岩瀬与一太郎|鎌倉市岩瀬に住した、頼朝に諫言し認められた人物
岩瀬与一太郎義正(いわせ よしまさ) 生没年不詳 陸奥国奥七群を支配していた佐竹隆義の嫡男「佐竹義政(弟に佐竹秀義)」の近習。陸奥国大宮郷岩瀬(現、常陸大宮市…
鎌倉に住んで、働いて、食べて、走って、遊んで、記録して、整理しています
岩瀬与一太郎義正(いわせ よしまさ) 生没年不詳 陸奥国奥七群を支配していた佐竹隆義の嫡男「佐竹義政(弟に佐竹秀義)」の近習。陸奥国大宮郷岩瀬(現、常陸大宮市…
大佛次郎(おさらぎじろう) 1897(明治30)-1973(昭和48)小説家。横浜から鎌倉へ移住し、長谷、材木座、雪の下(没年まで)に住みました。 ナショナル…
今回は住宅地の中に申し訳なさそうに設置してある石碑「土佐坊昌俊」を読んでみました。この石碑を読むまで、この人知りませんでした。。。 鎌倉検定の公式テキストブッ…
尊長(そんちょう) 生年不詳-1227 僧侶。延暦寺の僧侶だったが、後に後鳥羽上皇の側近にとして承久の乱を戦う。法印。法勝寺執行(取締役) 父は一条能保(妻が…
平景清(たいら の かげきよ) ?-1196。平家に仕える武士。平家の都落ちに従ったため「平景清」と言われているが、本来は、藤原秀郷の子孫の伊藤氏で、藤原景清…
今回は鎌倉に所縁のある人物、文豪「川端康成」にフォーカスを当ててみました。小説家以外の一面が見られました。 川端康成(かわばた やすなり) 1899(明治32…
平徳子(建礼門院) 1155-1214 平清盛の娘にして、高倉天皇の皇后、安徳天皇の母父清盛が亡くなってからは、高倉天皇も病死、平家一門も滅亡に向かい、子の…
後鳥羽天皇 1180-1239 第82代天皇、後白河天皇の孫で、安徳天皇の異母弟。藤原定家らに勅撰集の命を下し「新古今和歌集」を編纂。 鎌倉幕府(北条義時軍)…
熊谷(次郎)直実(くまがい なおざね) 1141-1208。武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした武将。私市党関係者。一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取ったこ…
一条(源)忠頼(いちじょう ただより) 生誕不詳-1184。父は甲斐源氏の嫡流「武田信義」。甲斐国山梨郡一条郷を領したことから、一条氏を名乗りました。藤原氏に…
海野幸氏(うんの ゆきうじ) 1172-?信濃国の名族「滋野氏」の嫡流「海野氏」当主。弓の名手。父の海野幸親が木曽義仲の家臣として行動し、子の海野幸氏は同い年…
九条兼実(くじょうかねざね) 1149-1207。五摂家のひとつ、九条家の祖。藤原北家、摂政・関白「藤原忠道」の六男。反平家。兼実が書いた日記「玉葉」が有名。…
工藤祐経(くどう すけつね) 1147?-1193先代からの相続による遺恨から、伯父の嫡男を射殺し、残された幼き兄弟(曽我兄弟)から恨まれて、有名な「曽我兄弟…
今回は太平寺跡の石碑を読んでみることにしました。 以前「西御門」の石碑を読んだときに、この西御門周辺にはお寺が結構並んでたみたいだということが分かりましたね!…
曽我祐信(そがすけのぶ) 生没年不詳。曽我太郎祐信とも。相模国曽我荘の領主で、曽我兄弟の養父(継父)となる。鎌倉幕府の御家人。 https://twitter…
八田知家(はった ともいえ) 1142-1218。13人の合議制の一人。頼朝より5歳年上。下野宇都宮氏当主「八田宗網(宇都宮宗網)」の4男。八田四郎。また、小…