愛甲季隆|畠山重忠に矢を命中させた御家人屈指の弓矢の達人
愛甲(三郎)季隆(あいこう すえたか) 生誕不詳(1150年?)-1213。横山党。相模国愛甲郡愛甲荘(現、厚木市愛甲)の御家人。 愛甲三郎館跡を見に愛甲石田…
鎌倉に住んで、働いて、食べて、走って、遊んで、記録して、整理しています
愛甲(三郎)季隆(あいこう すえたか) 生誕不詳(1150年?)-1213。横山党。相模国愛甲郡愛甲荘(現、厚木市愛甲)の御家人。 愛甲三郎館跡を見に愛甲石田…
飯田五郎家義(いいだ いえよし) 生没年不詳渋谷重国の五男として生まれ、大庭景親の娘を娶り平家方の武士だったが、源氏方に心を寄せていて、頼朝勢を土肥のへと逃避…
波多野義通(はたのよしみち) 1107-1167。相模波多野氏の5代目。摂関家領の相模国荘を所領としていた。筑後守。保元の乱で負けた、義朝の父為朝やその子供た…
今回は、初期の鎌倉幕府の中でも、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした「畠山重忠」について、ゆかりの場所をはじめ、広く浅く纏めて…
石橋山の戦いとは? 治承四(1180)年 8月23日に源頼朝が以仁王の令旨(命令)を受けて挙兵した場所が石橋山。そこで、平家方の大庭景親軍と合戦になった戦いを…
佐原(十郎)義連(さわら よしつら) 生没年不詳。三浦義明の子(十男?)。三浦義連。鎌倉殿の13人に選ばれた、三浦義澄は兄。(かなり年齢は離れていると思われま…
一ノ谷の戦い 寿永3(1184)年の2月。 木曽義仲を討伐した、源範頼・義経軍は京を経由して、西海・山陰の軍数万騎を従え勢いを盛り返していた平家が軍を構えてい…
今回は平安時代末期の武士、俣野景久について深堀してみました。 俣野(五郎)景久(またの かげひさ) 1147-1183。大庭景宗の四男。相模国鎌倉郡俣野郷(現…
大内惟義(おおうち これよし) 生没年不詳門葉筆頭として頼朝の信頼が厚い平賀義信の長男で、伊勢国守護に補任されたときに、伊勢国大内荘の地頭職も兼ねた頃から大内…
土屋宗遠(つちや むねとお) 1128-1218中村荘司宗平の三男で相州土屋の領主。室町時代の上杉禅秀の乱で敗走するまで土屋の地を支配した。 ※芳盛寺では土屋…
佐々木定綱(ささき さだつな) 1142-1205近江源氏佐々木氏の棟梁「佐々木秀義」の子。佐々木四兄弟の長男。頼朝の挙兵を当初から助ける。4男に宇治川の先陣…
梶原景時の変 正治元年10月25日~翌正治2年1月20日にかけて、鎌倉幕府内部で起こった政争。 頼朝死後に御家人の権力闘争が始まる、その第一弾。御家人66人の…
木曽義高(きそ よしたか) 1173?-1184河内源氏の流れを汲む信濃源氏の武将。源義高、清水冠者。父木曽義仲と、源頼朝の権力争いに巻き込まれて、大姫の許嫁…
桜、桃、椿の御所(頼朝の花の三御所) 三浦半島の三崎港の周辺(三浦半島南西部)にある、源頼朝も花を愛でに訪れたといわれる大椿寺(椿の御所)、本瑞寺(桜)、見桃…
三浦義村(みうらよしむら) 1168?-1239。鎌倉殿の13人(十三人の合議制)の一人、三浦義澄の次男(嫡男)で、三浦氏当主。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」…
源義平(みなもとのよしひら) 1141-1160父:源義朝の庶長子。母は三浦義明の娘、か京都郊外の橋本の遊女。源頼朝、範頼、義経の異母兄。 鎌倉悪源太義平(鎌…