忍性|奈良からやってきた真言律宗で極楽寺開山の僧、その救済人生のルーツを探る

忍性|奈良からやってきた真言律宗で極楽寺開山の僧、その救済人生のルーツを探る

2019-12-25

今日は極楽寺を開山した忍性菩薩がテーマ。
鎌倉に来るまで、どんなことをやっていたのかを見ていきたいと思います。

忍性

1217~1303年。 大和国(奈良県)生まれ。
小さい時から文殊菩薩を信仰。 真言律宗の層。極楽寺の開山。

貧民救済のため、悲田院、施薬院などの療養施設を開いたり、道路や橋など土木事業にも尽力。
極楽寺切通は忍性によって切り開かれたと伝わる。

西大寺の叡尊(えいそん)上人の弟子。

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奈良から坂東へ下向

建長4(1252)年 西大寺流の律を広める為に坂東に向けて旅立ち8月に鎌倉に入るも、定住地が見つからず、八田知家が祖の「小田氏」の保護を得て常陸国の清涼院へ。

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そこから、弘長元(1261)年、鎌倉の新清凉寺釈迦堂(海蔵寺東側の谷戸|清凉寺ヶ谷)に移り住みました。

翌年、弘長2(1262)年、師の叡尊が、北条長時(執権)、金沢実時の招きで鎌倉入り。
先に鎌倉にいた忍性の助けも借り、新清凉寺釈迦堂にも住みながら、らい病患者の救済をして京都へ戻ります。

忍性は、今日に戻った叡尊に代わり、鎌倉に残り引き続き、律の布教と慈善救済事業に力を注ぎます。
そんななか、北条長時から、極楽寺の開山として招きを受けることになります。

霊鷲山 極楽寺の開山へ

真言律宗。開山は忍性。開基は北条重時

北条重時は北条義時(2代執権)の3男。
1267年 北條長時(6代執権|北条重時の子)と業時兄弟が忍性を招いて開山。

鎌倉時代後期には極楽寺の管理下で、和賀江島を利用する交易船に関税をかけて徴収していた。

8月真夏の時期に咲く赤い花サルスベリの名所としても知られています。

鎌倉十三仏詣では、12番札所「大日如来」を祀る。

4月7~9日には、極楽寺の本尊「清涼寺式釈迦如来立像(秘仏)」が特別開扉。
4月8日には、奥ノ院にある開山の墓「忍性塔」が公開される(写真撮影禁止)

鎌倉以外の忍性|極楽寺開山以前と以後

鎌倉以外に忍性が関わった寺院等をちょっと纏めてみました。

師匠は叡尊

1201-1290年。真言律宗の僧。奈良の西大寺を再興。

西大寺

南都七大寺の一つ。真言律宗。764年に称徳上皇が発願。
4月と10月に大茶盛式が行われる。

忍性が西大寺を立て直そうとしていた叡尊についていって弟子に。
師匠の叡尊も逆に弟子の忍性から文殊菩薩信仰の影響を受けたらしいですよ。

般若寺

真言律宗。本尊は文殊菩薩。
平重衡の南都焼き討ちで伽藍焼失するも、叡尊と忍性が再興。

楼門は国宝。コスモスの寺として有名。

竹林寺

文珠霊場。
入滅した行基が火葬後にこの竹林寺に遺骨が納められた。また行基は「文殊菩薩の化身」とも言われてる。

行基菩薩への信仰により忍性など南都高僧の止宿寺となる。

北山十八間戸

読み方は「きたやまじゅうはっけんこ」

鎌倉時代中期の建物。
忍性が不治難病の患者救済のために建築。般若寺の北東から現在地へ移転。

四天王寺(大阪市)

四天王寺の石鳥居は忍性律師によって、永仁2(1294)年木造から石造に改められた。

忍性は、聖徳太子が四天王寺を創建した時に「四箇院の制(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)」を採用した事に深く感銘し、復興を図ったので、その一環だと思われます。

忍性の出てくるところに文殊菩薩あり!
っていうくらい篤い文殊菩薩信仰の方なんですね。

これから、時間がある時に忍性の本でも読んで深く知って、このページを追記していきたいと思います。

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