平維盛|源平合戦では大敗北を2度も経験した、亡き平重盛の嫡男

平維盛|源平合戦では大敗北を2度も経験した、亡き平重盛の嫡男

平維盛(たいらのこれもり)

1159-1184
平家一門の武将。平重盛(清盛長男)の嫡男。19歳の頃に父重盛が亡くなって以降、苦悩が続く。

大河ドラマ「平清盛」では、井之脇海さんが演じられました。
大河ドラマ「義経」では、賀集利樹さんが演じられました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、濱正悟さんが演じられます。

平維盛の簡易年表

父重盛が亡くなるまでは平穏が日々を送っていたが、源平合戦が始まる治承4年以降は戦に次ぐ戦で、20才前半の若者には精神的に厳しかったものと想像できます。

それにしても、平重衡と行動を共にすることが多いですね。

時期年齢出来事
平治元(1159)年0誕生(父:平重盛)
治承3(1179)年19父の重盛が死去、家督が叔父の宗盛へ
治承4(1180)年
4月
20以仁王の挙兵
平重衡と共に大将軍となり、伊藤忠清らの活躍で追討
9月富士川の戦い
総大将となるも、水鳥の音に慌てふためき、京へ敗走
養和元(1181)年
閏2月
21平清盛が病没
3月墨俣川の戦い
平重衡と総大将となり、源義円を討ち取り勝利をおさめる
寿永2(1183)年23俱利伽羅峠の戦いで木曽義仲軍に大敗
寿永3(1184)年24一ノ谷の戦い前後に陣中から逃亡、以降行方不明。

平維盛その後

一ノ谷の戦い後に陣中を抜けだした平維盛は、那智の海に入水自殺されたとしていますが、それ以外にも伝承が伝わっています。そのため、確定した墓所が無く、各地に維盛の墓とされる場所があります。

平維盛周辺の系図

平忠盛
 ├-----------------------------┬
平清盛                           平経盛
 ├-----┬-----┬-----┬----┬      | 
平重盛   平宗盛   平知盛   平重衡   徳子    平敦盛
 ├-----┬-----┬     
平維盛   平資盛   平清経

※系図の表示が崩れる場合は、「画面を横向き」にしてご覧ください。

弟:平資盛と立嫡争い

弟の平資盛(すけもり)は、維盛の2歳年下の1161年生まれ。

1170年に殿下乗合事件(摂政に対し資盛が下馬の礼を取らなかった事件)を起こし、それ以降官位の昇進が止まり、維盛に追い抜かれた。

大河ドラマ「平清盛」見ても、アニメ「平家物語」見ても兄弟仲は良さそうですし、資盛は維盛を兄と慕っています。争いがあったかどうかは分かりません。

平維盛ゆかりの地

富士川の戦い(平家越え)

治承4(1180)年10月20日 
駿河国富士川で、源氏(源頼朝・武田信義) vs 平氏(平維盛)が争った源平合戦の一つ(富士川の戦い

富士川の戦い|水鳥に驚いた平家軍が一戦も交えず敗退。源平合戦の一つ。
富士川の戦い概要(吾妻鏡より) https://twitter.com/KagolaboJp/status/1455664951796719618 頼朝、甲斐源…
1192-diary.com

墨俣川の戦い

治承5(1181)年3月10日 
尾張・美濃国境墨俣川で、源氏(源行家源義円) vs 平氏(平維盛平重衡)が争った源平合戦の一つ(墨俣川の戦い

源平墨俣川古戦場|義経の兄「義円(乙若丸)」が戦死した源平合戦の一つ
源平墨俣川の戦い(治承・寿永の乱) 治承5(1181)年3月10日長良川をはさんで源平の大激戦が展開されたのが、源平墨俣川の合戦。 源氏方の中心人物は、源行家(…
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