伝 御所五郎丸屋敷跡|曽我兄弟の弟「曽我五郎時致」を取り押さえた人物

伝 御所五郎丸屋敷跡|曽我兄弟の弟「曽我五郎時致」を取り押さえた人物

御所五郎丸とは

御所五郎丸とは、曽我兄弟の弟「五郎時致」を、女装して油断させて取り押さえた人物。

源頼朝の命の恩人ともいえる人物だが、女装して討ち取るのは武士の恥ということで、褒められることすらなかった哀れな人でもありますね。

富士の巻狩り|頼朝が狙われた?一大事件、曽我兄弟の仇討ちが起きた場所
富士の巻狩り 源頼朝が征夷大将軍となった翌年、建久3(1193)年。鎌倉幕府の武力を日本中に示すために、3~5月にかけて三か所で大規模な巻狩りを実施しました。 …
1192-diary.com
御所五郎丸屋敷跡

そんな、御所五郎丸の屋敷が有ったとされる場所が鎌倉市にあります。
伝説なので「伝」と付いてますけど、この辺は御所ガ谷とか御所ケ丘と呼ばれてます。

県道304号線にも「御所ヶ丘入口」っていう交差点ありますし、近くにある「鎌倉広町緑地」のメイン入口は「御所谷入口」て言ってますし。

吾妻鏡には

曽我兄弟が工藤祐経を殺害した後、兄祐成と弟時致のさらなる奮戦が書かれています。
仇討ちを達成した後も戦ったのはなぜか?逃げるため?さらなる目的があったから?

真相は謎に包まれています。

建久4(1193)年 5月28日条

(省略)祐成は仁田四郎忠常に立ち向かって討たれた、時致は頼朝の御前めがけて走り、頼朝が御剣を取って立ち向かおうとしたが、大友能直(頼朝の無双の寵仁|養父が中原親能)が押しとどめ、その間、小舎人童五郎丸が時致を搦め捕った。

※小舎人童:公家や武家の雑用と務めた子供もしくは子供姿の下級の使用人

御所五郎丸公園へのアクセス

御所五郎丸公園は鎌倉市腰越にあります。
曽我物語の登場人物なので、もうちょっと鎌倉中心部にあると思ったのですが、結構離れていますね。

大船から腰越を結ぶ道路、県道304号線(腰越大船線)の途中に、「御所ヶ丘入口」交差点がありますので、それを東側へ(鎌倉広町緑地側)

御所ヶ丘入口

今は、住宅街の中にある小さな公園に、石碑と屋敷の庭石がポツンと建っているだけの場所です。

鎌倉広町緑地

御所五郎丸公園の近くには、鎌倉三大緑地の広町緑地があります。

御所五郎丸ゆかりの地

御所五郎丸のお墓が、南アルプス市や横浜市にあるという。
南アルプス市はちょっと遠いので、まずは横浜市にある御所五郎丸のお墓に行ってきました。

伝御所五郎丸墓(横浜市)

御所五郎丸の墓は横浜市西区にありました。(京急戸部駅が最寄り)
住宅街の中にポツンと佇んでいます。

曽我物語は知っておくと、歌舞伎とか楽しめそうです。

伝御所五郎丸の墓(南アルプス市)

まだ行ったことは無いですけど、場所は分かったので一応残しておきます。
鎌倉御所五郎丸の墓と陰刻された墓石が有るようですね。

曽我物語ゆかりの地

平塚市の湘南平周辺には、兄曽我十郎の恋人「虎女」ゆかりの地があります。

曽我物語|湘南平で虎御前(曽我十郎の妾)ゆかりの地めぐり
湘南平(高麗山公園) 今回は湘南平まで坂道ランニング。 でも、ただ走る為だけに湘南平へ行くのもどうかと思ったので、いろいろ調べていくうちに、曽我兄弟の仇討ちゆか…
1192-diary.com

また、仮粧坂周辺も少しゆかりがあるようですね。

仮粧坂|数々の戦場の舞台で鎌倉七口最大の要衝(石碑を読む)
仮粧坂 今回は国指定史跡「化粧坂」の入口にひっそり建っている石碑を見つけたので読んでみることにします。 「仮粧坂」石碑の場所 仮粧坂は、海蔵寺の扇が谷方面から源…
1192-diary.com

鎌倉の歴史把握に役立った書籍

おススメ鎌倉グッズ・お土産

PAGE TOP