今回も鎌倉市内に点在する石碑を読んでみようと思います。
前回は、大正時代に建てられた石碑を2つ読んでみたので、今回は昭和時代に建てられた石碑を読んでみます。
目次
関取場跡

石碑に書かれている文字は?
當所ヲ里俗せきばト稱ス往時ハ関取場ト稱セル由天文十七年北條氏関ヲ此ノ處ニ設ケ関錢ヲ取ツテ荏柄天神社頭造營ノ料ニ充テシメタル「」トス其の掟書ノ文章「」ニ藏セラレテ荏柄天神社ニ在リ
昭和六年三月建 鎌倉町青年團
この場所を「せきば」と言う。以前は「関取場」と言った。1548年、後北条氏は関所をこの場所に儲けて通行料を取って荏柄天神社の運営費に充てた。この法令文書が荏柄天神社に保管されている
昭和6年3月建立 鎌倉町青年団
※間違ってたらごめんなさい。
事前知識(漢字編)
稱:現在の「称」 → しょう ①呼び名 ②ほめて称える 等
處:現在の「処」 → しょ ①場所 ②決める 等
藏:現在の「蔵」 → ぞう ①隠して閉まっておく ②くら 等
昔の漢字って、書き順も多くてややこしいですね。
事前知識(知識編)
里俗
地方の風習。土地のならわし。
天文17年
1548年は戦国時代なので、書かれいている北条氏は後北条氏の事だと分かりますね。
掟書
中世後期から盛んになった公布法の一形式。公的文書ってところでしょうか。
極楽寺坂

石碑に書かれている文字は?
此所往古疊山ナリシヲ極楽寺開山忍性菩薩疏鑿シテ一「?」ノ路ヲ開キシト云フ即チ極楽寺切通ト唱フルハ是ナリ元弘三年ノ鎌倉討入リニ際シ大館次郎宗氏江田三郎行義ハ新田軍ノ大将トシテ此便路ニ向ヒ大佛陸奥守貞直ハ鎌倉軍大將トシテ此「?」ヲ堅メ相戰フ
昭和七年三月建 鎌倉町青年團
ここは昔、山が重なっていたが、極楽寺の開山忍性が山を切り開いて道を開いたと伝わるので極楽寺切通しと言う。1331年鎌倉討入に際して、新田軍の対象として大館宗氏と江田行義はこの道に向かい、鎌倉幕府軍の総大将だった北条貞直はココを堅めて戦った。
昭和7年3月建立 鎌倉町青年団
※間違ってたらごめんなさい。
事前知識(漢字編)
疊:現在の「畳」 たたみ、かさなる これは分かりやすいです。
將:現在の「将」 しょう これも分かりやすいです。
鑿:サク、のみ、うがつ ※漢字検定1級の問題
事前知識(知識編)
疏鑿(そさく)
岩などを切り開いて、道を通すこと。
元弘三年
西暦1331年。鎌倉時代末期。後醍醐天皇の時の年号。
大館次郎宗氏
大館宗氏(おおだてむねうじ)。鎌倉時代末期の武将。新田氏の支族。十一人塚に葬られているとされる
江田三郎行義
江田行義(えだゆきよし)。鎌倉時代末期の武将。新田氏の一族。
大佛陸奥守貞直
北条貞直(?-1333年)。大仏流北条宗泰の子。大舘宗氏を討ち取る。
最近の案内板は、神社仏閣に関するものが多いので、このような史跡や歴史に関する内容が書かれた石碑はいい勉強になりますね!