護良親王|鎌倉宮のご祭神「大塔宮」は、武芸を好んだ異例の天台座主だった

護良親王|鎌倉宮のご祭神「大塔宮」は、武芸を好んだ異例の天台座主だった

護良親王(もりよし しんのう)

1308~1335(建武2)年。
後醍醐天皇の第3皇子として生まれる。ニ品(親王の位階)。天台座主、征夷大将軍。

父の後醍醐天皇が目指す鎌倉幕府討伐&親政のため、還俗し鎌倉幕府を滅亡に導いた人物。

北畠親房          96.後醍醐天皇=========阿野廉子
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北畠親房女=====護良親王(3)  懐良親王(8)  97.後村上天皇(7)  恒良親王(5)  成良親王(6)
       ┣-----┓
     興良親王   陸良親王

*(数字)は生まれ順

建武の新政後は、足利尊氏への反抗心や、自分の子どもを皇位につけたい阿野廉子などによって失脚。鎌倉へ送られて、東光寺(現鎌倉宮)で死去してしまいます。

NHK大河ドラマ「太平記」では、堤大二郎さんが演じられました。1991年放送

鎌倉宮(鎌倉市二階堂)

護良親王をご祭神とする鎌倉市の神社
建武の中興に功があった護良親王を称える為に、明治天皇が明治2年に建立。

土牢

護良親王が9か月間もの間、幽閉されていたとされる土牢。
鎌倉宮の拝殿横から入る有料ゾーン(鎌倉宮本殿の裏)にあります。

【摂社】村上社

村上社は護良親王の忠臣「村上義光」を祀る神社。

元弘3年正月、奈良・吉野城落城の時、護良親王を逃すために「俺が護良親王だ!」と鎌倉幕府軍の前で壮絶な自害を遂げた人物です。

村上社

懐良親王 御手植えの梅

懐良親王(かねよししんのう)は、後醍醐天皇の子で護良親王の弟宮。

南朝方の征西大将軍(せいせいたいしょうぐん)として、肥後国(今の熊本県)を拠点に勢力を広げました。その肥後国八代で植えた梅を鎌倉宮に移植しました。懐良親王の墓はその熊本県八代市にあります。

ちなみに、鎌倉宮の鳥居の下には、12.景行天皇(ヤマトタケルの父)が同じく征西に行ったときの肥後国八代に植えられた高田みかんが植えられています。

高田みかん

九州の熊本県八代市とはご縁があるんですね。

護良親王ゆかりの地

10代後半 天台座主

6歳で梶井門跡(現在の大原三千院、ただし移ってきたのは明治維新後)に入り、17歳で三千院門主、19歳で天台座主になりました。

元弘元年(1331年)1月 般若寺に潜伏

般若寺は奈良市にあるコスモスが有名な真言律宗のお寺。
鎌倉時代には西大寺の叡尊と忍性(鎌倉・極楽寺開山)が再興しました。

後醍醐天皇とともに笠置山に籠城しますが、鎌倉幕府の大軍に攻め込まれて笠置は落城、その後ココの般若寺に潜伏しました。上手いこと隠れて鎌倉幕府軍の追ってから逃げることができた護良親王はそのまま熊野方面へ落ち延びます。

元弘2年(1332年)初夏 熊野へ逃れる途中

北葛城郡王寺町にある、聖徳太子ゆかりのお寺「達磨寺」

ここには護良親王の忠臣だった「片岡八郎」のお墓があります。熊野へ逃げるために十津川方面へ向かった護良親王に危機が迫ったことを悟った片岡八郎は追手と奮戦。大塔宮の危機を救った人物です。

元弘3年(1333年)1月 吉野山で挙兵

護良親王は吉野の金峯山寺(当時は吉野城)で挙兵します。

金峯山寺は役行者を開基とする、金峯山修験本宗の総本山です。7月の蛙とび行事(金峯山寺蓮華絵)、4月の花供会式(はなくえしき)などが行われています。

しかし、1月16日鎌倉幕府軍が攻めてきて、忠臣の村上義光が護良親王の身代わりとなって自害してしまいます。金峯山寺の国宝・蔵王堂の前の四本桜が植えられている場所に「大塔宮御陣地」、そしてすぐ側の二天門跡に「二天門跡村上義光公忠死之所」と刻まれた石柱が建っています。

落城を覚悟して、最後に酒宴を催したのは四本桜の場所と言われています。

吉野から逃げ切った護良親王は、場所を高野山へ移しつつ近くの武士を集めて、楠木正成が守る千早城を攻めている鎌倉幕府軍への兵糧を遮断しています。

元弘3年(1333年)6月 信貴山で陣を構える

すでに鎌倉幕府は滅亡していたものの、次は足利尊氏をけん制するために信貴山・毘沙門堂に陣を構えることにします。

朝護孫子寺は聖徳太子が創建したお寺で、ここ信貴山で毘沙門天王を感得したので毘沙門天を祀ったのが始まりです。戦国時代には、松永久秀が信貴山城に立て籠ったものの、織田信長に攻められてしまいました。

建武2年(1335) 護良親王死去

鎌倉に流罪となった護良親王は東光寺(現 鎌倉宮)の土牢に入れられ、鎌倉北条氏の遺児「北条時行」が鎌倉を奪還した中先代の乱が起こった時に、鎌倉を守り切れず京へ逃げ帰る「足利直義(尊氏の弟)」の命により殺害されました。

護良親王の墓は、鎌倉宮の近く、理智光寺(現在は廃寺)の横の高台にあります。

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