陳和卿|鎌倉と奈良を渡り歩いた中国南宋出身の鋳物師・工人

陳和卿|鎌倉と奈良を渡り歩いた中国南宋出身の鋳物師・工人

今回は中国の南宋からやってきた職人さんにスポットを当ててみました。

というのも、鎌倉検定では押さえておかなければいけない人物ですし、また、奈良まほろばソムリエ検定(1級)でも出題されるという、鎌倉-奈良両方にゆかりがあるのです。

陳和卿(ちんなけい)

日本人ではないということで生没年不詳です。

平安時代の末期に来日して、1180年に南都焼き討ちで焼失してしまった東大寺を、重源(勧進上人)の元で再建に尽力した人物です。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、陳和卿役をテイ龍進さんが演じられました。

1180年 南都焼き討ち

治承4年12月28日、父親の平清盛の命令を受けた5男「平重衡」が奈良に攻め入り、東大寺・興福寺・般若寺などの南都(奈良)のお寺を焼討にした事件です。

平氏政権に反抗的だった奈良の仏教勢力らに、平清盛がブチ切れてしまいました。

この年の4月に「以仁王」が平家打倒の企てをして、それを裏で助けたのが仏教勢力だったのです。

東大寺の大仏

まずは東大寺の大仏、頭部や左手などを補鋳修理し、文治元(1185)年に開眼供養が行われました。

東大寺大仏

東大寺大仏殿

大仏の修理が終わったら次は大仏殿です。
こちらも無事に終了して、建久6(1195)年に落慶法要会が営まれました。

この時は、源頼朝も参列し陳和卿と会いたいとお願いしたようですが、「人殺しとは会いたくない」と拒否されてしまいます。

東大寺大仏殿

由比ガ浜で大船を建造

東大寺の事業から追い出されてしまった陳和卿。
しばらく行方が分かりませんでしたが、健保4(1216)年6月に鎌倉にやって来て源実朝と謁見します。

父の源頼朝の時は頑なに拒んでいたのに、今回はコチラから謁見を希望したようで、生活など立場的に苦しい状況に追い込まれていたことが想像できますね。

丁度そのころ、政治に疲れていた源実朝は宋へ行くことを夢見ていたので、陳和卿に依頼され大きな船の建造を始めます。東大寺の再建も手掛けているので腕は確かなはずですが、船は海に浮かぶことは出来ずにそのまま朽ちてしまいました・・・。

由比ガ浜の海は遠浅で、大きな船を沖に持っていくことが厳しかったようです。

その後の陳和卿の動向は分からないという。
奈良と鎌倉の両方で失敗してしまったら、工人としてやっていくのは厳しいでしょうね。

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