平知康(たいらのともやす)
生没年不詳
北面武士(平氏の武士)がきっかけとなり、後白河法皇の信頼を得て近臣となる。
大河ドラマ「義経」では、草刈正雄さんが演じられました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、矢柴俊博さんが演じられます。
平知康の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
生誕不詳 | 0 | 父:平知親 |
寿永2(1183)年 | 法皇の使いとして木曽義仲に、京での乱暴狼藉を鎮めるよう要求 | |
同年 11月 | 法住寺合戦 平知康が指揮を執るも、木曽義仲に敗れ後白河院が幽閉される | |
元暦2(1186)年 | 源義経に接近し、義経都落ち後に解官(検非違使?) | |
元暦元(1186)年 | 鎌倉へ下向。2代将軍頼家の蹴鞠相手、側近となる。 | |
建仁3(1203)年 | 源頼家の修善寺幽閉にともない帰京 | |
没年不詳 |
北面武士(ほくめんのぶし)
院御所の北側の部屋に詰めて、上皇の身辺警護や御幸に供奉する武士。白河法皇が創設。
延暦寺の強訴を防ぐために、主に軍事貴族が担当した。平清盛、佐藤義清(後の西行)などが有名。
頼朝から解官の奏上
平知康は源義経に同心していたため、頼朝から後白河院の奏上に解官するようにと記載した。
文治元(1185)年12月6日
解官の事について
左衛門少尉 平知康 他11名
行家・義経側となり、天下を乱そうとした良からぬ臣であるから、早く現在の官職を解いて追放されるべきである。
この同じ奏上には、九条兼実の内覧の推挙もありました。
平知康ゆかりの地
法住寺(京都)
法住寺は後白河上皇(法皇)が約30年にわたり院政を行った政庁。
木曽義仲と戦って敗北した、法住寺合戦の舞台です。

