鎌倉を離れ、下総国古河を新たな拠点とした第5代鎌倉公方・足利成氏。
1455年、成氏は古河へ入り、のちに「古河公方」と呼ばれる勢力の礎を築きました。鎌倉から遠く離れた茨城県古河市には、古河公方館跡や古河城跡、成氏の菩提寺など、今もその足跡が残されています。

今回は「鎌倉から古河へ」という視点で、初代古河公方・足利成氏ゆかりの地を実際に歩きながら、鎌倉と古河の意外なつながりを訪ねます。
目次
足利成氏(あしかがしげうじ|鎌倉公方から初代古河公方へ)
足利成氏(あしかが しげうじ|1434? – 1497年)は、室町時代中期に活躍した武将で、第5代鎌倉公方、そして初代古河公方となった人物です。
もともとは鎌倉を拠点として関東を治める立場にありましたが、関東管領・上杉氏との対立から大きな戦乱へと発展。やがて鎌倉へ戻ることができなくなり、下総国古河(現在の茨城県古河市)を新たな本拠としました。
つまり「古河公方」の歴史をたどっていくと、その出発点は鎌倉にあります。

父・足利持氏と鎌倉公方
成氏の父は、第4代鎌倉公方・足利持氏です。
鎌倉公方とは、室町幕府が関東を統治するため鎌倉に置いた「鎌倉府」の長官。初代は室町幕府初代将軍・足利尊氏の子である足利基氏で、その子孫が代々鎌倉公方を務めました。
しかし、鎌倉公方と京都の室町幕府、さらに鎌倉公方を補佐する関東管領・上杉氏との関係は次第に悪化していきます。
父・持氏も室町幕府や関東管領・上杉憲実と対立し、永享の乱を経て最期を迎えました。
この父の死によって一度は途絶えた鎌倉公方。
その後継者として歴史の表舞台へ登場するのが、息子の足利成氏です。
第5代鎌倉公方となった足利成氏
父・持氏の死後、関東では鎌倉公方が不在となります。
その後、関東の武士たちの要望などを背景に、持氏の遺児である成氏が鎌倉へ入り、第5代鎌倉公方となりました。しかし、父の時代から続いていた鎌倉公方と関東管領・上杉氏との対立が、これで解消したわけではありません。
やがて成氏は関東管領・上杉憲忠を殺害。
これをきっかけとして、関東一円を巻き込む大規模な戦乱へと発展していきます。
享徳の乱と鎌倉からの離脱
1454年(享徳3年)に始まったこの戦乱が、享徳の乱(きょうとくのらん)です。
足利成氏を中心とする勢力と、関東管領上杉氏を中心とする勢力が争い、その背後には京都の室町幕府も関わりました。
成氏は各地を転戦するなかで鎌倉を離れます。
そして大きな転機となったのが1455年(享徳4年)。
成氏が鎌倉を留守にしている間に鎌倉を押さえられたため、成氏はそのまま鎌倉へ戻ることができなくなりました。
そこで成氏が向かったのが下総国・古河。
鎌倉公方だった人物が鎌倉を離れ、その政治拠点そのものを別の土地へ移すことになります。
古河を新たな本拠へ
1455年、古河へ入った足利成氏は、現在の古河公方公園(古河総合公園)付近に館を構えました。
これが「古河公方館」、地名から鴻巣御所とも呼ばれる場所です。
こうして鎌倉公方だった足利成氏は、古河を本拠とする初代古河公方となりました。
鎌倉から遠く離れた茨城県古河市に「鎌倉公方」の歴史が残っているのは、このためです。
そして現在の古河には、古河公方館跡だけでなく、成氏にとって重要な拠点となった古河城跡や、成氏が開いたと伝わる菩提寺満福寺など、その足跡が今も残されています。満福寺には足利成氏の墓もあります。
では、鎌倉から古河へ移った足利成氏の足跡を、実際に現地でたどってみましょう。
足利成氏ゆかりの古河を歩く
古河公方御館跡
1455年(享徳4年)鎌倉から移ってきた足利成氏は、まず古河公方館を築きました。今の古河総合公園内。
ただし、ここは古河城の改修が終わる1457年までの2年間の仮住まいだったようです。
ココの地名(古河市鴻巣)から「鴻巣御所」とも言われてます。(埼玉県鴻巣市とは何の関係もありません!)


下の住居表示街区案内図、ちょっと汚いですけど、右側の古河公方館跡(古河総合公園)が有る場所には「大字鴻巣」という地名表記がありますね

とっても広い古河総合公園内のほぼ中心部。
当時は水堀だったと考えても良い「御所沼」に突き出た土地の先っぽにあります。
古河総合公園はJR古河駅からちょっと離れてます。
歩くと30~40分は掛かってしまうかもしれませんので、レンタサイクルとかが便利かも。
菩提寺「満福寺」
足利成氏によって開かれた寺院。ここには足利成氏のお墓がある。


古河市中心部からは約3kmとちょっと離れています。歩くと30分くらいはかかるかもしれません。
満福寺自体は、境内は広いですけど、観光寺という感じではありませんね。
長谷観音(日本三大長谷)
古河にも長谷観音を見つけました。
なんと、初代古河公方「足利成氏」が鎌倉の長谷から勧請した十一面観音菩薩像があるとか。


日本三大長谷観音ということで、大和、鎌倉と肩を並べたいのでしょうが・・・。力不足は否めない・・・。
古河をもう少し歩く|江戸時代の古河へ
土井利勝(江戸幕府の老中・大老)とは?
1573-1644年。江戸時代初期の譜代大名。江戸幕府の老中・大老。佐倉藩主、古河藩主、土井家宗家初代。
NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」では林隆三さんが演じてらっしゃいました。
徳川秀忠(西田敏行)「利勝!」
土井利勝(林 隆三)「はっ!」
このやり取りを大河ドラマで何度見たことか(笑)
秀忠の側近で家光の傳役、家康の母方の従兄弟の関係です。
菩提寺「正定寺」
茨城県古河市にある浄土宗の寺院。古河城主の菩提寺として保護されました。
境内には土井利勝の像があります。


正定寺黒門
説明板には「もともと東京の本郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷の表門」にあったもの。と書いています。
昭和8年に移築、寄進されたとあります。
本郷と言えば、加賀藩前田家の屋敷があるところですね。
江戸は広いですけど、地理感があればすぐに場所を想像・特定できて楽しいです。


古河城跡
古河城は初代古河公方の足利成氏が築城してから、戦国時代に上杉家と北条家が奪い合ったり、江戸時代にも修復・拡張を繰り返しているお城です。
また、古河城は足利成氏にとっても土井利勝にとっても重要な場所でした。
古河城は利根川や渡良瀬川が天然の堀となり守りやすい場所に築城されましたが、今は、明治時代末から始まった渡良瀬川の大規模な河川改築事業によって、城跡のほとんどが消滅しています。(残念)
なので日本100名城とか続日本100名城には選ばれないのかなと・・・。
古河城本丸跡


古河市の街中には、城跡の形跡を伺い知ることができ、その場所には石碑等が建てられている。

古河城御茶屋口(御成道)
この御茶屋口は江戸時代に関する史跡。
日光道中に面していて、日光社参のために徳川将軍家が日光山に参詣するときの将軍の休憩所だった場所。
また、古河入城の場所でもあったことから御成道とも言われている。


古河城出城諏訪曲輪跡
御茶屋口から入ったところにある諏訪曲輪跡。
現在は古河歴史博物館が建っています。
その周りは整備されていますが、なんとなく堀で区切られた曲輪っぽい感じが見られます。
出城と書いてますが、古河城本体から百間堀(今は埋め立てられている)を渡った出島のような立地になってたようです。


扇谷上杉家の家宰「太田道灌」は古河城に対抗するため、江戸城・川越城などを築いたとされています。
古河城は古河公方の重要な拠点だったんですね。
日光街道 古河宿
日光街道
日光街道は江戸時代に設けられていた五街道の一つ。江戸(日本橋)から日光東照宮まで。
※日本橋から宇都宮までは「奥州街道」と共通。

徳川将軍家が日光東照宮に参拝することを「日光社参」と言いますが、その旅程は、
初 日:岩槻城に宿泊
二日目:古河城に宿泊
三日目:宇都宮城に宿泊
四日目:日光に到着
となっていて、古河城は徳川将軍家が宿泊する重要地点のため、藩主は徳川家の譜代大名が務めたのだろうと思われます。


古河宿道標
現在古河宿(旧日光街道)が有った場所は県道261号線となっていて、昔の趣はありませんが、道路の橋には道標とか本陣跡などわかる範囲には、説明板は石碑などが建てられています。


鷹見泉石(たかみせんせき)とは?
1785-1858年。江戸後期の幕府老中「土井利厚・利位」に仕えた人物。
鎌倉と江戸繋がりではないのですが、古河市ではよく見かける名前なので重要人物の一人と思われます。
さまざまな情報を取得して、古河藩主を補佐し、幕政に関与したと伝わっています。


古河歴史博物館でも、鷹見泉石について特設展示されているほどです。
永井路子|古河が生んだ歴史小説家
歴史小説家の永井路子先生は、茨城県古河市出身で後に鎌倉市に転居。
古河市と鎌倉市の両方で名誉市民になっています。
鎌倉・古河公方「足利成氏」ゆかりの地巡り(YouTube)
足利成氏を追って古河を歩いてみると、鎌倉で終わったように見える鎌倉公方の歴史が、その先の土地へ続いていることが分かります。
鎌倉公方だった足利成氏は古河へ移り、この地を新たな拠点として関東の歴史を動かしていきました。そして時代を下ると、古河出身の歴史小説家・永井路子が鎌倉へ移り住み、両市の名誉市民となっています。
鎌倉から古河へ。そして古河から、再び鎌倉へ。
鎌倉だけを見ていては見えなかった歴史を、土地を移して追いかけてみる。
古河は、そんな「鎌倉ゆかり探訪」の面白さを改めて感じさせてくれる町でした。
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🥇 足利成氏と享徳の乱をもっと深く知る
鎌倉公方・足利成氏と関東管領上杉氏の対立から始まった「享徳の乱」を詳しく知りたい人におすすめの一冊。足利成氏の登場から長期化する戦乱、太田道灌の活躍までをたどりながら、鎌倉から古河へと関東の政治の中心が動いていく時代を深掘りできます。今回の記事との相性は、この3冊の中で一番です。
🥈 「戦国は関東から始まった」を知る
「戦国時代=応仁の乱から」というイメージとは違う、関東から戦国史を見る一冊。永享の乱、結城合戦、そして足利成氏が中心人物となった享徳の乱から、その後の北条氏・上杉氏らの争いへと続く関東150年の動乱を追えます。足利成氏を入口に、その後の関東戦国史まで知りたい人に。
🥉 古河と茨城を実際に歩いてみる
足利成氏が新たな本拠とした古河を訪ねるなら、歴史だけでなく周辺の観光やグルメも一緒に楽しみたいところ。古河をはじめ茨城県内を巡る旅のお供として使える一冊です。

