鎌倉幕府の御家人「安達一族」|鎌倉殿の13人安達盛長から覚山尼まで

鎌倉幕府の御家人「安達一族」|鎌倉殿の13人安達盛長から覚山尼まで

2019-09-08

鎌倉をもっと楽しく散策するために、今回は御家人の安達一族を深堀。
執権北条氏との密接な関係や、鎌倉にあるゆかりの場所等、いろいろと楽しめそうです。

御家人 安達一族

安達盛長(もりなが)安達氏の祖

1135年-1200年。鎌倉時代というか平安時代後期の人ですね。
1189年の奥州合戦(奥州藤原氏 vs 源頼朝)で、陸奥国安達郡(今の福島県二本松市周辺)を頂いて、その地の安達を名乗ったのが始まり。

源頼朝(1147年-1199年)が伊豆の流人だった頃から仕えたそうです。
源頼朝のより一回り(12才)年上ですね。

北条政子との縁を取り持ったのも、この安達盛長って言われてます。

甘縄神明神社に安達盛長邸址の石碑があったので、鎌倉ではここに住んでいたのでしょう。

鎌倉市最古の神社「甘縄神明神社」

今回は、いろいろ派生できる、甘縄神明神社を深堀してみました。源氏の系図や、御家人…
1192-diary.com

その、安達氏の祖、安達盛長の子供を見て行きましょう。

2代 安達景盛(かげもり)

生誕不明‐1248年。
父の安達盛長が20才くらいの時に生んだとして1155年。結構長生きしたのかな? そのため鎌倉初期の騒動にはよく顔を出しますね(笑)

ちょっと時系列で、景盛が生きた時代を整理してみます。

1205年 畠山重忠の乱
    安達景盛は重忠と旧友だったらしいですけど先頭を切って戦ったみたいですね。

1213年 和田合戦

1219年 三代将軍源実朝が暗殺されて出家。高野山へ入るが、鎌倉幕府にはちょいちょい顔出す。

1221年 承久の乱(vs 後鳥羽上皇)で、有名な北条政子の演説を代読したのが、この安達景盛。

1225年 北条政子の死後。本当に高野山にこもる(笑)

1247年 宝治合戦で三浦氏を滅ぼす。

安達氏は三浦氏と仲が悪かったみたいです。それは家格の違い。

安達氏は源頼朝以来、源氏将軍の側近だけど、あくまで個人的な従者で家格は低かった。
一方、三浦氏は三浦半島を支配した大豪族。三浦氏に下に見られててイライラしてたんでしょうね。

そして、この景盛。キーパーソンとなる子供を産みます。松下禅尼と安達義景です。
見て行きましょう。

3代 安達義景(よしかげ)

1210年-1253年(44才)
正室が北条時房(2代執権の義時、政子の異母兄弟)の娘。この北条氏との婚姻関係も戦略的。

そして子供には安達泰盛と覚山尼。この2名もキーパーソン。

1213年和田合戦で和田氏も滅び、この頃の鎌倉幕府内の地位は、北条氏>三浦氏>安達氏
三浦氏 → 親将軍派、反得宗家
安達氏 → 北条氏外戚、執権政治を支える
という、立場の違いが明確だったんですね。

こんな幕府内の地位だったので、三浦氏嫌いの父「安達景盛」から、しっかりせんか!と厳しく叱咤されてたらしいです。

また、義景が無くなった後の1265年(つまり13年後)に、無量寿院(現鎌倉歴史文化交流館)で十三回忌供養が行われていると、「吾妻鏡」に書いてあるらしいです。

鎌倉歴史文化交流館

松下禅尼(3代義景の妹)

生没年未詳です。女性は記録に残りにくいのかな?
父は上記の安達景盛。そして夫が、北条時氏(正室)。これで安達家と北条家が親せきになりましたねー。

北条時氏は3代執権北条泰時の長男。でも父より先に亡くなった(27才)ので執権にはなってないけど得宗家。

でもしっかり、4代執権の北条経時、5代執権の北条時頼を生んでます。
夫、北条時氏の死後は、実家の甘縄邸(甘縄神明神社)に住んだそうですよ。

甘縄神明神社 境内

ちなみに、北条時宗の父は5代執権「北条時頼」なので、時頼の母「松下禅尼(安達一族)」の甘縄邸で、出産したと。

4代 安達泰盛(やすもり)

1231年-1285年(55才)。鎌倉検定本(鎌倉人物小辞典)にも載っています。

1285年 霜月騒動で内管領の平頼綱と対立して安達一族が滅ぼされてしまいます。

管領とは?

得宗家に直接仕える家臣のことを御内人といいそのトップが内管領。ざっくりいうとお手伝いさんみたいな感じ。
で、従来からいる鎌倉幕府に仕えるのが御家人

御家人の安達家が、内管領の平頼綱に負けてしまうことが、得宗家の権力がいかに強くなったかを物語ってますね。
得宗専制政治とか言われた時代です。

また、海蔵寺入口横にある鎌倉十井の「底脱ノ井(そこのぬけのい)」は、安達泰盛とその子「千代能」に所縁がありますね。

底脱ノ井(海蔵寺横)

また、今小路西遺跡(鎌倉市御成小学校にある古代・中世の複合遺跡)は、この安達泰盛の屋敷跡か?と言われています。

覚山尼(4代泰盛の妹)

1252年-1306年。夫が8代執権「北条時宗(正室)」ということで、鎌倉検定本にも出てくる超有名人です。
鎌倉の甘縄安達邸で育ちます。

覚山尼10才で11才の北条時宗に嫁ぎます。凄い時代ですね。
20才で9代執権「北条貞時」を出産。

夫の北条時宗と禅宗に帰依。
1284年(32才)に北条時宗と禅興寺(現明月院)で出家し、覚山志道大姉と無学祖元(円覚寺開山)から安名されました。ここから覚山尼ですね。

夫の死後は、子の北条貞時の承認を得て東慶寺を開山します。
女性救済の活動をして、今では縁切寺として有名ですね。

東慶寺(縁切寺)

1285年霜月騒動の際は、安達一族の子供たちを庇護したそうです。北条氏に嫁いでも、生まれは安達氏ですから。

千代能(4代泰盛の子)

生不明-1298年
北条顕時(金沢流北条氏)の後室。1285年霜月騒動後は出家して、無学祖元(円覚寺開山)の弟子に。

海蔵寺の底脱ノ井は、千代能が悟りを開いたとされるゆかりの場所。

甘縄神明神社が鎌倉市最古の神社ってことは知ってましたが、安達家とこんなに所縁があったとか、覚山尼が安達一族だったとか全く知りませんでした(汗)

やっぱり、鎌倉検定本を断片的に読んでも、単にその場所に行ったとしても、ダメですねー。

鎌倉の歴史把握に役立った書籍

PAGE TOP