今回は鎌倉市大船側にある玉縄城址の石碑を読んでみました。
何回も歩いたり走ったりしているはずなのに、石碑の場所が最近まで全く分かりませんでした・・・。
今朝の朝活は玉縄城址から
— kago@鎌倉暮らし (@KagolaboJp) September 12, 2021
あの北条早雲が建てた難攻不落のお城だったんですよ😊
今は見る影もないけど。。。#鎌倉 #玉縄城址 #朝活 #北条早雲 pic.twitter.com/Ma5ARf6DYX
目次
玉縄城址

「玉縄城址」石碑の場所
陣屋坂と言われる坂道を登った三差路に、分かりにくい急な階段があります。その先です。

石碑に書かれている文字は?
玉縄城ハ永正九年十月北條早雲ノ築クトコロタリ
大永享禄ノ頃ハ北條氏時之ニ居リ天文初年ヨリ一族北條綱成居城ス
天正十八年小田原北條滅亡ノ際城主氏勝降伏シ後城ハ徳川氏ノ有トナリ程ナク廃城トナリシモノナリ
昭和三十一年三月建 鎌倉友青会
玉縄城は永正9年(1512年)10月に北条早雲が築いた所である。
大永享禄時代の頃は北条氏時がココに居所し、天文初年(1532年)より一族の北条綱成が居城とした。
天正18年(1590年)小田原北条が滅亡した際、城主だった北条氏勝は降伏し、その後、玉縄城は徳川氏の物となったが、しばらく後に廃城となった。
昭和31年3月建 鎌倉友青会
※間違っていたらごめんなさい。
事前知識(漢字・用語編)
特に難しい感じ・用語はありませんでした。
事前知識(歴史編)
永正九年
1512年。文亀-永正-大永。
天皇は後柏原天皇、室町幕府将軍は、足利義稙(10代)義澄(11代)の時代
天文初年
1532年。享禄-天文-弘治。
天皇は後奈良天皇、室町幕府将軍は、足利義晴(12代)の時代
天正十八年
1590年。元亀-天正-文禄。
天皇は後陽成天皇、室町幕府将軍は足利義昭(15代)の時代。豊臣秀吉の小田原征伐。
玉縄北条氏 他
北条早雲:1456-1519|後北条氏の祖
北条氏時:1490?-1531|北条早雲の次男(推定)、初代玉縄城主
北条綱成:1515-1587|北条氏綱(北条早雲の嫡男)の養子、3代玉縄城主
北条氏勝:1559-1611|北条綱成の孫、6代玉縄城主(最後の城主)
玉縄城址 その他
七曲殿屋敷跡
七曲坂の入口付近にある「植谷戸西公園」
この周辺(ちょっと上?)は、4代玉縄城主「北条氏繁」の奥方の屋敷跡だそうです。
玉縄城址散策
— kago@鎌倉暮らし (@KagolaboJp) September 3, 2021
普通の公園の場所が、玉縄城主(北条氏繁)の奥さんの屋敷跡だそうです。
七曲りの入口に住んでたから七曲殿、忘れづらい名前😊#鎌倉 #玉縄城址 #史跡巡り pic.twitter.com/non3QI6xoJ
玉縄首塚
玉縄城址のほど近い場所で、玉縄北条氏ゆかりのお祭り(玉縄首塚慰霊祭)があります。