旧相模川橋梁|源頼朝が落馬し死去する直前に参加した落成供養の地、国指定史跡

旧相模川橋梁|源頼朝が落馬し死去する直前に参加した落成供養の地、国指定史跡

2021-10-01

旧相模川橋梁(茅ケ崎市|国指定史跡、天然記念物)

国道一号線と新湘南バイパスが交わる付近にある「ニトリ」の横にある、プールのような場所から木がにょきにょきを数本生えている不思議な場所が、旧相模川橋梁です。

駐車場はありません。

史跡の概要

大正12(1923)年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、水田に橋杭が出現した全国的にもまれな遺跡だそうです。

史跡内には、たくさんの解説がありますので楽しめると思います。
でも、15分もあれば十分。

この付近は鎌倉時代に「大庭景能」が懐島郷を領していた場所なので、「鶴峯八幡宮」とか「神明大神宮」を一緒に見ると良いと思います。(ちょっと場所離れてますけど・・・)

鎌倉時代との繋がり

さらに面白いのが、当時、歴史学者の沼田頼輔によって、鎌倉時代の建久9(1198)年に源頼朝の重臣「稲毛三郎重成」が亡き妻(北条時政の娘)の供養のために架けた橋の橋脚と考証されたこと。

これによって、大正15(1926)年に国の史跡に指定されました。

実朝と相模川橋梁

建暦2(1212)年 2月この相模川の橋が壊れました。

その時に、この橋をどうするかという話に当然なるわけですが、当時は神様とか祈禱とかを信じる時代、この橋を作った時に頼朝公が亡くなったから縁起が悪いということで、壊れたままで良いのでは?と皆が言ったそうです。

その中で源実朝は、壊れたままだと民衆が船で渡らないと行けなくなる。この橋がどれだけ便利だったか。
縁起を担いで再建しないなんで、とんでもない間違いだと。だから再建しろと命令し、橋が再度完成しました。

実朝は、縁起より実利を重んじた、立派なリーダーだったと言うことが分かるエピソードです。

源頼朝公落馬地(藤沢市辻堂)

旧相模川橋梁から鎌倉側へ戻り、JR辻堂駅付近に「頼朝落馬地」の看板のみ設定されています。
他には何もありませんので・・・。

昔は辻堂周辺を「八的ヶ原」と言ってたそうです。

出来事
建久九(1198)年12月27日相模川橋の法要供養に臨席、鎌倉の館への帰路に落馬
意識喪失で、急遽鎌倉へ護送される
建久十(1199)年 1月10日容体が一時回復
1月11日出家
1月13日病状が再発し死去。享年53才

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