今宮|鶴岡八幡宮の奥にひっそり佇む、鎌倉での承久の乱ゆかりの地(石碑を読む)

今宮|鶴岡八幡宮の奥にひっそり佇む、鎌倉での承久の乱ゆかりの地(石碑を読む)

2020-09-03

今日は鶴岡八幡宮の飛び地境内(っていうのかな?)にある今宮の石碑を読んでみました。
ここまで来る人ってなかなかいないけど、八幡宮の境内図には書かれているばしょです。

今宮

「今宮」石碑の場所

石碑に書かれている文字は?

四條天皇延應元年鎌倉中處々喧嘩闘諍ノ事アリ
特ニ其ノ五月廿二日ニハ大騒動ヲ起セシト云フ
茲日後鳥羽院ハ隠岐ニ崩御シ給フ
由リテハ其ノ怨念ヲ然ラシメシ所ナラトテ寶治元年四月大臣山ノ西麓ニ今宮ヲ建テ其院ノ尊霊ヲ勧請シ奉リ順徳院及ビ護持僧長賢ヲ合祀セラル
長賢ハ承久ノ後官軍ニ属シテ奮戦後捕ハレテ陸奥ニセラレシ者ト云フ
今宮ハ又新宮ト書ス

昭和四年十二月 鎌倉町青年團

四条天皇の頃、1239年(延応元年)、鎌倉中の至る所で喧嘩や争いが起った。
特に、その年の5月22日は大騒動が起こったと伝わっている。
その日は後鳥羽院が隠岐で崩御した日だった。
そのため、その怨念を鎮めようということで、1247年(宝治元年)4月に大臣山の西麓に今宮を立てて、後鳥羽院の御霊を勧請し、順徳院と長賢も合わせて祀った。
長賢は承久の乱後に官軍に属して囚われて、陸奥に配流された人物と伝わっている。
今宮はまた新宮とも言う。

昭和4年12月 鎌倉町青年団

事前知識(漢字・用語編)

闘諍:とうじょう|あらそい、いさかい
茲日:この日
:これ、この、すなわち
:タク|とがめる、ながす、罪により官位を下げて遠方へ流す

事前知識(歴史編)

延應元年(延応元年)

1239年。えんおう。1239-1240年。四条天皇、藤原頼経(将軍)、北条泰時(執権)の時代

後鳥羽院

1180-1239年。第82代天皇。高倉天皇の第四皇子。新古今和歌集を編纂。
1221年、承久の乱で鎌倉幕府に敗北。隠岐に配流され、1239年その地で崩御。

順徳院

1197-1242年。第84代天皇。後鳥羽天皇の第三皇子。
後鳥羽天皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的だったとされる。佐渡へ配流。1242年、佐渡で崩御。

護持僧長賢

1152-1228年。天台宗園城寺の僧。
後鳥羽天皇出産の際の祈祷を担当。承久の乱後倒幕計画に加担したとして、陸奥へ配流されその地で崩御。

大臣山

鶴岡八幡宮の裏山を大臣山と言います。
鶴岡八幡宮の説明板には「大臣山の中腹に社殿を造営して」と書いていますね。

また、拝殿の右側には明治天皇が大臣山の山頂で陸軍の野外演習を見たことを記念した石碑があるようです。
聖域なので、入ること、見ることはできませんが。。。

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