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神護寺の歴史
神護寺は真言宗のお寺、遺跡本山(お寺のランク)です。
元々「高雄山寺」があったこの場所に、和気清麻呂という平安京造営の最高責任者が別の寺院を移して、合併してできました。
最澄が法華会を行い、空海が入寺(809年)して、14年間住持した真言宗ゆかりの寺院です。
拝観料は600円(2022年11月時点)
神護寺へのアクセス
神護寺へのアクセスは、自動車か市バスです。
京都中心地からは、結構離れた場所にあるので、市バスでは約50分くらいかかります。(料金は230円)
京都市バスは8系統、JR京都駅と四条烏丸バス停から、高雄方面行きのバスが出ています。
最寄り駅のバス停は「高雄」
ここから、清滝川に向かって階段を下っていき、高雄橋を渡ると、次は神護寺まで階段を登っていきます。
足腰の悪い方には非常に厳しい道。バス停から神護寺の山門まで20分くらいは見ておいた方が良いでしょう。ただし、紅葉はとても奇麗だと思います。混雑必死でしょうけど・・・。
文覚上人と源頼朝
高雄山神護寺の再興を、後醍醐天皇に強訴した関係で、源頼政の知行国「伊豆国」へ配流された文覚上人は、そこで、同じく流罪の身で「伊豆国」蛭が島にいた源頼朝と仲良く?なったと思われます。
その関係もあり、頼朝は神護寺にも援助を行っています。
山頂にある文覚上人の墓
折角なので文覚上人の墓も見たいということで境内図を見ると、境内の上の方に文覚上人墓が書かれています。どれくらいの距離があるのか全く分かりませんが、山の上にありそうというのが分かります。
境内図では、墓までの道がどこから出ているのか全く分かりませんが、入口で頂いたパンフレットの裏面には、まだ道が分かる地図が載っていますのでそちらを参考に。
多宝塔や金堂の裏側から道が続いています。
実際に行っていると、山頂へと続く、歩けそうな山道があります。砂利道と階段、木の根もあるので、せめてスニーカーくらいは履いて欲しいです。
そして、なかなか距離があります。実際に歩いたのは15分くらいなので1km弱の軽いハイキングになりました。暑かった日なので、お墓に着くころには結構汗だくに・・・
文覚上人の墓は、眺望の良い山の上にありました。遺言で大好きな神護寺を見下ろすことができる、この場所を指定したんでしょうかね?
性仁法親王墓の墓
文覚上人の墓の少し手前に、いつもの宮内庁管理の「性仁法親王墓」がありました。
性仁法親王(1267-1304)は、後深草天皇の第四皇子、仁和寺で出家、高雄御室と呼ばれた皇族。38歳で死去。四男ともなると、次期天皇には成れませんからお寺に入りますね。
開基は岡山出身「和気清麻呂」
神護寺の開基は「和気清麻呂」という、今の岡山県和気町が出身の、奈良時代末期~平安時代初期に活躍した政治家さんです。
和気町の豪族だったので、ある程度成長した後に、京へ働きに出て、才能を見いだされた感じでしょうか。
銅鏡事件(宇佐八幡宮信託事件)で天皇を守り、平安京遷都では造営の最高責任者だった有能な人物です。
ピンチを猪に救ってもらったという伝説もあり、そのゆかりで京都の「護王神社」も和気清麻呂ゆかりです。
神護寺に最澄を呼んだのも、和気清麻呂の長男。京での和気一族は力を持っていたんでしょうね。
和気清麻呂の墓
金堂の裏側には道が3本に分かれています。
登り2本は途中で合流して、文覚上人の墓まで軽いハイキング。
一番右側に反れる道を歩いて行くと和気清麻呂の墓へと続きます。文覚上人の墓とは違ってほぼ平坦な山道で距離も短いのでそれほど疲れることは無いと思います。
ただ、和気清麻呂って誰?って方も多いと思うので、この方の墓まで歩く人は見かけないので、山の中を寂しく歩くことになると思います(数分間の我慢)
しばらく歩くと、左側に階段道、右側に登山道の分岐が現れます。
右側を進んで行くと、下記のような五輪塔が並んだら平地に出てきます。こちらは五輪塔の文字を見る限り歴代住職の墓っぽいので、こちらへ来ると間違い。
先ほどの分岐点まで戻って、階段を登っていくと、和気清麻呂の墓へ到着しました。
説明板があるので間違いないと思います。
国宝には伝源頼朝像など
だだっ広い神護寺の境内を抜けて、まずは「金堂」に行きましょう。
金堂には、複製ですが「絹本著色 源頼朝肖像画(写真撮影禁止)」が置いてあります。教科書に良く載っている絵です。
毎年5月初旬の「宝物虫払い」には、神護寺の寺宝を公開するようです。
この高雄山だけで国宝は17点、とんでもないお寺です。鎌倉の国宝の半分以上の数を保有している計算ですね。。。
神護寺の国宝
・高雄曼荼羅
・伝源頼朝像、平重盛像、藤原光能(みつより)像
・灌頂暦名(かんじょうれきみょう|空海筆)
・山水屏風(せんずいびょうぶ)
・文覚四十五箇条起請文
などなど