目次
鎌倉宮
鎌倉宮は、大塔宮護良親王をご祭神とする、明治2年に明治天皇の勅命によって創建された、鎌倉市二階堂にある神社です。
鎌倉宮例大祭
毎年8月20日を中心に三日間、鎌倉宮例大祭が行われるのですが、ここで気になったこと(日本の暦)があったので調べてみました。
※前日の19日は前夜祭、後日の21日は後鎮祭です。

ご祭神護良親王のご薨去の日をもとに定められた鎌倉宮最重要神事です。
鎌倉宮は昔からある神社ではなくて、明治天皇が建武の新政、つまり天皇家の為に尽力した人物を称えようと作った神社。
だから明治時代に建てられました。建武中興十五社の一つ。
護良親王って誰?
護良親王(もしよししんのう)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物で、後醍醐天皇の皇子です。
後醍醐天皇はめちゃくちゃ子供を作っているので、何番目とかの子供とか良く分かりません・・。
天台宗の長である天台座主になり、鎌倉幕府討幕に貢献して征夷大将軍になるなど、ちょっとカッコいい若者です。

最後は室町幕府の足利尊氏と対立して、東光寺(いまの鎌倉宮があった場所)に幽閉され殺害されてしまいました。
享年 建武2(1335)年7月23日。
護良親王(大塔宮)の墓 YouTube
ここで疑問点が。
護良親王の命日が7月23日になってます。確か例大祭が行われる8月20日が命日のはずなのでは?
他にも、Wikipediaで調べてみると、命日は8月12日とも書かれています?なんだこれは?
これには暦(こよみ)が関係してました。
暦って実はたくさんありますけど、ここでは超有名な二つの暦を見てみますね!
ユリウス暦(欧米での旧暦)
ユリウス暦は1年を365日、4年に1度のうるう年を366日とする暦。
なぜこんなことをするのかというと、地球が太陽を一周回る時間「公転周期」が365.25**日っていう端数が出ちゃうからですね。
しかも、公転周期が365.25日ピッタリだとユリウス暦で良いんですけど、365.242189日でピッタリじゃなくて、1日で11分14秒ほどズレちゃうんです。なので、128年で約1日(24時間)の、1280年で10日もの誤差がでるんです。
そして、護良親王の命日である1335年7月23日をユリウス暦に換算すると1335年8月12日になるんですよね。
このユリウス暦。名前から「ブルータスおまえもか!」のユリウス・カエサルっていう紀元前の人物か考えた暦。
さすがに中世ヨーロッパでは、過去から10日も誤差が出てきたので、もっと正確な暦に変えようということになって出てきたのが、1852年のグレゴリオ暦。
グレゴリオ暦(新暦)
グレゴリオ暦は、ユリウス暦に対して400年に97回のうるう年を設けて、
•西暦が100で割り切れる
•西暦が400では割り切れない
という条件に当てはまる年は、うるう年にしないという法則。閏年を減らしたんですね。
この方法だと3224年に約1日の誤差が発生。ユリウス暦の128年で1日の誤差とは随分と正確です。
そして、護良親王の命日である1335年7月23日をグレゴリオ暦に換算すると1335年8月20年になるんですよね。
日本の暦の歴史
ちなみに日本がグレゴリオ暦を採用したのは、明治5年の1872年。
明治5年12月2日(旧暦)の翌日を明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としたんだそう。
12月がまるまる一か月分、急に無くなって給料とか財政問題とかいろんな裏問題があったそうですね。。
日本はグレゴリオ歴の前はユリウス暦を使っていたかというとそうではなくて、江戸時代は日本が独自に作成。
貞享暦や寛政暦、天保暦など。歴史で習ったなー。
今の日本の旧暦は、新暦前に使っていた天保暦のことを言うみたい。
旧暦は月の29.5日周期の満ち欠けを一か月と考えていたみたいで、3年に一度閏月を入れてたなど、もう分けわかりません。
また、江戸時代以前は中国暦を輸入してたみたいですよ。
この辺は天文宇宙検定でも出題範囲に入っているので知っておいて損はありませんね!
まとめ
そんなわけで長々と書いてしまいましたが。まとめると、
護良親王の命日は、
・7月23日 → 日本の旧暦
・8月12日 → ユリウス暦
・8月20日 → グレゴリオ暦(新暦)
ということで、いま日本では新暦を使っているので、8月20日に例大祭が行われてるんですね。
ユリウス暦は日本では使われてないものの、wikiなど欧米に関するサイトはユリウス暦で日付計算しちゃうみたいです。

これからも歴史を知っていくと、日付で混乱すると思うんですけど、冷静に整理していかなきゃですね。