鎌倉市内にある「旧跡案内石碑一覧(約80か所)」|より深い鎌倉の歴史を学ぶ

鎌倉市内にある「旧跡案内石碑一覧(約80か所)」|より深い鎌倉の歴史を学ぶ

2023-05-14

鎌倉市に約80基ほど設置されているという旧跡案内石碑。

インターネット上には既に、多くのこれら石碑を解説したページも沢山ありますが、自分で見つけて読むことが理解を深めるし大切な事だと思ったので、ノート的な記録としてブログに記載しました。

また、自分なりに解読し、難読漢字やこじつけ知識ネタも併せて記載してみました。

石碑は、そのテーマが発生した日付順に並べてみました。
他のサイトで設置地区や建立年月で並べたものはあったのですが、自分としては、鎌倉の歴史の流れを掴みたいと思ったので。

でも、歴史上の出来事は年月で並べられますが、それ以外、つまり人物や史跡の説明などは、人物の生年月日や史跡の創建時期など、多少のアドリブが入ってます。

目次

鎌倉旧跡案内石碑マップ

鎌倉市内に点在する石碑をマップに落とし込みました。
実際に行かれる時など、ご参考下さい。

飛鳥時代

697年|天武天皇元年|染屋太郎大夫時忠邸阯

染屋太郎大夫時忠邸跡」碑は、鎌倉の飛鳥時代についての事が記載されている貴重な石碑です。

染屋時忠|奈良時代の鎌倉・長谷周辺にいたとされる豪族とそのゆかりの地(石碑を読む)
今回は長谷にある石碑「染屋太郎大夫時忠邸阯」の石碑を読んでみることにしました。昔の人の名前って姓と名の間に役職とか付いてくるので難しいですよね。 いまで言う「○…
www.1192-diary.com

平安時代

1063年|康平六年|元八幡

元八幡(由比若宮)」を、石清水八幡宮から勧請した年を採用しています。

元八幡(由比若宮)|鎌倉&源氏のシンボル、鶴岡八幡宮の歴史はここから始まった(石碑を読む)
今回は鎌倉市内に設置されている鶴岡八幡宮の前身だった元八幡(由比若宮)の石碑を読んでみました。石碑の前に文化財の標識や棒標が立っていて、写真撮るのに苦労しました…
www.1192-diary.com

1083年|永保三年|源氏山

※後三年の役(1083年)で八幡太郎義家が出陣する際に源氏山山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈願

源氏山|鎌倉の聖地、源頼義の代から源頼朝まで、清和源氏ゆかりの地(石碑を読む)
今回は「源氏山」の石碑を読んでみました。源氏山の石碑は、源氏山の山頂近くにあるのかなと思ったら、山麓の寿福寺門前の前に建っていました。 源氏山って名前が付くくら…
www.1192-diary.com

1104年|長治元年|荏柄天神社

荏柄天神社は、平安時代創建で源頼朝も崇拝した神社です。ウメやイチョウ等見どころ沢山

荏柄天神社|日本三天神の一つと言われる、鎌倉の有名な天神様(石碑を読む)
今回は鎌倉市内にある石碑の中で、荏柄天神社の入口付近にある石碑を読んでみました。 荏柄天神社は鎌倉幕府の前からある古い神社で、石碑の記載内容も多くて読むの大変で…
www.1192-diary.com

1180年|治承四年|稲瀬川

万葉集にも読まれた「稲瀬川」、吾妻鏡にも出会いや出陣などでの頻出地名です

稲瀬川|源頼朝から新田義貞まで、鎌倉時代の歴史が詰まった小さな小川(石碑を読む)
今回は由比ガ浜に注ぐ小さな稲瀬川の石碑を読んでみました。鎌倉の歴史などに疎かったら、用水路じゃないかと思うくらいの川です。 そしてこの石碑、二か所、年代が間違っ…
www.1192-diary.com

1180年|治承四年|大蔵幕府旧跡

大蔵幕府とは、鎌倉へ入った源頼朝が建てた将軍御所のこと、武家政権の中心地

大蔵幕府|鎌倉で源頼朝が過ごした、武家政権の最初の中心地(石碑を読む)
今回は大蔵幕府旧跡の石碑を読んでみました。 昔の武家政権の中心地ですけど、今の鎌倉は若宮大路と鶴岡八幡宮が中心地になってるので、結構離れた場所が中心地だったんだ…
www.1192-diary.com

1180年|治承四年|西御門&東御門

西御門と東御門はその名の通り、大蔵御所の東西の御門があったことから呼ばれています。

西御門&東御門|大倉幕府の東西に存在した御門、西御門は今も地名に(石碑を読む)
鎌倉市内にある石碑 鎌倉青年会(団)が大正6年から、鎌倉の文化遺産を市民や観光客に分かりやすく説明するために、市内に旧跡案内の石碑を約80基建立しています。 こ…
www.1192-diary.com

1180年|治承四年|足達盛長邸址

足達盛長邸は、源頼朝と同じく鎌倉入りし、まず邸宅を造ったと思われるのでこの年を想定

安達盛長邸|鎌倉殿の13人の一人、鎌倉幕府の有力御家人(石碑を読む)
今回は甘縄神明神社の入口に置かれている「安達盛長邸」の石碑を読んでみました。安達一族の初期から後半まで軽く触れてくれているので、これをきっかけに深堀するのも面白…
www.1192-diary.com

1180年|治承四年|二十五坊旧蹟

二十五坊は鶴岡八幡宮の僧舎ということもあり、八幡宮が現在地に遷された年を適用

二十五坊|鶴岡八幡宮の奥深く、古都保存法のきっかけとなった場所(石碑を読む)
今回は北鎌倉方面から鶴岡八幡宮へ向かう途中(巨福呂坂の終点近く)に置いてある「二十五坊」の石碑を読んでみました。っていうか、汚れまくっていて読めませんけど・・・…
www.1192-diary.com

1182年|寿永元年|段葛

段葛は、鎌倉に幕府を開いて早1~2年後に鎌倉中の御家人が協力して作り上げた道

段葛|鶴岡八幡宮に向かって若宮大路の中心に延びる鎌倉時代初期から残る歴史道(石碑を読む)
今回は段葛が始まる二の鳥居に設置ある「段葛」石碑を読んでみました。昔の段葛がどこまで延びていたかわかりますね。 それにしても、段葛の終点(三の鳥居:鶴岡八幡宮の…
www.1192-diary.com

1182年|寿永元年|源平池

源平池は、初期の鶴岡八幡宮造営時から作られた歴史のある2つの池

源平池|鶴岡八幡宮境内にある大きな池、源氏池+平家池=源平池(石碑を読む)
今回は鶴岡八幡宮にある源平家の石碑を読んでみました。遠くから見ると、何が書いてあるか全くわかりませんね(汗) でも近くから見ると奇麗に掘られた文字は見えますよ。…
www.1192-diary.com

1182年|寿永元年|文覚上人屋敷迹

文覚上人は、頼朝と同時期に伊豆に流された僧侶。頼朝と知り合いになり歴史に名を残します

文覚上人|伊豆で頼朝に旗揚げを促した人物、恋に修行に祈禱に激しい僧侶の屋敷跡(石碑を読む)
今回は金沢街道の大御堂橋近くにある文覚上人に関する石碑を読んでみました。好きな人を間違って殺してしまったり、めちゃくちゃな修行をしたり、とっても激しい人だったら…
www.1192-diary.com

1184年|元暦元年|清水冠者義高之墓

清水冠者義高とは、信濃源氏「木曽義仲」の嫡男「木曽義高(源義高)」のこと

木曽冠者義高之墓|常楽寺の裏山に建てられた木曽義仲嫡男の墓(石碑を読む)
鎌倉市大船にある常楽寺。建長寺を開山する前に蘭渓道隆が滞在していたという臨済宗建長寺派のお寺なのですが、その裏にある粟船山に木曽義仲の嫡男「清水冠者義高(木曽義…
1192-diary.com

1184年|元暦元年|大江廣元邸址

大江広元邸は、当時のメイン道「金沢街道」の朝夷奈切通の近くにありました

大江廣元屋敷|守護・地頭設置の建議など、鎌倉幕府誕生の功労者(石碑を読む)
今回は鎌倉殿の13人の一人「大江広元」に関する石碑を読んでみました。結構、辺鄙なところに家が有ったんですね、それとも、金沢街道の六浦側の防御の為? 戦国武将で有…
www.1192-diary.com

1184年|元暦元年|問注所旧跡

問注所とは今でいう「裁判所」の事、初代長官は三善康信が努めました。

問注所旧蹟|当時の裁判所跡、三善康信が初代執事を務める(石碑を読む)
今回は、鎌倉殿の13人の一人、三善康信(1140-1221|公家)が初代執事をつとめた「問注所」跡にある石碑を読んでみました。 https://1192-dia…
www.1192-diary.com

鎌倉時代

1185年|文治元年|勝長寿院旧跡

勝長寿院は、鎌倉市の大御堂が谷にあり、鎌倉三大寺院の一つに数えられます。

勝長寿院|父「源義朝」を弔う為に創建された大寺院(石碑を読む)
今回は源頼朝が創建した「勝長寿院(しょうちょうじゅいん)」の石碑を読んでみました。 石碑の有る場所も分かりにくいし、寺院が建っていたであろう平場跡も住宅が沢山建…
www.1192-diary.com

1185年|文治元年|義経宿陣之跡

義経宿陣之跡は腰越の萬福寺にあり、ここは昔、鎌倉との境のあったと思われます。

義経宿陣之跡|鎌倉へ入れない源義経、腰越状で有名な満福寺(石碑を読む)
今回は腰越の満福寺にある「義経宿陣之趾」の石碑を読んでみました。 石碑の多くは鎌倉中心部にあるのですが、腰越っていう鎌倉から結構離れた場所(今でもすぐ横が藤沢市…
www.1192-diary.com

1185年|文治元年|土佐坊昌俊邸址

土佐坊昌俊は深掘ると面白い人物、源義朝に仕え、その死を義経の母「常盤御前」に伝えたとか・・

土佐坊昌俊|京都にいる源義経を襲った家族思いの鎌倉武士(石碑を読む)
今回は住宅地の中に申し訳なさそうに設置してある石碑「土佐坊昌俊」を読んでみました。この石碑を読むまで、この人知りませんでした。。。 鎌倉検定の公式テキストブック…
www.1192-diary.com

1186年|文治二年|主馬盛久之頸坐

主馬盛久とは、平清盛の側近だった「平盛国」の八男だそうです。神に見放されなかった男。

主馬盛久頸座|不思議な力で命拾いした人物(石碑を読む)
今回は由比ガ浜大通りの中央付近にある、主馬盛久の石碑を読んでみました。この石碑を読むまでは、盛久が誰だか、全く知りませんでした。 主馬盛久之頸坐 「主馬盛久之頸…
www.1192-diary.com

1189年|文治五年|永福寺旧蹟

国指定史跡の永福寺、鎌倉市二階堂に建てられ、二階堂という名前の由来にもなっています。

永福寺旧蹟|鎌倉時代には大寺院、全国の二階堂さんの故郷(石碑を読む)
今回は鎌倉市内にある「永福寺旧蹟」の石碑を読んでみました。 この永福寺跡地に当時としては大きな二階建てのお堂があったので、二階堂という名字の元になったと、テレビ…
www.1192-diary.com

1199年|建久十年|法華堂跡

法華堂跡については、源頼朝の死没日としています。

法華堂跡(源頼朝の墓)|源頼朝が眠る場所は安達氏・三浦氏にとってもゆかりの地(石碑を読む)
今回は鎌倉市の西御門にある法華堂跡の石碑を読んでみることにします。 源頼朝ゆかりの地ですけど、頼朝に仕えてきた御家人にとってはある意味「聖地」でもあるわけで、鎌…
www.1192-diary.com

1199年|正治元年|畠山重忠邸址

畠山重忠邸は、石碑に書いているように、三幡が亡くなった年にしています。

畠山重忠邸|頼朝に信頼された鎌倉御家人、頼朝次女「三幡姫」にまつわる話(石碑を読む)
今回は鶴岡八幡宮の近くにある「畠山重忠邸址」の石碑を読んでみました。 てっきり畠山重忠についての事が書かれているのかと思ったら、単なる場所の説明でしたね・・・。…
www.1192-diary.com

1203年|建仁三年|比企能員邸址

比企能員邸については、比企能員の変が起きた年を採用

比企能員邸|鎌倉殿13人の一人を擁する比企一族最後の地(石碑を読む)
今回は妙本寺にある「比企能員(ひき よしかず)」関連の石碑を読んでみました。妙本寺って本堂へ向かう参道が長くて雰囲気があって、どちらかというと京都っぽいお寺で大…
www.1192-diary.com

1204年|元久元年|北条執権邸旧蹟

※初めに、北条執権邸に住んだ北条義時が執権に就任した年を適用しました。

北條執権邸|鎌倉時代に栄華を極めた北条得宗家の邸宅跡(石碑を読む)
今回は鎌倉市小町の宝戒寺前にある「北条執権邸」の石碑を読んでみました。夏の季節に向かうにしたがって、草花が石碑の周りを取り囲んで、どんどん読めなくなります・・・…
www.1192-diary.com

1205年|元久二年|畠山重保邸址

畠山重保邸址については、その時まで住んでいたと思われる畠山重忠の乱が起きた年を適用しました

畠山重保邸阯|北条時政に嵌められた人物、坂東武士の鏡「重忠」の嫡男(石碑を読む)
今回は、若宮大路を滑川交差点に向かって進んだ場所(一の鳥居付近)にある「畠山重保邸阯」の石碑を読んでみることにしました。鶴岡八幡宮の近くには、父の「畠山重忠」に…
www.1192-diary.com

1205年|元久二年|相馬次郎師常之墓

相馬師常の墓については、千葉常胤の次男「相馬師常」が亡くなった年齢を適用しています

相馬師常|信望の厚かった千葉氏庶流(次男)で相馬氏の祖(石碑を読む)
今回は扇ガ谷の住宅街の奥地(谷戸の奥)にたたずむ、相馬師常の墓の石碑を読んでみました。埋葬されている人(特にそれが有力武士とか)が特定されているやぐらって相当珍…
1192-diary.com

1212年|建暦二年|大慈寺跡

大慈寺(廃寺)は、石碑にも書いてある創建の年を適用しています。

大慈寺跡|鎌倉幕府将軍繋がり、源実朝と宗尊親王ゆかりの大寺院(石碑を読む)
今回は金沢街道沿いにある「大慈寺跡」の石碑を読んでみました。これも今は廃寺ですけど、当時は新御堂と言われていて物凄く大きなお寺だったようです。 今も残っていたら…
www.1192-diary.com

1213年|建保元年|歌の橋

渋川兼守が歌の橋を架けるきっかけとなった、泉親平の乱&和田合戦の年を適用しています

歌の橋|和田合戦の裏に隠された、和歌にまつわる鎌倉時代の出来事(石碑を読む)
今回は金沢街道沿いにある「歌の橋」石碑を読んでみました。歌=和歌といえば、源実朝が頭に浮かびましたが、やっぱり石碑に書かれてましたね! 歌埜橋 「歌の橋」石碑の…
www.1192-diary.com

1225年|嘉禄元年|宇津宮辻幕府旧跡

大蔵幕府から移った、宇都宮辻子幕府が始まった年を適用しています

宇津宮辻幕府|摂家将軍「藤原頼経(4代)」が長く滞在した場所(石碑を読む)
今回は「宇津宮辻幕府(宇都宮辻幕府)」についての石碑を読んでみました。11年間という短い期間ですが、初の摂家将軍「藤原頼経」が長く住んでいた場所ですね。 ちなみ…
www.1192-diary.com

1225年|嘉禄元年|長楽寺跡

今は廃寺ですが、北条政子が長楽寺を創建した年を適用しています

長樂寺跡|鎌倉文学館の広大な土地は、七堂伽藍を有する大寺院だった(石碑を読む)
今回は、笹目にある鎌倉文学館の入口付近に建っている「長楽寺跡」の石碑を読んでみました。鎌倉文学館は、昔の大寺院の跡地に建てられたんですね。 広大な敷地ですから納…
www.1192-diary.com

1232年|貞永元年|和賀江島

鎌倉時代、和賀江島が完成した年を適用しています

和賀江島|飯島の地、日本に現存する最古の築港遺跡(石碑を読む)
今回は、鎌倉市材木座の海の中にある「和賀江島」の石碑を読んでみました。 この石碑、いつも海の上にぽっかり浮かんでいるので、いつ読むんだよ!って思っていましたが、…
www.1192-diary.com

1236年|嘉禎ニ年|若宮大路幕府旧跡

以前の宇津宮辻子幕府から、若宮大路幕府へ設置された年を適用しています。

若宮大路幕府|約100年、鎌倉幕府終焉まで見届けた幕府跡(石碑を読む)
今回は若宮大路幕府の石碑を読んでみました。幕府の石碑は、大蔵、宇津宮辻、若宮大路と3つありますから、連続性を把握して読みたいですね。 なかでも、幕府設置の期間が…
www.1192-diary.com

1239年|延応元年|今宮

鶴岡八幡宮の今宮(別称:新宮)は、創建された年を適用しています。

今宮|鎌倉・鶴岡八幡宮の奥にひっそり佇む、承久の乱ゆかりの地(石碑を読む)
今日は鶴岡八幡宮の飛び地境内(と言うのでしょうか?)にある今宮の石碑を読んでみました。ここまで来る人ってなかなかいませんが、八幡宮の境内図には書かれている場所で…
www.1192-diary.com

1240年|仁治元年|蓮華寺阯

材木座「光明寺」の前身とされる蓮華寺(移転廃寺)の創建年を適用しています

蓮華寺阯|佐助流北条氏が関係?佐助ヶ谷にあった光明寺の前身寺院(石碑を読む)
今回は蓮華寺という、またまた鎌倉で初めて聞くお寺の名前が書かれた石碑を読んでみました。 現在お寺が残ってない場合は、廃寺、または、移転がありますが、蓮華寺は移転…
www.1192-diary.com

1240年|仁治元年|朝夷奈切通

鎌倉七口の一つ「朝夷奈切通」の工事決定がされた年を適用しています。完成は翌年。

朝夷奈切通|朝夷奈三郎義秀伝説、鎌倉-六浦を結ぶ要衝の路(石碑を読む)
今回は、鎌倉市と横浜市金沢区をつなぐ歴史道「朝夷奈切通(あさいなきりどおし)」の石碑を読んでみました。大切通と小切通と二つあったなんて、石碑を読むまで知りません…
www.1192-diary.com

1246年|寛元四年|青砥藤綱旧蹟

注)青砥藤綱は、5代執権北條時頼に仕えていたことから、執権就任初年の1246年としています。

青砥藤綱|自分の得より天下の利、鎌倉時代後期の引付衆メンバー(石碑を読む)
今回は東勝寺橋のすぐ横に立っている「青砥藤綱」の石碑を読んでみました。生没年不詳であまり詳しいことが分かっていませんけど、鎌倉にはこの人の石碑が2個もあるんです…
www.1192-diary.com

1246年|寛元四年|青砥藤綱邸旧蹟

注)青砥藤綱邸について、上記と同じく北条時頼執権就任年としてします

青砥藤綱邸|鎌倉執権を補佐した優秀な部下(引付衆)の邸宅跡(石碑を読む)
今回は青砥藤綱邸についての石碑を読んでみました。鎌倉市には、青砥藤綱にはもう一つ石碑があって、それは東勝寺橋にある青砥藤綱の、とある行動についての話。 http…
www.1192-diary.com

1246年|寛元四年|万葉集研究遺跡

万葉集研究遺跡碑については、仙覚律師が藤原頼経に万葉集の校訂を命じられた年を適用しています。

万葉集研究遺跡|妙本寺にある大きな功績を残した仙覚律師の碑(石碑を読む)
万葉集研究遺跡(妙本寺境内) 今回は妙本寺境内にある「万葉集研究遺跡」の石碑を呼んでみました。 比企氏の出身と言われている、天台宗の学問僧「仙覚律師」が生涯をか…
1192-diary.com

1247年|宝治元年|筋替橋

筋替橋が戦場となった宝治合戦が起きた年を適用しています

筋替橋|鎌倉御家人合戦 三浦 vs 安達 1247年宝治合戦の地(石碑を読む)
今回は鎌倉の鶴岡八幡宮の東側にある「筋替橋」の石碑を読んでみました。昔に川が流れていたのか?それとも今、暗渠になって下に川が流れているのか? 分かりませんけど、…
www.1192-diary.com

1248年|宝治二年|乱橋

乱橋は、吾妻鏡に橋名の記載が残る1248年を適用しています

乱橋|名前の由来は陣形が乱れた?材木座にある鎌倉十橋の一つ(石碑を読む)
今回は、鎌倉市にある鎌倉十橋の一つにもなっている「乱橋」の石碑を読んでみました。「らんばし」って読んでしまいそうですが、正式には「みだればし」と読みます。 読み…
www.1192-diary.com

1253年|建長五年|日蓮上人草庵阯

日蓮上人草庵跡は、日蓮が安房から鎌倉に出てきて草庵を建てたとされる年を適用しています

日蓮上人草庵阯|日蓮宗の開祖「日蓮」が鎌倉で初めて庵を結んだ地(石碑を読む)
今回は安国論寺の門前に立っている「日蓮上人」関連の石碑を読んでみました。石碑にはときどき「皇紀」が記載されますけど、日本人には皇紀がしっくりきますよね。 戦後の…
www.1192-diary.com

1253年|建長五年|日蓮聖人辻説法之阯

日蓮聖人辻説法跡は、日蓮が安房から鎌倉に出てきた年を適用しています

日蓮聖人辻説法|鎌倉時代のメインストリート小町大路、日蓮宗の布教スタート地(石碑を読む)
今回は日蓮関連の石碑の中でも「辻説法」の石碑を読んでみました。日蓮についてのことより、この場所が当時、人通りも多くて栄えていたことが分かって楽しいですね。 今は…
www.1192-diary.com

1254年|建長六年|聖福寺阯

北条時頼が建立した聖福寺(廃寺)の創建年を適用しています。

聖福寺阯|七里ガ浜を望む高台、北条時頼が子供のために建てた寺(石碑を読む)
聖福寺阯 今回は稲村ケ崎の僻地にある石碑をようやく発見したので、足を運んできました。 「聖福寺阯」石碑の場所 聖福寺阯の石碑の場所は、稲村が﨑といっても海側では…
www.1192-diary.com

1256年|建長八年|藤原仲能之墓

宗尊親王の命で海蔵寺(前身)を創建した藤原仲能の死去年を適用しています。

藤原仲能|花の寺「海蔵寺」を創建、鎌倉幕府の評定衆(重臣)の一人(石碑を読む)
今回は源氏山公園内(葛原岡神社側)にあった、「藤原仲能之墓(ふじわらのなかよしのはか)」石碑を読んでみました。藤原仲能って誰?という疑問と、新しい人物を知ること…
www.1192-diary.com

1258年|正嘉二年|鉄井

鉄の井から掘り出された観音像が埋まった原因とされる、火事発生日を適用しています。

鉄ノ井|鉄(くろがね)は、鎌倉時代の火災で埋まっていた鉄製の観音像の事だった(石碑を読む)
今回は小町通りの最後部(鶴岡八幡宮側)に立っている鉄井の石碑を読んでみました。昭和16年に建立と、この石碑シリーズでは遅めの設置。 解読する側からすると、文字数…
www.1192-diary.com

1260年|文応元年|宿谷光則屋敷跡

日蓮上人が「立正安国論」を渡すために宿谷光則の屋敷を訪ねてきた年を適用しています。

宿谷光則|日蓮上人に帰依し自宅を捧げた鎌倉5代執権北條時頼の側近(石碑を読む)
宿谷光則屋敷跡 「宿屋光則屋敷跡」石碑の場所 光則寺の門前左側に石碑が置かれています。 石碑に書かれている文字は? 宿谷左衛門尉光則ハ北條時頼ノ近臣ナリ文應元年…
www.1192-diary.com

1271年|文永八年|日蓮上人祈雨旧跡

日蓮上人祈雨旧跡碑は、忍性と日蓮上人が祈雨の事で争った年を適用しています。

日蓮上人祈雨旧跡|鎌倉の2大僧侶、日蓮 vs 忍性の雨乞い対決(石碑を読む)
今回は霊光寺にある日蓮関係の石碑を読んでみました。鎌倉新仏教で有名になった僧は沢山いますけど、日蓮上人ほど、鎌倉で名前を見る宗祖はいませんね。 日蓮上人祈雨旧跡…
www.1192-diary.com

1279年|弘安二年|阿仏尼旧蹟

阿仏尼が鎌倉へ下向し、阿仏尼邸に住み始めたと思われる年を適用しています

阿佛邸旧跡|京から出てきて月影ヶ谷へ、紀行文「十六夜日記」の著者(石碑を読む)
阿佛邸旧跡(あぶつに|石碑) 「阿佛邸旧跡」石碑の場所 実際に阿仏尼が住んでいた場所は石碑よりもっと谷の奥側と言われています。石碑は江ノ電沿いにあって、江ノ電と…
www.1192-diary.com

1279年|弘安ニ年|藤谷黄門遺蹟

母「阿仏尼」が鎌倉へ下向した年を適用。それ以降藤谷黄門(冷泉為相)も鎌倉へ行ったと考えられる

藤谷黄門|黄門は中納言の唐名、和歌一族の冷泉家ルーツの地(石碑を読む)
今回は摩訶不思議な「藤谷黄門」石碑を読んでみることにしました。黄門って誰よ。水戸黄門かよ。って突っ込みたくなりますけど、冷泉為相さんでした。 初めの頃はよく分か…
www.1192-diary.com

1282年|弘安五年|太平寺跡

今は廃寺の太平寺跡の創建とされる年(数年の誤差アリ)を適用しています(開山:妙法尼)

太平寺跡|西御門にある、鎌倉尼五山第一位で円覚寺舎利殿の故郷 (石碑を読む)
今回は太平寺跡の石碑を読んでみることにしました。 以前「西御門」の石碑を読んだときに、この西御門周辺にはお寺が結構並んでたみたいだということが分かりましたね! …
www.1192-diary.com

1321年|元亨元年|弁谷

弁谷の地に、北条高時が崇寿寺(廃寺)を創建した年を適用しています。

辨谷|千葉常胤ゆかりの地?静かな材木座地区の知られざる過去(石碑を読む)
今回は材木座にある谷戸の一つ、住民じゃないと知らないんじゃないかと思う場所にある「弁谷」の石碑を見つけたので、読んでみることにしました。 辨谷(弁谷|べんがやつ…
www.1192-diary.com

1332年|元弘二年|俊基朝臣墓所

日野俊基朝臣の墓所は、日野俊基が葛原岡で処刑された年を適用しています。

日野俊基の墓|葛原岡神社のご祭神、朝廷の復権に命を懸けた公家(石碑を読む)
今回は葛原岡神社にある「日野俊基朝臣」の墓についての石碑を読んでみました。この神社、結構穴場で好きなんです。 初詣とかココのことが多いです。(ホントは鶴岡八幡宮…
www.1192-diary.com

1333年|元弘三年|洲崎古戦場

洲崎古戦場で討幕軍vs幕府軍が戦った年を適用しています

洲崎古戦場|最後の鎌倉幕府16代執権「赤橋守時」最期の地(石碑を読む)
今回は、湘南モノレール沿い(湘南深沢~湘南町屋間)にある、洲崎古戦場の石碑を読んでみました。古戦場って、戦国時代の戦いの史跡みたいですね! https://yo…
www.1192-diary.com

1333年|元弘三年|十一人塚

十一人塚は、鎌倉時代末期に、討幕軍vs幕府軍が戦った年を適用しています

十一人塚|1333年壮絶な極楽寺坂の戦い、討幕軍の英魂が眠る場所(石碑を読む)
今回は稲村ケ崎からほど近い場所にある「十一人塚」の石碑を読んでみました。鎌倉幕府滅亡への足掛かりとなった極楽寺口の戦いの一部の記憶です。 十一人塚 「十一人塚」…
www.1192-diary.com

1333年|元弘三年|極楽寺坂

鎌倉七口の一つ極楽寺坂は、ここで起きた討幕軍 vs 幕府軍との戦い(元弘の乱)の年を適用しています

関取場跡|戦国時代、後北条氏によって設けられた関所(石碑を読む)
今回も鎌倉市内に点在する石碑を読んでみようと思います。今回は昭和時代に建てられた石碑、鎌倉では珍しい戦国時代についての石碑です。 関取場跡(せきとりばあと) 関…
www.1192-diary.com

1333年|元弘三年|稲村ガ崎

稲村ガ崎は、ここで起きた討幕軍 vs 幕府軍との戦い(元弘の乱)の年を適用しています

稲村ケ崎|富士山と江ノ島のコラボ、鎌倉随一のデートスポットは超重要史跡(石碑を読む)
今回は稲村ケ崎にある石碑を読んでみました。稲村ガ崎からは、七里ヶ浜と江ノ島と富士山と夕日が見られる、鎌倉随一のデートスポット。 でも、鎌倉幕府が滅ぶきっかけとな…
www.1192-diary.com

1333年|元弘三年|東勝寺旧蹟

東勝寺旧跡は、討幕軍 vs 幕府軍との戦い(元弘の乱)で廃寺になった年を適用しています

東勝寺|宝戒寺境内の奥、鎌倉幕府終焉の地で心霊スポット(石碑を読む)
今回は、北条高時腹切りやぐらの入口に立っている東勝寺旧蹟の石碑を読んでみました。鎌倉幕府終焉の地で、870名もの大人数が自害したとんでもないところ。 心霊スポッ…
www.1192-diary.com

室町時代

1335年|建武二年|理智光寺址

理智光寺跡(廃寺)は、開山の願行上人が拾って供養した護良親王が殺された年を適用しています

理智光寺址|鎌倉宮の近く、護良親王と繋がりがある廃寺跡(石碑を読む)
今回は、今は廃寺となっている「理智光寺址」の石碑を読んでみました。廃寺となった鎌倉のお寺は多くて、今あるお寺だけでも100を超えるのに、把握するのが大変です(汗…
www.1192-diary.com

1336年|建武三年|足利公方邸旧蹟

※室町幕府成立と同時に鎌倉府が設置されたと思われるため

足利公方邸|鎌倉時代の重要な鎌倉街道(下道)沿いにあった鎌倉公方・足利一族の館跡

足利公方邸|鎌倉時代の重要な鎌倉街道(下道)沿いにあった鎌倉公方・足利一族の館跡
今回は金沢街道沿いにある「足利公方邸」の石碑を読んでみました。鎌倉幕府創立のときから、足利家はずーっとここに住んでいたんですね。鎌倉幕府に反旗を翻した「足利尊氏…
www.1192-diary.com

1351年|観応ニ年|扇谷上杉管領屋敷迹

※扇ガ谷上杉家の祖「上杉顕定」の生誕年を適用しています。

扇谷上杉管領屋敷|宗家の山内上杉家と両輪を成す関東管領家の一つ (石碑を読む)
今回は扇谷上杉家屋敷に関する石碑を読んでみました。上杉家は4つに分家しますけど、上杉の前に地名を付けてくれるので、なんとなくイメージ付きやすいですよね。 扇谷上…
www.1192-diary.com

1416年|応永二三年|上杉朝宗及氏憲邸阯

犬懸上杉家だった上杉朝宗と氏憲の屋敷があった場所。犬懸ヶ谷の入口にあります。

犬懸上杉家|永享の乱に繋がる鎌倉公方との対立、上杉禅秀の乱ゆかりの地(石碑を読む)
今回は浄明寺に建っている「犬懸上杉家」に関する石碑を読んでみました。室町時代の鎌倉の状況について、結構詳しく知ることができる内容で、為になると思います! 場所的…
www.1192-diary.com

1432年|永享四年|太田道灌邸旧跡

扇谷上杉家の家宰で有能な武将だった太田道灌の屋敷跡、今は英勝寺になっています。

太田道灌邸旧跡|英勝寺の地に住んでいた扇谷上杉家の家宰(石碑を読む)
今回は英勝寺の前に建てられている「太田道灌邸旧跡」の石碑を読んでみることにしました。いつもより文章が長かったので、なかなかキツかった(汗) この石碑は、太田道灌…
www.1192-diary.com

1439年|永享十一年|永安寺跡

永安寺跡」は永安寺の最後の歴史、第4代鎌倉公方「足利持氏」が自刃した年代になります。

【私有地】永安寺跡|室町幕府と対立した、第4代鎌倉公方自刃の場所(石碑を読む)
永安寺跡(ようあんじあと) 今回は「永安寺跡」の石碑を読んでみることにしました。ちなみに、この石碑、現在は私有地内にあるので、実際に石碑を見ることは出来ません。…
1192-diary.com

戦国時代

1512年|永正九年|玉縄城址

戦国武将の北条早雲が築城したとされる玉縄城。今は学校が建ってしまっています。

玉縄城址|戦国武将の先駆け「北条早雲」が築いた難攻不落の城(石碑を読む)
今回は鎌倉市大船側にある玉縄城址の石碑を読んでみました。何回も歩いたり走ったりしているはずなのに、石碑の場所が最近まで全く分かりませんでした・・・。 今朝の朝活…
www.1192-diary.com

1526年|大永六年|玉縄首塚

鎌倉市岡本にある「玉縄首塚」碑は、地元の玉縄史跡顕彰会が建てた石碑です。

玉縄首塚|柏尾川沿いにある、玉縄北条氏vs安房里見氏の激闘の歴史(石碑を読む)
今回は玉縄首塚の石碑を読んでみることにしました。 今までの鎌倉町青年団の石碑と違って、こちらは玉縄史跡顕彰会という団体が昭和42年建立した石碑で、他の昔からある…
1192-diary.com

1548年|天文十七年|関取場跡

関取場跡は、今も昔も交通の要所「金沢街道」沿いに後北条氏が設けた関所

関取場跡|戦国時代、後北条氏によって設けられた関所(石碑を読む)
今回も鎌倉市内に点在する石碑を読んでみようと思います。今回は昭和時代に建てられた石碑、鎌倉では珍しい戦国時代についての石碑です。 関取場跡(せきとりばあと) 関…
1192-diary.com

時代不明

柳原(鶴岡八幡宮)

柳原|鎌倉幕府執権「北条泰時」が歌にした、鶴岡八幡宮境内にある柳の名所(石碑を読む)
今回は、鶴岡八幡宮の柳原神池のほとりにある「柳池」の石碑を読んでみることにしました。ひょっとしたら、北條泰時ゆかりの地かもしれませんし、そうじゃないかもしれませ…
www.1192-diary.com

針磨橋

針磨橋は鎌倉十橋の一つ。極楽寺川の上に架かる橋。

針磨橋|今後の主流?石碑から案内板へ変わった旧跡案内(石碑を読む)
今回は江ノ電極楽寺駅から海へ向かって進んだ場所にある「針磨橋」の石碑を読んでみました。というか、住居の建て替え?時に石碑から案内板に変わってしまいました。 今後…
www.1192-diary.com

仮粧坂

仮粧坂|数々の戦場の舞台で鎌倉七口最大の要衝(石碑を読む)
仮粧坂 今回は国指定史跡「化粧坂」の入口にひっそり建っている石碑を見つけたので読んでみることにします。 「仮粧坂」石碑の場所 仮粧坂は、海蔵寺の扇が谷方面から源…
www.1192-diary.com

星月井

星月井は鎌倉十井の一つ。極楽寺坂の下辺にあります。

星月井|鎌倉の極楽寺坂下にある徳川家康も見た有名な井戸(石碑を読む)
今回は極楽寺坂(鎌倉市坂ノ下/鎌倉市極楽寺)にある「星月井」の石碑を読んでみました。この近くには「星月井」交差点もあるくらい、地名として使われている有名なところ…
www.1192-diary.com

夷堂橋

夷堂橋は、鎌倉十橋の一つ。本覚寺夷堂の近くに架かる橋です。

夷堂橋|鎌倉市内を流れる二級河川「滑川」の別名を理解する(石碑を読む)
今回は、本覚寺のそばにある夷堂橋の石碑を読んでみました。夷堂橋とか本覚寺の夷堂についての歴史が学べるのかなと思いきや、滑川の別名についてでした。 前回の鎌倉検定…
www.1192-diary.com

町屋址

鎌倉市大町に町屋址の石碑が建っています。

町屋址|中世鎌倉の中心街、鎌倉屈指の繁栄地とされた場所(石碑を読む)
今回は鎌倉市大町にある「町屋址」の石碑を読んでみました。石碑の左上が欠けちゃってますけど・・・。 書かれている文章も短くて、解読するのに時間があまり掛からなかっ…
www.1192-diary.com

飢渇畠

飢渇畠|由比ガ浜大通りの六地蔵、鎌倉の刑場があった場所(石碑を読む)
今回は六地蔵にある、いつもより小さな石碑「飢渇畠」の石碑を読んでみました。飢渇畠は「けかちばたけ」って言う、昔刑場だった地名だそうです。 今や鎌倉のこんな中心地…
www.1192-diary.com

松谷寺及佐介文庫

鎌倉市佐助にある、松谷寺及佐助文庫の碑。石碑読んでも詳しい内容は分かりません・

松谷寺及佐介文庫|名称以外、何も分からない鎌倉の歴史遺産(石碑を読む)
今回は佐助に設置してある「松谷寺及び佐介文庫」の石碑を読んでみました。でも、小さなコケがびっしりとこびりついてて、ほんと読めないんですけど(涙) 白色で塗られて…
www.1192-diary.com

塔ノ辻

塔之辻|道路の積石には、幼子を鷲にさらわれた由比の長者の悲しい物語が(石碑を読む)
塔之辻 今回は鎌倉市笹目町にある石碑を読んでみました。 「塔之辻」石碑の場所 塔之辻の石碑は、由比ガ浜大通りにある寸松堂を北に入った道にあります。 石碑のある笹…
www.1192-diary.com

【私有地】新居閻魔堂跡

【私有地】新居閻魔堂跡|材木座に残る小字名の由来となったお堂跡(石碑を読む)
新居閻魔堂跡 今回は新居閻魔堂跡の石碑を読んでみることにしました。とは言うものの、今は私有地の奥にあって自由に見ることはできません。 先人方のウェブサイトなんか…
1192-diary.com

鎌倉の歴史把握に役立った書籍

おススメ鎌倉グッズ・お土産

PAGE TOP