今回は、いろいろ派生できる、甘縄神明神社を深堀してみました。
源氏の系図や、御家人安達一族について、関連付けながら知れると思いますよ。
目次
甘縄神明神社
710年創立。長谷の鎮守。祭神は天照大神。
行基が草創。豪族「染谷時忠(由比の長者)」が建立した、鎌倉で一番古い神社とされてます。

じゃあ、ちょっと深堀っていきますね。
建立は奈良時代
創立は710年なので奈良時代。
その時代に、鎌倉の北部(鶴岡八幡宮前~金沢街道)と南部(下馬四つ角道)の2本東西道はすでにあって、奈良時代からある神社仏閣(他に杉本寺、長谷寺)はこの道路沿いにありますね。
鎌倉と行基
行基(668-749年)は奈良時代の僧。聖武天皇が奈良の大仏の責任者に指名した人。
杉本寺、満福寺も行基が開山したんですね。
今泉の白山神社には、源頼朝が行基作の毘沙門天像をこの地に勧請。
植木の圓光寺の、薬師堂には伝行基作の薬師如来像が安置されてるそう。

近畿を中心に活動してるのに、鎌倉にも来てたんですね。
染谷時忠って何者?
事績の詳しいことは分かっていない人。(鎌倉検定本にも詳細は載っていません)
江ノ電由比ガ浜駅近くに染谷時忠邸跡の石碑があって、藤原鎌足の玄孫(やしゃご)、東大寺良弁の父。
ずーっと鎌倉に住んでて、関東八国を治めてたということが書いてあるそう。

また、六国見山ハイキングコースの途中にある「稚児の墓」
一説には、この染谷時忠の娘とも言われています。

・Youtubeで「六国見山ハイキングコース」を見る
源氏とは縁が深い神社
源頼朝より前の世代。
源頼義がこの神社でお祈りして、子供(八幡太郎義家)を授かったことから源氏の崇敬を受ける。
源頼義は1063年鶴岡八幡宮を岩清水八幡宮から由比若宮に勧請した人。
八幡太郎義家(源義家で、父頼義の長男)は1081年由比若宮を修復した人。
※岩清水八幡宮で元服したので八幡太郎と称す。
弟に新羅三郎義光(源義光)がいて、彼は八坂神社(京都祇園社)の祭神を勧請し大町の八雲神社を作った人。
※近江国の新羅明神で元服し、父頼義の三男だったので、新羅三郎と称した。

鎌倉検定受けるなら、この源氏系図はしっかり押さえないといけないですね。。。。
甘縄神明神社は、源頼朝も社殿を修復したりして、北条政子や実朝もお参りに来たようです。
御家人安達一族とも所縁あり
甘縄神明神社の入口に、安達盛長邸跡の石碑があります。
ここは安達一族の祖となった盛長から、霜月騒動でやられてしまう泰盛まで、安達一族の舞台となった場所です。

詳しくは、安達一族特集で(笑)
甘縄神明神社例大祭
9月14日は甘縄神明神社の例祭。
14日周辺の日曜日は長谷地区を山車がまわりますよ。

長谷の灯かり
8月の最終週あたりの一週間、長谷地区の神社仏閣等が一斉にライトアップされます。

歴史や背景を知らないと社務所も無いシンプルな神社なんですが、鎌倉知識が付いてくるとなかなか興味深い場所だったんだなと思えてきますね。