来迎寺(稲毛区轟町)|千葉市文化財、千葉宗家「氏胤」にまつわる五輪塔がある寺院

来迎寺(稲毛区轟町)|千葉市文化財、千葉宗家「氏胤」にまつわる五輪塔がある寺院

2021-06-19

今回は千葉氏稲毛区轟町にある、千葉氏ゆかりのお寺「来迎寺」について深堀してみました。

来迎寺の年表

日時出来事関連人物
1276年(建治2年)来光寺(時宗)が、現道場公園の地に創建開山は一遍上人、開基は千葉貞胤
天正年間(1573-1592)浄土宗に改められる知恩院29世・満誉尊照
1945年(昭和20年)千葉空襲により轟町に移転

知東山 聖聚院 来迎寺

 来迎寺は、建治2年(1276)一遍上人を開基に千葉貞胤(千葉宗家11代)が建立したと伝える古刹で、古くは来光寺と称し現在の道場公園(院内2丁目)の位置にありました。昭和20年の戦災で全山焼失にあり、現在の地に移りました。
 境内には7基の五輪塔が並び、千葉氏胤以下7名の紀年銘が見られます。これ等の五輪塔は、室町時代初期のもので、氏胤ゆかりの追善供養塔と考えられています。

南北朝の戦乱で、千葉貞胤(南朝)と千葉胤貞(北朝|九州千葉氏)が従兄弟同士で戦います。

勝者は南朝側に付いた千葉貞胤で、この戦乱で阿弥陀如来の功徳を得たということで一遍上人等、時宗の僧侶を深く崇敬したようで、このお寺も時宗から始まってます。

来迎寺の場所

同じく昭和20年の戦災で轟町に移転してきた大日寺とは直ぐそばです。
よって、同じく千葉都市モノレール「作草部」駅から徒歩10分ほど、JR西千葉駅からも徒歩10分ほどです。

五輪塔紀年銘一覧

平氏胤語阿弥陀仏(宗家12代)応永32(1425)年2月15日
円勝禅尼(氏胤夫人?)永享8 (1436)年2月15日
平満胤弥阿弥陀仏(宗家13代|氏胤子)応永32(1425)年9月13日
吉原見阿応永32(1425)年2月15日
光阿弥応永32(1425)年2月15日
母妙仏(氏胤母?)応永32(1425)年2月15日
(不明)宝徳3 (1451)年8月5日
()内は分かり易いように追記

千葉貞胤(ちばさだたね)

1292-1351。千葉宗家第11代当主。千葉介。
鎌倉幕府第9代執権「北条貞時」より偏諱を受けて「貞胤」と名乗る。

来迎寺の創建が1276年で開基が千葉貞胤なのに、まだ生まれていないとはどういうことなのか?

参考展示(千葉市立郷土博物館)

千葉氏胤(ちばうじたね)

1337-1365。千葉宗家第12代当主。千葉介。妻は新田義貞の娘。
父「貞胤」の次男として京都で生まれるが、父の死去時、兄の一胤はすでに戦死していたため家督を継ぐ。

千葉満胤(ちばみつたね)

1360-1426。千葉宗家第13代当主。千葉氏胤の子。母は新田義貞の娘。
上杉禅秀の乱(1416年)では、上杉氏憲(禅秀)に付き(1)、鎌倉公方「足利持氏」追放に加担。

(1)満胤の子「兼胤」は上杉氏憲(禅秀)と姻戚関係にあったため

参考展示(千葉市立郷土博物館)

道場公園の場所

旧来迎寺があったとされる道場公園(千葉市中央区院内2)は、千葉神社や大日寺跡のすぐ近くにあります。
千葉氏が居た頃の中心地ですね。

千葉常胤(千葉氏)ゆかりの地

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