ノ谷の戦いに参加 船で逃げようとしたところを呼び止められ熊谷直実に討たれる |
笛の名手敦盛
敦盛は笛の名手として有名で、祖父「平忠盛」が鳥羽院より賜った「青葉の笛」を譲りうける。
一ノ谷の戦いの前に、平家の陣から聞こえてくる笛の音を源氏軍も聞いていて、音色に惚れ惚れしていたが、熊谷直実が平敦盛を討とうとしたときに、笛を持っているのが見えたので、笛を吹いていたのは敦盛だったと悟った。
敦盛の首を切った直実は、青葉の笛を屋島に居た敦盛の父「経盛」の元に届けて(送って)、直実と経盛が手紙のやり取りを交わしたと、平家物語では書かれています。
青葉の笛は須磨寺で見ることが出来ます。
平敦盛周辺の系図
平敦盛は、平清盛の弟「経盛」の末子。
平忠盛
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平清盛(嫡男) 平経盛(3男)
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平重盛 平重衡 平敦盛(末子)
清盛の子供たちではないが、敦盛は平家一門であり有名で、義経は首実験の時、「これは敦盛だ、良くやった」と言ったとか言わなかったとか・・・。
敦盛は直実にも「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答えたという。
平敦盛ゆかりの地
須磨寺(神戸市須磨区)
一ノ谷の戦いで、源氏軍の陣地と考えられている須磨寺。
ここには、源平の庭に直実と敦盛の一騎打ちの像や、敦盛首塚、敦盛の首を洗った池、青葉の笛などが境内にあります。
敦盛塚(須磨浦公園)
一ノ谷の戦いでは戦場の西側に広がる須磨浦公園に敦盛塚があります。
こちらは、源義経率いる源氏の搦手軍(熊谷直実もこの部隊)と平家一門が戦った場所です。
ちなみに、源氏の大手軍は、生田神社の裏にある生田の森が戦場になったと伝わります。