結城朝光|寒川尼を母にもつ小山氏流、長生きで後半は幕府の重鎮に
結城(小山)朝光(ゆうき ともみつ) 1168-1254。下総結城氏初代当主。藤原北家秀郷流小山氏の流れをくむ。母が頼朝の乳母だった「寒川尼」。兄に小山朝政が…
鎌倉に住んで、働いて、食べて、走って、遊んで、記録して、整理しています
結城(小山)朝光(ゆうき ともみつ) 1168-1254。下総結城氏初代当主。藤原北家秀郷流小山氏の流れをくむ。母が頼朝の乳母だった「寒川尼」。兄に小山朝政が…
源頼政(みなもと の よりまさ) 1104-1180。保元の乱と平治の乱を勝ち抜き、源氏として破格の従三位に昇叙された摂津源氏一門。摂津渡辺氏を配下に収めてい…
藤原秀康(ふじわら の ひでやす) 生誕不詳-1221承久の乱において、後鳥羽上皇側(官軍)の大将軍。藤原北家秀郷流。 院に仕える武士の一族で、後鳥羽上皇の倒…
北条政村 1205-1273 鎌倉幕府第7代執権、北条義時の5男も、長男は側室、2~4男は離別のため、継室(正室)の長男でした。 元服の時の烏帽子親は三浦義村…
後鳥羽天皇(後鳥羽上皇) 1180-1239 第82代天皇、後白河天皇の孫で、安徳天皇の異母弟。藤原定家らに勅撰集の命を下し「新古今和歌集」を編纂。 鎌倉幕府…
和田合戦の全貌 和田合戦の原因:泉親平の乱 建暦3(1213)年2月15日 和田合戦が起きる約三か月前の出来事 御家人の千葉介成胤が一人の法師を生け捕って、北…
平賀朝雅(ひらが ともまさ) 生誕不詳-1205。武蔵守。北条時政の後妻(牧の方)の娘婿。北条家内と対立して殺害された。平賀朝政とも。 上記の「幻の将軍(著:…
今回は、畠山重忠が北条時政の策略にハマり自害、滅亡した場所、横浜市旭区の二俣川古戦場(最寄り駅は相鉄本線鶴ヶ峰駅)へ行ってきました。 行ってきました二俣川古戦…
以仁王(もちひとおう) 1151-1180 後白河天皇の第三皇子。全国の源氏に平家打倒の挙兵を促した「以仁王の令旨」を出し、治承・寿永の乱のきっかっけを作った…
長沼宗政(ながぬま むねまさ) 1162-1240 下野国の有力豪族「小山政光の次男」兄の小山朝政と、弟の結城朝光と共に鎌倉幕府の御家人として源頼朝に仕える。…
畠山重保(はたけやま しげやす) 生年不詳-1205 畠山重忠と北条時政の娘の子。通称は六郎。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、畠山重保役を「杉田雷麟(すぎ…
三浦胤義(みうら たねよし) 生誕不詳-1221 三浦義澄の末子(9男)、三浦義村は兄鎌倉幕府の御家人だが、承久の乱では後鳥羽上皇方(京方)に与し、鎌倉幕府軍…
伊賀の方(いがのかた) 生没年不詳。鎌倉幕府2代執権北条義時の後妻。7代執権になった北条政村、金沢流北条氏の北条実泰、を産んでいます。 伊賀の方は、藤原秀郷(…
源仲章(みなもとのなかあきら) 生誕不詳-1219 宇多源氏、源雅信(左大臣|藤原道長の妻の父)の後裔。後鳥羽天皇に仕えつつ、鎌倉幕府の御家人としても活躍。 …
源実朝(みなもとのさねとも) 1192-1219。源頼朝と北条政子の間に生まれた次男。幼名は千幡。鎌倉幕府第3代征夷大将軍。武士として初めて「右大臣」に。歌人…
梶原一族の最期、駿河国にて 梶原一族いくさの跡 説明板 光鏡院(静岡市葵区瀬名1-38-36|梶原山山頂への坂道に入る手前にある寺院)の山門横にある説明板。 …