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北条時房(ほうじょうときふさ)
1175-1240
北条義時の異母弟(ひとまわり幼い)で四郎義時に続く、五郎が別名。改名前は北条時連(ときつら)。
鎌倉幕府の初代連署となり、北条泰時を補佐する。
兄義時が1163年生まれで12才年上、泰時が1183年生まれで8才年下となる。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、瀬戸康史さんが演じられます。
北条時房の簡易年表
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
安元元(1175)年 | 0 | 誕生(父:北条時政、母:足立遠元の娘) |
文治5(1189)年 | 15 | 元服し「時連(ときつら)」と名乗る。烏帽子親が三浦義連。 奥州合戦に従軍 |
建久10(1199)年 | 25 | 頼朝死後、蹴鞠が堪能だったために頼家の側近となる。 ※比企氏に対する北条氏のスパイの可能性あり |
建仁3(1203)年 | 29 | 比企能員の変 源頼家が追放されるも、側近だった時房にお咎めなし |
元久2(1205)年 | 31 | 畠山重忠の乱 義時と共に討伐反対するが、時政の命により大将軍として出陣 |
承元4(1210)年 | 36 | 武蔵守になる(異例の出世) |
建暦3(1213)年 | 39 | 和田合戦に従軍、武功を挙げる |
建保7(1219)年 | 45 | 実朝暗殺後に上京、朝廷と交渉し三寅(九条頼経)とともに鎌倉へ |
承久3(1221)年 | 47 | 承久の乱 泰時と共に東海道を進軍。勝利後、初代六波羅探題南方となる。 |
元仁元(1224)年 | 50 | 義時死後、泰時を補佐するために鎌倉へ戻り初代連署になる。 |
延応2(1240)年 | 66 | 死去 |
建仁2(1202)年に時連から時房に改名しています。
吾妻鏡の初登場は元服記事
時房は、頼朝の義理の弟にもあたり、姉の政子がとても可愛がっていたようで、元服儀式にもそうそうたる御家人が参加。また、加冠役を期待していた御家人も多かったとか。
文治5(1189)年 4月18日
北条時政の15才の3男「時房」が頼朝の御所で元服した。
頼朝が命じた加冠役は三浦十郎義連。事前に決めてなかったので期待した御家人も多かったとか。
儀式に参加したのは、平賀義信、安田義定、源範頼、北条義時、千葉常胤、三浦義澄、畠山重忠、八田知家、足立遠元、梶原景時、和田義盛、土肥実平、岡崎義実など。
兄「義時」と共に畠山重忠の謀反を否定
最終的には、畠山重忠の乱で畠山父子は誅殺されてしまいますが、父時政から畠山重忠夫氏に謀反の疑いがあるので誅殺しようと思うと相談されたときに、そんなことはあるはずがないと強く否定しています。
元久2(1205)年 6月21日
牧の方は、去年畠山重保に悪口を言われた平賀朝雅の讒言を受けて、腹が立っていたので、畠山重忠親子を殺害しようと企てていた。
まず、北条時政がこのことを、子の義時と時房に伝えると、二人は言った。
「畠山重忠は、頼朝の旗揚げの治承4年から、ひたすら忠節を尽くしてきたので頼朝公からも子孫を頼むと言葉をかけられた者。2代将軍、源頼家に仕えていたものの、比企能員との合戦の時には、北条方の味方になってくれました(重忠の妻は、時政の娘)。そんな重忠がどうして謀反など企てますか?もし今までの勲功を考えずに軽率に誅殺したら、後々後悔しますよ。しっかり真偽を確かめましょう、それからでも遅くはないはずです」
承久の乱後、初代六波羅探題南方に
承久の乱の勝利後、北条泰時(後の3代執権)と、北条時房(後の初代連署)は、京都に滞在し六波羅探題を設置して戦後処理を行いました。
吾妻鏡では、時房、泰時という順番で書かれます。
一般的には執権、連署という順序の理解ですが、年長者を先に書いたのか、時房の方が力があったのか、執権と連署は同じ位だったのか、いろいろ考えられますね。
承久3(1221)年 6月16日
相州(北条時房)、武州(北条泰時)の両国司が六波羅の館に移った。
これは、北条泰時の手足となって国を治める計略を考え、武家の安全を求めるためである。
北条時房周辺の系図
父は北条時政。
後妻の牧の方との子供は六郎なので、五郎時房の母は牧の方ではありません。
北条時政===========牧の方
┌----┬---┴----┐ |
(三郎)宗時 (四郎)義時 (五郎)時房 (六郎)政範
| |
泰時 朝直
※系図が崩れる場合は、画面を横にしてご覧ください
頼朝没後は、義時・時房・泰時三人で力を合わす場面が良く出てきます。
なので、義時没後、時房と泰時が権力争いをしているイメージがあまり湧いてきません。
北条時房ゆかりの地
北条時房邸跡
▶ 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-9 小池ビル周り|🅿なし|
若宮大路沿いに建っている「小池ビル」の横から裏小路に抜ける「小池小路」を進んだところに庭のようなスペースがあって説明板が建っています。
元々は摂津守小池民部太夫藤原久時邸跡ということで、今でも小池の名前が残っていますね。
六波羅探題(六波羅蜜寺)
▶ 京都市東山区五条通大和大路上ル東|🅿あり|宝物館拝観料600円
六波羅蜜寺は、醍醐天皇の空也上人が開創した西国第17番札所の寺院。平安後期には平家一門の邸跡が栄え、承久の乱後はこの辺に六波羅探題が置かれたとされる。
時房は、初代六波羅探題南方になりました。
源ホテル鎌倉
若宮大路沿いに建つホテル「源ホテル鎌倉」は、北条時房館跡とされる場所に建っています。
ホテル1Fのサンリオカフェには、出土品の展示をしています。