後醍醐天皇と子女|鎌倉ゆかりの場所

後醍醐天皇と子女|鎌倉ゆかりの場所

2020-01-03

今回は建武の新政を実施した「後醍醐天皇」本人と鎌倉にゆかりのある二人の子女について、書いてみたいと思います。

96代天皇 後醍醐天皇

1288-1339年。第96代天皇&南朝初代天皇。大覚寺統。
足利尊氏と新田義貞を仲間に引き入れて鎌倉幕府を倒した中心人物ですね!

金龍山 宝戒寺

天台宗。ハギが有名で「ハギ寺」とも。
後醍醐天皇が北条一族の霊を弔うため、足利尊氏に命じて建立。北条氏の執権屋敷跡。

第3皇子 護良親王

1308-1335年。後醍醐天皇の第3皇子。建武の新政で征夷大将軍に。

11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室し「大塔宮」と呼ばれ、20歳で天台座主。
 ※天台座主:天台宗の諸末寺を総監する役職。

護良親王|鎌倉宮のご祭神「大塔宮」は、武芸を好んだ異例の天台座主だった
護良親王(もりよし しんのう) 1308~1335(建武2)年。後醍醐天皇の第3皇子として生まれる。ニ品(親王の位階)。天台座主、征夷大将軍。 父の後醍醐天皇が…
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鎌倉宮

ご祭神「大塔宮護良親王」。
1869年(明治2年)明治天皇の勅命により創建。

本殿の裏には、親王が幽閉されたという土牢がある(有料)

護良親王の墓

足利尊氏と対立し、鎌倉二階堂の東光寺に幽閉。のちに、尊氏の弟直義(ただよし)に殺害される。
 ※東光寺:現在は廃寺。跡地には鎌倉宮が建っている。


首は理智光寺の住職によって埋葬された。
 ※理智光寺:廃寺。護良親王の墓の近くに理智光寺跡の碑がある。

理智光寺址|鎌倉宮の近く、護良親王と繋がりがある廃寺跡(石碑を読む)
今回は、今は廃寺となっている「理智光寺址」の石碑を読んでみました。廃寺となった鎌倉のお寺は多くて、今あるお寺だけでも100を超えるのに、把握するのが大変です(汗…
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皇女 用堂尼

?-1396年。ようどうに。後醍醐天皇皇女。母は不明。

松岡山 東慶寺

臨済宗円覚寺派。「縁切り寺」「駆け込み寺」で有名。
東慶寺5世住職がこの用堂尼。護良親王の菩提を弔うために入寺。

天皇の皇女が住職になったため寺格が上がり「松岡御所」と呼ばれるように。

後醍醐天皇周辺の歴史を知るには「太平記」が良いと思います。

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太平記(NHKオンデマンド)

漫画でもNHK大河ドラマでも、一度見れば、鎌倉時代後期~南北朝時代~室町幕府前期まで流れが分かりますよ。

私は大河ドラマを見て、内管領の長崎円喜(フランキー堺)、足利尊氏の弟直義(高嶋政伸)、北畠顕家(後藤久美子)、高師直(柄本明)などの、歴史の脇役たちまでしっかり掴めました。

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