平景清|勇猛な平家の家人。日本各地に伝説が残る生涯に謎の多い人物

平景清|勇猛な平家の家人。日本各地に伝説が残る生涯に謎の多い人物

平景清(たいら の かげきよ)

?-1196。
平家に仕える武士。平家の都落ちに従ったため「平景清」と言われているが、本来は、藤原秀郷の子孫の伊藤氏で、藤原景清、景清とも言う。通称、上総七郎、悪七兵衛。

ナムコが作った、アーケード、PCエンジン、ファミコンゲーム「源平討魔伝」の主人公。

父は平家の侍大将だった「伊藤忠清(藤原忠清)」
大河ドラマ「平清盛」では、藤本隆宏さんが伊藤忠清役として演じられています。

平景清の簡易年表

時期年齢出来事
不明0誕生(父:藤原忠清)
元暦2(1185)年
2月19日~
屋島の戦い
源氏軍の美尾屋十郎の錣(しころ)を素手で引きちぎる
元暦2(1185)年
3月24日~
壇ノ浦の戦い
平家軍が敗北し捕らえられる
建久6(1195)年頼朝が東大寺の開眼供養に出かけた際、暗殺を仕掛け失敗
鎌倉に連行
和田義盛邸→八田知家邸に預けられ絶食して死亡する

景清、和田義盛邸で暴れまわる

暗殺に失敗した平景清は鎌倉に連行された後に、政所別当の「和田義盛」邸に預けられますが、庭で馬を乗り回し、酒を飲んで大暴れ、といった感じで、困った挙句、八田知家に預かり役を変わってもらったということらしいしです。

八田知家は、主人(平家)を想う景清に武士の誇りを感じて大切にもてなしました。
すると、景清も大人しくなって洞窟に籠るようになったそうです。

平景清周囲の系図

藤原景綱
 ├---------------┬
藤原忠清(上総介)      大日房 能忍
 ├------┬
上総忠光   平景清
        |
       人丸(娘)

兄:上総五郎兵衛尉忠光

上総忠光は景清の兄で忠清の5男、上総五郎兵衛尉忠光。
屋島の戦いにおいて、源義経の家人「佐藤継信」を射取った人物。義経は大いに嘆き悲しんだ。

叔父:大日房能忍

大日房能忍(だいにちぼうのうにん)は、禅宗の僧侶で日本達磨宗の開祖。
甥の平景清を匿っていたが、疑心暗鬼となった景清に殺されてしまう。

平景清ゆかりの地

景清の土牢

▶ 鎌倉市扇ガ谷4-6|🅿なし|

鎌倉市扇ガ谷にある景清の土牢。平景清が押し込められていたと伝えられる場所。

海蔵寺方面から仮粧坂切通へ向かう道の左側の岩の中にあります。特に説明板は無く(読めない石碑はありますが・・・)、気付かずスルーしやすい場所なので注意が必要です。

転害門(東大寺)

▶ 奈良市手貝町14-1|🅿観光駐車場あり(30分100円)|

建久6(1195)年、平景清が清水寺(京都)に参籠している時、源頼朝が東大寺大仏供養に参列することを聞き、ひそかに奈良にやってきて転害門に隠れていたが、頼朝の家臣に見破られてしまった。

今回は諦め、その若武者たちを切り払って立退いたと。

光用寺

▶ 大阪市淀川区西中島7-8-5|🅿なし|JR新大阪駅から徒歩5分ほど

本堂の裏に、平景清とその郎党の墓があります。後世に作られたものと考えられています。
お寺自体は、747年行基が創建。本尊は阿弥陀如来像。

景清道(近江八幡市)

近江八幡市の長閑な場所に景清道と呼ばれている場所があります。

景清道は「平安末期の武将平景清が尾張から京都へ行く際に通ったことに由来するといわれているが、主要道を避けて通る“かげのみち”からきているという説もある」

近江源氏ゆかりの場所、近江八幡市を巡った下記動画に「景清道」が映っています。

錣引跡(屋島古戦場)

1185年2月 讃岐屋島で行われた源平屋島の戦い。
そこで、平景清は源氏方の美尾屋十郎の兜を熊手でひっかけ錣を引きちぎったという、景清の剛勇伝説の地。

屋島の戦い|源平屋島古戦場|義経の奇襲攻撃に平家軍が西海へ敗走
屋島の戦い(治承・寿永の乱) 元暦2(1185)年 2月18~21日 一ノ谷の戦いで惨敗した平家軍が、安徳天皇を奉じて屋島の讃岐壇ノ浦に本拠を構えていた場所に、…
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安養院(鎌倉市)

北条政子ゆかりのお寺「安養院」には、景清の娘「人丸」の墓があります。
元々は小町にあったそうですが、開発によって昭和の時代に此処に移ってきたようです。

景清が捕まって土牢に入れられたことを、京都にいた娘「人丸」は鎌倉まで駆け付けるも会うことは出来ず。数年後にここ鎌倉で亡くなったようです。

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