宗尊親王|初の親王将軍で、源実朝を尊敬した鎌倉幕府6代将軍

宗尊親王|初の親王将軍で、源実朝を尊敬した鎌倉幕府6代将軍

2021-08-06

鎌倉幕府6代将軍「宗尊親王」

鎌倉幕府の将軍は3代の実朝で源氏が途絶えてから、執権北条氏の傀儡のような感じになってしまい影が薄いですが、いい機会なのでちょっと深掘ってみました。

父親

「後嵯峨天皇」

兄弟と母

典侍:宗尊親王(1242年生)
中宮:後深草天皇(1243年生) ※亀山天皇とは同母
中宮:亀山天皇(1249年生)

宗尊親王の方が年上ねんですけど、母親の身分が低いので皇位継承は絶望的だったんですね。
だから、親王将軍として鎌倉へ下ったと。

宗尊親王の簡易年表

時期年齢出来事
仁治3(1242)年0誕生
建長4(1252)年11鎌倉へ下向。征夷大将軍。
建長5(1253)年12藤原仲能を本願主として、海蔵寺の前身寺を建立する。
康元2(1257)年16 大慈寺(新御堂)の改修。 北条時宗が宗尊親王の御所で元服。
文永3(1266)年25謀叛の疑いで京へ強制送還
文永9(1272)年31二月騒動と御嵯峨天皇(父)崩御のため出家
文永11(1274)年33死去

鎌倉へ来てからの14年間。
北条氏が専制体制を敷いていたので将軍には何の権限もなくて、和歌に打ち込んだようですね。

そのため、同じく、和歌将軍だった3代「源実朝」には強い思い入れとか親しみ、尊敬の気持ちが有ったと思われ、大慈寺の改修も力がはいったのかもしれません。実朝と宗尊はセットです。

吾妻鏡の最後を飾る

ちなみに吾妻鏡は、この宗尊親王が鎌倉から京都へ追放されて、京都に到着したのを最後に終わります。

文永3(1266)年 7月4日
戌の刻(20:00頃)に、宗尊親王が北条時盛(越後入道勝円|佐助流北条氏)の佐介(佐助谷)の邸宅に入られた。帰洛のための御出門という。

同年 7月20日
晴れ、戌の刻(20:00頃)に、宗尊親王(前将軍家)が京都に入られ、北条時茂の六波羅の邸宅に到着した。

宗尊親王ゆかりの地

大慈寺跡

源実朝が建立した大慈寺跡(新御堂)には、石碑が建っています。

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常栄寺

日蓮上人にぼたもちを差し出した人物は「桟敷尼(さじきに)」さんで有名ですが、その夫は宗尊親王の家臣だそうです。

本蓮寺

宗尊親王が京へ強制送還される前に立ち寄って、別れの歌会があった時に読まれた歌が刻まれた石碑があります。

帰り来て 又見ん事も 固瀬川 濁れる水の すまぬ世なれば

「もう、鎌倉には帰れないだろうなぁ。権力闘争で汚れた鎌倉には。」って感じでしょうか・・・。

固瀬川は、今の片瀬川でしょうか。
昔の鎌倉の端の方だと考えています。

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