長沼宗政|有力豪族小山一族の人物(下野国)、坂東武者らしい荒くれ者の一面も
長沼宗政(ながぬま むねまさ) 1162-1240 下野国の有力豪族「小山政光の次男」兄の小山朝政と、弟の結城朝光と共に鎌倉幕府の御家人として源頼朝に仕える。…
鎌倉に住んで、働いて、食べて、走って、遊んで、記録して、整理しています
長沼宗政(ながぬま むねまさ) 1162-1240 下野国の有力豪族「小山政光の次男」兄の小山朝政と、弟の結城朝光と共に鎌倉幕府の御家人として源頼朝に仕える。…
畠山重保(はたけやま しげやす) 生年不詳-1205 畠山重忠と北条時政の娘の子。通称は六郎。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、畠山重保役を「杉田雷麟(すぎ…
三浦胤義(みうら たねよし) 生誕不詳-1221 三浦義澄の末子(9男)、三浦義村は兄鎌倉幕府の御家人だが、承久の乱では後鳥羽上皇方(京方)に与し、鎌倉幕府軍…
源仲章(みなもとのなかあきら) 生誕不詳-1219 宇多源氏、源雅信(左大臣|藤原道長の妻の父)の後裔。後鳥羽天皇に仕えつつ、鎌倉幕府の御家人としても活躍。 …
源実朝(みなもとのさねとも) 1192-1219。源頼朝と北条政子の間に生まれた次男。幼名は千幡。鎌倉幕府第3代征夷大将軍。武士として初めて「右大臣」に。歌人…
梶原一族の最期、駿河国にて 梶原一族いくさの跡 説明板 光鏡院(静岡市葵区瀬名1-38-36|梶原山山頂への坂道に入る手前にある寺院)の山門横にある説明板。 …
懐嶋平権守景義(景能)(おおば かげよし) 今回は、相模国大庭御厨の懐島郷(現:茅ケ崎市円蔵)を本拠として、懐島を名乗った武将、大庭氏の大庭景義についていろい…
岩瀬与一太郎義正(いわせ よしまさ) 生没年不詳 陸奥国奥七群を支配していた佐竹隆義の嫡男「佐竹義政(弟に佐竹秀義)」の近習。陸奥国大宮郷岩瀬(現、常陸大宮市…
平景清(たいら の かげきよ) ?-1196。平家に仕える武士。平家の都落ちに従ったため「平景清」と言われているが、本来は、藤原秀郷の子孫の伊藤氏で、藤原景清…
富士の巻狩り 源頼朝が征夷大将軍となった翌年、建久3(1193)年。鎌倉幕府の武力を日本中に示すために、3~5月にかけて三か所で大規模な巻狩りを実施しました。…
平徳子(建礼門院) 1155-1214 平清盛の娘にして、高倉天皇の皇后、安徳天皇の母父清盛が亡くなってからは、高倉天皇も病死、平家一門も滅亡に向かい、子の…
熊谷(次郎)直実(くまがい なおざね) 1141-1208。武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした武将。私市党関係者。一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取ったこ…
一条(源)忠頼(いちじょう ただより) 生誕不詳-1184。父は甲斐源氏の嫡流「武田信義」。甲斐国山梨郡一条郷を領したことから、一条氏を名乗りました。藤原氏に…
海野幸氏(うんの ゆきうじ) 1172-?信濃国の名族「滋野氏」の嫡流「海野氏」当主。弓の名手。父の海野幸親が木曽義仲の家臣として行動し、子の海野幸氏は同い年…
工藤祐経(くどう すけつね) 1147?-1193先代からの相続による遺恨から、伯父の嫡男を射殺し、残された幼き兄弟(曽我兄弟)から恨まれて、有名な「曽我兄弟…
曽我祐信(そがすけのぶ) 生没年不詳。曽我太郎祐信とも。相模国曽我荘の領主で、曽我兄弟の養父(継父)となる。鎌倉幕府の御家人。 https://twitter…