鎌倉市に約80基ほど設置されているという旧跡案内石碑。
インターネット上にはすでに、この石碑を解説したページも沢山ありますが、自分で見つけて読むことが理解を深めるし大切な事だと思ったので、記録としてブログに記載。
自分なりに解読し、読むコツや広げた知識ネタも併せて記載してみました。
そして、石碑の一覧表をそのテーマが発生した日付順に並べてみました。
他のサイトで設置地区や建立年月で並べたものはあったのですが、自分としては、鎌倉の歴史の流れを掴みたいと思ったので。
でも、歴史上の出来事は年月で並べられますが、それ以外、つまり人物や史跡の説明などは、人物の生年月日や史跡の創建時期など、多少のアドリブが入ってます。
目次
- 飛鳥時代
- 平安時代
- 鎌倉時代
- 1185年|文治元年|勝長寿院旧跡
- 1185年|文治元年|義経宿陣之跡
- 1185年|文治元年|土佐坊昌俊邸址
- 1186年|文治二年|主馬盛久之頸坐
- 1189年|文治五年|永福寺旧蹟
- 1199年|建久十年|法華堂跡
- 1199年|正治元年|畠山重忠邸址
- 1203年|建仁三年|比企能員邸址
- 1204年|元久元年|北条執権邸旧蹟
- 1205年|元久二年|畠山重保邸址
- 1205年|元久二年|相馬次郎師常之墓
- 1212年|建暦二年|大慈寺跡
- 1213年|建保元年|歌の橋
- 1225年|嘉禄元年|宇津宮辻幕府旧跡
- 1225年|嘉禄元年|長楽寺跡
- 1232年|貞永元年|和賀江島
- 1236年|嘉禎ニ年|若宮大路幕府旧跡
- 1239年|延応元年|今宮
- 1240年|仁治元年|蓮華寺阯
- 1240年|仁治元年|朝夷奈切通
- 1246年|寛元四年|青砥藤綱旧蹟
- 1246年|寛元四年|青砥藤綱邸旧蹟
- 1247年|宝治元年|筋替橋
- 1248年|宝治二年|乱橋
- 1253年|建長五年|日蓮上人草庵阯
- 1253年|建長五年|日蓮聖人辻説法之阯
- 1254年|建長六年|聖福寺阯
- 1256年|建長八年|藤原仲能之墓
- 1258年|正嘉二年|鉄井
- 1260年|文応元年|宿屋光則屋敷跡
- 1271年|文永八年|日蓮上人祈雨旧跡
- 1279年|弘安二年|阿仏尼旧蹟
- 1279年|弘安ニ年|藤谷黄門遺蹟
- 1282年|弘安五年|太平寺跡
- 1321年|元亨元年|弁谷
- 1332年|元弘二年|俊基朝臣墓所
- 1333年|元弘三年|洲崎古戦場
- 1333年|元弘三年|十一人塚
- 1333年|元弘三年|極楽寺坂
- 1333年|元弘三年|稲村崎
- 1333年|元弘三年|東勝寺旧蹟
- 室町時代
- 戦国時代
- 時代不明
- 鎌倉の歴史把握に役立った書籍
- おススメ鎌倉グッズ・お土産
飛鳥時代
697年|天武天皇元年|染屋太郎大夫時忠邸阯
「染屋太郎大夫時忠邸跡」碑は、鎌倉の飛鳥時代についての事が記載されている貴重な石碑です。
平安時代
1063年|康平六年|元八幡
「元八幡(由比若宮)」を、石清水八幡宮から勧請した年を採用しています。
1083年|永保三年|源氏山
※後三年の役(1083年)で八幡太郎義家が出陣する際に源氏山山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈願
1104年|長治元年|荏柄天神社
※荏柄天神社は、平安時代創建で源頼朝も崇拝した神社です。ウメやイチョウ等見どころ沢山
1180年|治承四年|稲瀬川
万葉集にも読まれた「稲瀬川」、吾妻鏡にも出会いや出陣などでの頻出地名です
1180年|治承四年|大蔵幕府旧跡
大蔵幕府とは、鎌倉へ入った源頼朝が建てた将軍御所のこと、武家政権の中心地
1180年|治承四年|西御門&東御門
西御門と東御門はその名の通り、大蔵御所の東西の御門があったことから呼ばれています。
1180年|治承四年|足達盛長邸址
※足達盛長邸は、源頼朝と同じく鎌倉入りし、まず邸宅を造ったと思われるのでこの年を想定
1180年|治承四年|二十五坊旧蹟
二十五坊は鶴岡八幡宮の僧舎ということもあり、八幡宮が現在地に遷された年を適用
1182年|寿永元年|段葛
段葛は、鎌倉に幕府を開いて早1~2年後に鎌倉中の御家人が協力して作り上げた道
1182年|寿永元年|源平池
源平池は、初期の鶴岡八幡宮造営時から作られた歴史のある2つの池
1182年|寿永元年|文覚上人屋敷迹
文覚上人は、頼朝と同時期に伊豆に流された僧侶。頼朝と知り合いになり歴史に名を残します
1184年|元暦元年|清水冠者義高之墓
清水冠者義高とは、信濃源氏「木曽義仲」の嫡男「木曽義高(源義高)」のこと
1184年|元暦元年|大江廣元邸址
大江広元邸は、当時のメイン道「金沢街道」の朝夷奈切通の近くにありました
1184年|元暦元年|問注所旧跡
問注所とは今でいう「裁判所」の事、初代長官は三善康信が努めました。
鎌倉時代
1185年|文治元年|勝長寿院旧跡
勝長寿院は、鎌倉市の大御堂が谷にあり、鎌倉三大寺院の一つに数えられます。
1185年|文治元年|義経宿陣之跡
義経宿陣之跡は腰越の萬福寺にあり、ここは昔、鎌倉との境のあったと思われます。
1185年|文治元年|土佐坊昌俊邸址
土佐坊昌俊は深掘ると面白い人物、源義朝に仕え、その死を義経の母「常盤御前」に伝えたとか・・
1186年|文治二年|主馬盛久之頸坐
主馬盛久とは、平清盛の側近だった「平盛国」の八男だそうです。神に見放されなかった男。
1189年|文治五年|永福寺旧蹟
国指定史跡の永福寺、鎌倉市二階堂に建てられ、二階堂という名前の由来にもなっています。
1199年|建久十年|法華堂跡
※法華堂跡については、源頼朝の死没日としています。
1199年|正治元年|畠山重忠邸址
畠山重忠邸は、石碑に書いているように、三幡が亡くなった年にしています。
1203年|建仁三年|比企能員邸址
※比企能員邸については、比企能員の変が起きた年を採用
1204年|元久元年|北条執権邸旧蹟
※初めに、北条執権邸に住んだ北条義時が執権に就任した年を適用しました。
1205年|元久二年|畠山重保邸址
畠山重保邸址については、その時まで住んでいたと思われる畠山重忠の乱が起きた年を適用しました
1205年|元久二年|相馬次郎師常之墓
相馬師常の墓については、千葉常胤の次男「相馬師常」が亡くなった年齢を適用しています
1212年|建暦二年|大慈寺跡
大慈寺(廃寺)は、石碑にも書いてある創建の年を適用しています。
1213年|建保元年|歌の橋
渋川兼守が歌の橋を架けるきっかけとなった、泉親平の乱&和田合戦の年を適用しています
1225年|嘉禄元年|宇津宮辻幕府旧跡
大蔵幕府から移った、宇都宮辻子幕府が始まった年を適用しています
1225年|嘉禄元年|長楽寺跡
今は廃寺ですが、北条政子が長楽寺を創建した年を適用しています
1232年|貞永元年|和賀江島
鎌倉時代、和賀江島が完成した年を適用しています
1236年|嘉禎ニ年|若宮大路幕府旧跡
以前の宇津宮辻子幕府から、若宮大路幕府へ設置された年を適用しています。
1239年|延応元年|今宮
鶴岡八幡宮の今宮(別称:新宮)は、創建された年を適用しています。
1240年|仁治元年|蓮華寺阯
材木座「光明寺」の前身とされる蓮華寺(移転廃寺)の創建年を適用しています
1240年|仁治元年|朝夷奈切通
鎌倉七口の一つ「朝夷奈切通」の工事決定がされた年を適用しています。完成は翌年。
1246年|寛元四年|青砥藤綱旧蹟
注)青砥藤綱は、5代執権北條時頼に仕えていたことから、執権就任初年の1246年としています。
1246年|寛元四年|青砥藤綱邸旧蹟
注)青砥藤綱邸について、上記と同じく北条時頼執権就任年としてします
1247年|宝治元年|筋替橋
筋替橋が戦場となった宝治合戦が起きた年を適用しています
1248年|宝治二年|乱橋
乱橋は、吾妻鏡に橋名の記載が残る1248年を適用しています
1253年|建長五年|日蓮上人草庵阯
日蓮上人草庵跡は、日蓮が安房から鎌倉に出てきて草庵を建てたとされる年を適用しています
1253年|建長五年|日蓮聖人辻説法之阯
日蓮聖人辻説法跡は、日蓮が安房から鎌倉に出てきた年を適用しています
1254年|建長六年|聖福寺阯
北条時頼が建立した聖福寺(廃寺)の創建年を適用しています。
1256年|建長八年|藤原仲能之墓
1258年|正嘉二年|鉄井
1260年|文応元年|宿屋光則屋敷跡
1271年|文永八年|日蓮上人祈雨旧跡
1279年|弘安二年|阿仏尼旧蹟
※阿仏尼が鎌倉へ下向した年です
1279年|弘安ニ年|藤谷黄門遺蹟
※母阿仏尼が鎌倉へ下向した年を記載。(それ以降為相も鎌倉へ行ったと考えられるから)
1282年|弘安五年|太平寺跡
1321年|元亨元年|弁谷
1332年|元弘二年|俊基朝臣墓所
1333年|元弘三年|洲崎古戦場
1333年|元弘三年|十一人塚
1333年|元弘三年|極楽寺坂
1333年|元弘三年|稲村崎
1333年|元弘三年|東勝寺旧蹟
室町時代
1335年|建武二年|理智光寺址
1336年|建武三年|足利公方邸旧蹟
※室町幕府成立と同時に鎌倉府が設置されたと思われるため
足利公方邸|鎌倉時代の重要な鎌倉街道(下道)沿いにあった鎌倉公方・足利一族の館跡
1351年|観応ニ年|扇谷上杉管領屋敷迹
※扇ガ谷上杉家の祖「上杉顕定」の生誕年を適用しています。
1416年|応永二三年|上杉朝宗及氏憲邸阯
1432年|永享四年|太田道灌邸旧跡
1439年|永享十一年|永安寺跡
「永安寺跡」は永安寺の最後の歴史、第4代鎌倉公方「足利持氏」が自刃した年代になります。
戦国時代
1512年|永正九年|玉縄城址
1526年|大永六年|玉縄首塚
鎌倉市岡本にある「玉縄首塚」碑は、地元の玉縄史跡顕彰会が建てた石碑です。
1548年|天文十七年|関取場跡
関取場跡は、今も昔も交通の要所「金沢街道」沿いに後北条氏が設けた関所
時代不明
柳原(鶴岡八幡宮)
針磨橋
極楽寺坂
鎌倉七口の一つ「極楽寺切通」は、坂ノ下~極楽寺間の坂道です