富士の巻狩り|頼朝が狙われた?一大事件、曽我兄弟の仇討ちが起きた場所

富士の巻狩り|頼朝が狙われた?一大事件、曽我兄弟の仇討ちが起きた場所

2022-05-01

富士の巻狩り

源頼朝が征夷大将軍となった翌年、建久3(1193)年。
鎌倉幕府の武力を日本中に示すために、3~5月にかけて三か所で大規模な巻狩りを実施しました。

3月 信濃国三原野
4月 下野国那須野
5月 駿河国富士野・藍沢

富士の巻狩りは、3大巻狩りの一つ、駿河国で行われた大規模な巻狩りの事です。

そして、この富士の巻狩り中に、日本三大仇討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」が起ります。

富士の巻狩り簡易年表

建久4年出来事
5月8日源頼朝が富士野・藍沢の夏狩を見る為に、駿河国へ向かう
5月15日藍沢で狩が行われた、その後は終日酒宴
5月16日富士野で狩が行われた。源頼家が初めて鹿を射止める
5月22日頼家が鹿を射止めたことを、北条政子に報告するも感心せず
5月27日工藤景光の災難、狩猟失敗の後、発病
5月28日曽我兄弟の仇討ち決行日
曽我兄弟に工藤祐経が討たれる、その他数名の武士が負傷する
5月29日曽我五郎時致への尋問が行われた
5月30日曽我兄弟が仇討ち前に母に送った手紙を頼朝が読んで涙する
6月1日曽我十郎祐成の妾「虎」が呼び出されるも放免となる

5月28日 曽我兄弟の仇討ち 詳細

子の刻(夜11~1時頃)に、亡くなった伊東祐親の孫、曽我十郎祐成と曽我五郎時致が、富士野の御旅館におしかけ、工藤祐経を殺害した。

工藤祐経|鼓・今様に優れた頼朝の寵臣、曽我兄弟の仇討ちの中心人物
工藤祐経(くどう すけつね) 1147?-1193先代からの相続による遺恨から、伯父の嫡男を射殺し、残された幼き兄弟(曽我兄弟)から恨まれて、有名な「曽我兄弟の…
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たまたま、一緒にいた王藤内(工藤祐経に恩があった)もともに殺害された。

祐経・王藤内の相手をしていた遊女らは悲鳴を上げ、さらに、曽我兄弟が大声で「父の敵を討ち取ったぞ!」と叫んだ為、大騒動になった。

警護の者が駆け付けるも、辺りは真っ暗だったため、曽我兄弟によって多くの人が傷を受けた。
愛甲三郎海野幸氏、堀藤太らが負傷、宇田五郎は殺害された。

海野幸氏|木曽義高に仕えた信濃国の武士、頼朝に認められた弓の名手
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その後、曽我十郎祐成は仁田忠常に立ち向かい討たれ、曽我五郎時致は頼朝の御前を目がけて走った。

頼朝は剣を取って立ち向かおうとしたが、大友能直が押しとどめ、小舎人童五郎丸が時致を搦め捕った。
大見小平次に身柄を預け、和田義盛梶原景時工藤祐経の死骸を検視した。

曽我兄弟周囲の系図

曽我兄弟の仇討ち相手は「工藤祐経
工藤祐経は、所領争いから伊東祐親を討とうとしたが、近くに居た子の河津祐泰を殺してしまった。

工藤祐隆================後妻
 |                   | 
伊東祐家                連れ子
 |                   |
伊東祐親                工藤祐継
 ├------┬------┬      ├-------┬
河津祐泰   伊東祐清   八重姫   工藤祐経   宇佐美祐茂
 ├------┐             |
曽我祐成   曽我時致         工藤祐時
                   [日向伊東氏]

河津祐泰の妻は、曽我祐信に再婚し、兄弟は河津から曽我を名乗るようになります。

      ┏-------------┓
     狩野茂光          伊東祐家
      |             |
     曽我祐家          伊東祐親
      |             |
先妻===曽我祐信===満江御前===河津祐泰(曽我兄弟の実父)
   |             ┣--------┓
  曽我祐綱          曽我五郎祐成  曽我十郎時致

源頼朝は伊東祐親に八重姫との子供を殺害されていることもあり、曽我兄弟は御家人も成れず、継父の曽我祐信も前妻の間に嫡男が居るため相続する土地も無く、不遇の人生を送っていた。

富士の巻狩りゆかりの地

富士の巻狩り石碑(朝霧高原もちや)

▶ 静岡県富士宮市猪之頭1114-1 朝霧高原もちや内|🅿あり|

ドライブイン朝霧高原もちやの敷地内、円形のお土産屋の建物の横に石碑が建っています。
ただ、石碑しかありません。

白糸の滝や工藤祐経の墓より北側に位置しています。

曽我の隠れ岩

▶ 静岡県富士宮市上井出|🅿あり(白糸の滝駐車場から徒歩数分)|

白糸の滝・音止めの滝から、工藤祐経の墓へ行く道の途中に大きな岩と説明板があります。
曽我兄弟の隠れ岩の道標も分かり易い場所にあるので、迷わないと思います。

ここから、曽我兄弟は工藤祐経の宿泊所(工藤祐経の墓)を除いて、仇討ちの機会をうかがっていたそうですね。

工藤祐経の墓

▶ 静岡県富士宮市上井出351|🅿あり(白糸の滝駐車場から徒歩数分)|

曽我兄弟の隠れ岩から、130m先にある小さな社のような祠のような。
工藤祐経は陣所に居たところを、曽我兄弟に殺されているので、この墓がそのまま陣所跡と考えてよさそうです。

白糸の滝・音止めの滝

▶ 静岡県富士宮市上井出273-1|🅿あり|

世界文化遺産「富士山」の構成資産の一つが白糸の滝です。

白糸の滝は源頼朝が和歌を詠んだという場所、音止めの滝は曽我兄弟が仇討ちの相談をしているときに「うるさい滝の音だな」と言ったら、音が止んだというところから名前がついたそうです。

音止めの滝は近くには寄れずに遠くから眺めます。

YouTubeで見る

狩宿の下馬サクラ

▶ 静岡県富士宮市狩宿98-1|🅿あり(ただし数台)|

源頼朝が富士の巻狩りの際に、この桜の前で馬を下りたとされることから下馬サクラと。桜の奥には、中世の武士「井出家」の家があり、頼朝が富士の巻狩りの際に泊まったという。

住所の狩宿はそのから来ているようです。

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