清凉寺釈迦如来とは?
京都の清凉寺(嵯峨釈迦堂)にある本尊”木造釈迦如来立像(国宝)”が原像です。
また、清凉寺本尊三国伝来生身釈迦如来像とも。
平安時代中期(987年)に清凉寺の開山「僧奝(ちょうねん)」が中国(北宋)から日本(京都)に戻ってきた際にもたらした像で、釈迦生前(37才)の姿を写した霊像として信仰を集めました。
像の胎内には、生身の人間の像ということから、絹製の五臓六腑(他にも願文・経巻等)が入っていて、古代中国の医学知識を伝えています。これが、社会福祉に尽力した、叡尊や忍性が惹かれた一つの原因ではないかと個人的には思います。(本堂で見れます)
扁額には「栴檀瑞像(せんだんずいぞう)」の文字。
本尊の釈迦如来は赤栴檀の木で作られた像。
この像の模刻が流行ったのが鎌倉時代。
真言律宗の僧「叡尊」が奈良西大寺の本尊として模刻(重要文化財)、それ以来、叡尊一門は釈迦信仰の根本像とし、当然、高弟の「忍性」も信仰します。
そして、この像の模刻した釈迦像が約50体ほど全国各地に残され、それを”清凉寺式釈迦如来”と呼びます。
ざっくり言ってしまうと清凉寺本尊のコピーということ。
さすがにコピーは国宝にはなりませんが、重要文化財に指定されたコピーは結構あるみたいです。
奈良国立博物館
奈良国立博物館には、清凉寺釈迦如来像を模した、重要文化財の釈迦如来立像(清凉寺式)があります。
こちらの台座の墨書(ぼくしょ)銘によって、玄海(げんかい)の作者名、および鎌倉極楽寺開山の忍性(にんしょう)を開眼導師として、文永十年二月十五日(釈迦の命日)に供養されたことが分かっています。
このように、忍性と清凉寺式釈迦如来を結びつけることが可能です。
釈迦堂(鎌倉・廃寺)
嘉禄元年(1225)年に北条泰時が、父義時の一周忌に際して建立した寺院(廃寺)
釈迦堂切通し周辺だと思われます。
釈迦堂の本尊は建久4(1193)年に造られた清凉寺式釈迦如来立像(重要文化財)。
廃寺になった時に本尊は杉本寺へ移され、現在は大円寺(現目黒区)の本尊がコレではないかという説があります。
極楽寺(鎌倉)
鎌倉市極楽寺にある極楽寺は、文永4年(1267)に北条長時と業時兄弟が忍性を招いて開山。
開基は北条重時(長時の父で義時の三男)
本尊は、木造釈迦如来立像(清凉寺式釈迦如来)です。