ウマシマジノミコト|日本武尊の妃「弟橘媛」からたどり着く古代の人物

ウマシマジノミコト|日本武尊の妃「弟橘媛」からたどり着く古代の人物

第12代「景行天皇」ゆかりのみかんの木(高田みかん)が植えられている鎌倉にある鎌倉宮(ご祭神:護良親王)。今回はその景行天皇の子であり超有名な「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)」の妻に関連する内容です。

鎌倉宮の「高田みかん」

肥後八代の高田は、今の熊本県八代市高田。
護良親王の弟で征西大将軍「懐良親王」が御所とした場所が史跡として残っている場所でもあります。

肥薩おれんじ鉄道も走ってますし、かんきつ類(特に晩白柚)が有名ですね。

ウマシマデノミコト(可美真手命)

こういう神話系に出てくる登場人物は複数の名前を持っています。原因は古事記と日本書記っていう、対象としている読者が異なる2冊の歴史書のせいです。

古事記:宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)
日本書記:可美真手命(ウマシマデノミコト)

古事記は国内向け(日本人が読者)、日本書記は正史なので海外向け(外国人が読者)です。

浜離宮恩賜庭園(特別史跡・特別名勝)

そして、このウマシマジノミコトの像が、なんと浜離宮恩賜庭園に設置されているのです。

説明板があるのですが、設置経緯が書かれているだけで、なぜ多くの過去の偉人の中から「ウマシマデノミコト(可美真手命)」だったのかは謎に包まれたまま・・・。

説明板の表記は日本書記の形式(可美真手命像|うましまでのみことぞう)になっています。
そして、とってもマイナーな人物なので、誰も足を止めてこの像を見る人はいませんでした(汗)

ちなみに、浜離宮恩賜庭園は江戸時代の徳川家の庭園だった場所。
明治維新で皇室の離宮になって、今は東京都に下賜され公園になっています。

という訳で、”うましまじのみこと”が目的の人なんているのかしら?

子孫にオトタチバナヒメ(日本武尊の妃)

今回、ウマシマデノミコト像を見に行くきっかけとなったのが「オトタチバナヒメ(弟橘比売命)」。日本武尊の妃の一人です。

ちょっと鎌倉からは遠くなってしまいますが、近隣の横須賀市の「走水神社」にも関係があり、日本武尊が東征に出て東京湾を渡って房総へ行こうとしたときに海が荒れたので、その海を鎮める為に「私が海神の生贄になります」と言って海に入って亡くなってしまったヒロインです。

そのオトタチバナヒメを系図で遡っていくと、穂積氏と言われる神の氏族が出自で、ウマシマジがその祖という事が分かりました。

                ┏------┓
ニギハヤヒノミコト=====トミヤビメ  ナガスネヒコ vs 1.神武天皇
           |
         ウマシマジノミコト
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         穂積氏まで数世代    物部氏     釆女氏
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         タケオシヤマタリネ(建忍山垂根)
           ┣---------┓  
ヤマトタケル===オトタチバナヒメ   オトタカラノイラツメ === 13.政務天皇

穂積氏は、百済の使者に任命されたり、軍勢を引き連れて新羅に出兵したりと、外交や武家的な氏族だったかと思われます。

義理父にナガスネヒコ

ウマシマジノミコトは母方の家族が結構面白く深掘り出来ると思います。
母は「トミヤビメ」その兄に「ナガスネヒコ」がいます。

ナガスネヒコは、1.神武天皇の東征で奈良・生駒付近で戦い打ち負かせた大和の豪族。母のトミヤビメの”トミ”から、今の富雄周辺と思われます。

そういや、今注目の富雄丸山古墳。ちょっとしたら埋葬者がナガスネヒコかもしれませんね。

結局は、一旦熊野の方へ逃げて体制を立て直し、最終的にはヤラれてしまいます。そんなこんなでウマシマジノミコトは第1代「神武天皇」に仕えるという初代天皇が生まれた時期の人物です。

同族に物部氏(もののべし)

ほぼ神話的な時代であり、系図を見てもややこしくて意味不明ですが、ウマシマジノミコトから色々枝分かれした結果、物部氏が同族の様です。

物部氏は石上神宮を氏神とする一族で、崇仏派の蘇我入鹿・聖徳太子と廃仏派の物部守屋が戦った丁未の乱(ていびのらん)が有名です。石上神宮(いそのかみじんぐう)には、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)も祀られています。

鎌倉の史跡や神社仏閣から古代へ遡るには、少し強引に関連付けないとダメですが、神社のご祭神などが絡んでくることが多いので教養としては非常に面白いと思いますよ。

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