阿野全成|最後は甥の頼家に誅殺される、頼朝の異母弟&義経の同母兄

阿野全成|最後は甥の頼家に誅殺される、頼朝の異母弟&義経の同母兄

阿野全成(あのぜんじょう)

1153-1203

源義朝の7男で、頼朝の異母弟、義経の同母兄。駿河国阿野荘を領有した。
悪禅師と呼ばれ、頼朝の信任を得るも死後、源頼家と対立し、八田知家に誅殺される。

永井路子著の炎環の中にある「悪禅師」は阿野全成を題材にした歴史小説です。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、新納慎也さんが演じられます。

阿野全成の簡易年表

阿野全成は、文治元(1185)年以降、頼朝の死去後の建仁3(1203)年まで吾妻鏡には一切登場しません。
※文治元年も、直接本人の内容にかかわる事ではありません。

時期年齢出来事
仁平3(1153)年0誕生(父:源義朝、母:常盤御前)
平治元(1159)年10平治の乱での敗北で、醍醐寺にて出家させられる
治承4(1180)年28修行僧に扮して東国へ下向
石橋山の戦い
兄頼朝敗北後、佐々木定綱らに会い渋谷荘に匿われ、その後頼朝と対面
阿波局(北条政子の妹)と結婚
建仁3(1203)年執権北条氏 vs 源頼家の対立に巻き込まれ
武田信光(源頼家の命)に謀反人として捕縛され、常陸国に配流
51八田知家頼家の命)によって下野国にて誅殺される

吾妻鏡より

建仁3(1203)年5月19日

午前0時頃、阿野法橋全成(頼朝の異母弟)に、謀叛の疑いがあったので御所に監禁された。
武田五郎信光(武田信義の子)が生け捕り、宇都宮四郎朝業(宇都宮成綱の子、塩谷四郎とも)に預けられた。

5月20日

源頼家(将軍家)が比企四郎時員(比企能員の子)を母の尼御台所(北条政子)の所に遣わし、「全成が謀反を企てたので生け捕りました。全成の妾の阿波局はいらっしゃいますか?尋問することがありますので」と。

北条政子は「そのようなこと、女性に知らせることはありません。しかも全成は去る2月頃に所領の駿河国に下向した後、阿波局と連絡を取っていないので、疑わしいことはありまえせん」と返事をし、阿波局を差し出さなかった。

5月25日

午後四時頃(申の刻)阿野法橋全成を常陸国に配流した。

6月23日

八田知家源頼家の命令により、阿野全成を誅殺した。

翌 6月24日

阿野全成の息子「頼全」を誅殺するように、源仲章(宇多源氏)、佐々木定綱に命じるため、大江能範が使節として上洛。

7月25日

源仲章の使者が京都から鎌倉へ到着。
「去る16日、東山の延年寺で阿野頼全を探し出し誅殺しました」と。

建仁3(1203)年から、約15年後&公暁が実朝を殺害した後の建保7(1219)年には、阿野全成のもう一人の息子「時元」が駿河国で謀反を企てますが(情勢の混乱に応じた噂の可能性あり)、北条政子の命により御家人を駿河国に遣わし、戦いの後に時元は自害しています。

阿野全成周辺の系図

源義朝7男として誕生します。幼名は「今若丸」
源義円、義経とは同母兄弟です。最後は、甥の頼家の命によって誅殺されます。

                   |
   由良御前(正室)=======源義朝=========常盤御前
 ┌---┬------+------┬-----┤
 |   |      |      |     ├----┬----┐        
源義平  朝長     頼朝     範頼    全成   義円   義経
            ├---┐
            頼家  実朝

妻 阿波局

北条時政の娘「阿波局」と結婚。阿波局は実朝の乳母となります。
※吾妻鏡には全成の妾とも記されています(1203年5月20日条)。(が、ちゃんとした妻かと)

阿波局は、義時、政子と同母兄弟とされています。
口が軽く(おしゃべり)、とくに男女関係の噂話がとっても大好きという感じの女性像ですね。

鎌倉時代に起きた事件には、亀の前事件、結城朝光に対する梶原景時の讒言等、阿波局のおしゃべりから発展した内容も多いです。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、宮澤エマ(実衣役)さんが演じられます。

         北条時政
      ┌---┼----┐
頼朝===政子   義時   阿波局===阿野全成
 ┌-┴-┐    |        |   ├----┐
頼家   実朝   泰時       時元  頼全   娘===藤原公佐
                              |
                              |
                     後醍醐天皇===阿野廉子
                           |
                         後村上天皇       

阿野全成の子孫は、後醍醐天皇の寵愛を受ける「阿野廉子」と繋がります。

阿野全成ゆかりの地

醍醐寺

▶ 京都市伏見区醍醐東大路町22|

阿野全成が10歳の時に出家した京都にある世界文化遺産の寺院「醍醐寺」。
西国三十三所観音霊場第11番札所。

大泉寺

▶ 静岡県沼津市井出744|🅿あり|

兄の頼朝に与えられた駿河国阿野庄に居館を構え、持仏堂を祖先の霊を弔ったのが現大泉寺。
ここに、伝阿野全成、時元(全成の子)の墓がある。

妙楽寺(元威光寺)

▶ 神奈川県川崎市多摩区長尾3-9-3|🅿あり|最寄りバス停「あじさい寺」徒歩1分

あじさい寺として有名な妙楽寺。
木造薬師如来の脇侍「日光菩薩像」の胎内にあった墨書から妙楽寺が長尾山威光寺の旧跡だったことが判明。

威光寺は源氏代々の祈願寺として保護され、阿野全成(頼朝異母弟)がこの寺の住職だったこともあり、鎌倉時代は隆盛を極めたようです。吾妻鏡にも出てきます。

早川城跡(城山公園)

▶ 神奈川県綾瀬市早川城山3|🅿あり|

治承4(1180)年 石橋山の戦いで敗北した頼朝一行。
合流しようと駆け付けた阿野全成は、逃げる佐々木定綱らと合流し、共に渋谷荘に匿われた。

早川城跡は、佐々木四兄弟やその父佐々木秀義を匿っていた渋谷荘領主「渋谷重国」の居城と考えられています。

渋谷重国|敵方も匿う器の広さ。相模国高座郡渋谷荘を本拠とした秩父党の一族
吾妻鏡を読み始めた時に、早い段階(頼朝の挙兵)で出てきた「佐々木四兄弟」それを匿っていたのが「渋谷重国」でも彼は平家方の人間。どうして? そんなことから興味を持…
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